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古本夜話794 河出書房『ボードレール全集』とベンヤミン

 河出書房は昭和九年の『バルザック全集』に続いて、十年には『モーパッサン傑作短篇集』、十三年には『ボードレール全集』、『プロスペル・メリメ全集』を刊行するに至る。

f:id:OdaMitsuo:20180515120726j:plain:h115(『バルザック全集』)f:id:OdaMitsuo:20180520144046j:plain:h120(『モーパッサン傑作短篇集』)
f:id:OdaMitsuo:20180520143316j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20180520102927j:plain:h120(『プロスペル・メリメ全集』)

 『モーパッサン傑作短篇集』とその増補版としての十三年の『モーパッサン短篇全集』は未見だけれど、『ボードレール全集』と『プロスペル・メリメ全集』は手元にあり、配色は異なるが、両者とも同じ装幀で、それは六隅許六と記載されている。いうまでもなく、六隅はフランス文学の渡辺一夫が装幀の際に使用したペンネームで、当時彼は東京高校教授と東京帝大文学部の講師を兼ね、十七年に助教授に就任している。また本連載561で、渡辺の装幀者としてのもうひとつの名前である大和幻住にもふれていることを付記しておく。これらのことを考えると、『ボードレール全集』や『プロスペル・メリメ全集』も渡辺と東京帝大仏文科人脈から出された企画であり、そのようにして編集や翻訳も進められたと考えていいだろう。
 
 『ボードレール全集』は全五巻のうちの第五巻しか所持していないが、各巻の明細を見ると、実際に訳者は第一巻の『悪の華』の早大の村上菊一郎を除いて、第二巻の『人工楽園』の渡辺を始めとして、三好達治、小西茂也、平岡昇、佐藤正彰、小林秀雄、中島健蔵たちで、東京帝大仏文科によって占められている。ただ第五巻の『日記』は河上徹太郎だが、これも東京帝大仏文科人脈と見なせよう。

 あらためて『日記』として収録されている「覚書」と「赤裸の心」を読んでみる。すると前者には「群集の中に在る時の快感は、数の増加を愉しむことの神秘的な現れだ。」とか、「全体は和である。数は全体の中にある。数は個の中にある。陶酔は一つの敵である。」「大都会の持つ宗教的陶酔。」といったアフォリズム的一文に出会う。後者では次のような告白にぶつかる。

 子供の時分からすでに、私には孤独な感情があつた。家庭の内にあつても、又時には友の中にあつても―自分は永久に孤独に運命づけられてゐるといふ気持が深かつた。

 しかも尚、私はまた、人生に対して、激しい願望を持つてゐた。

 このようなアフォリズムや引用も含めた断章からなる「覚書」と「赤裸の心」は一一七のセクションによって構成されている。日本での出版は昭和十四年十二月であるので、パリでは一九三九年となる。この年にベンヤミンは「パリ―十九世紀の首都」に続いて、「セントラルパーク」や「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」(いずれも『ベンヤミン・コレクション1』所収、浅井健二郎編訳、ちくま学芸文庫)という一連のボードレール論を書いている。それらは『悪の華』に加え、明らかに「覚書」や「赤裸の心」を参照していて、先に引いた群集と都市の陶酔などに関する一文は、ベンヤミンのいうパリやパサージュのアレゴリーのキーワードとなっている。

ベンヤミン・コレクション1

 だが四〇年六月のドイツ軍のパリ侵攻のため、亡命中のベンヤミンは「パリ―十九世紀の首都」も含んだ『パサージュ論』(今村仁司他訳、岩波書店)の原稿を、国立図書館にいたジョルジュ・バタイユに託し、パリを脱出した。しかしマルセイユからアメリカ亡命をめざし、九月にピレネー山脈を越え、スペイン国境の町に入るが、スペイン警察による強制送還の脅しを受け、服毒自殺したのである。その時、ベンヤミンが携えていたのは「思想的遺書」ともいえる「歴史の概念について」(同前)だったとされる。私は『郊外の果てへの旅/混住社会論』において、その一節をエピグラフに挙げていることも記しておこう。

パサージュ論 郊外の果てへの旅

 したがって日本での『ボードレール全集』は、そうしたパリにおける亡命者ベンヤミンが『パサージュ論』を書き継いでいるのとパラレルに刊行されたことになる。ベンヤミンが読んでいたボードレールのテキストは不明だが、パリの国立図書館を利用していたことからすれば、主としてボードレール死後に刊行された全集類だったと考えられる。日本版『ボードレール全集』のやはり第五巻に、中島健蔵の「シャルル・ボードレール書誌」が五〇ページにわたって収録され、昭和に入ってからの、日本での原典の入手を含めたボードレール研究の急速な進化を伝えている。

 そこで中島は全集として、次の六つを挙げている。それらはMichel Lévy (Calman₋Lévy), Lemerre, Pelletan, N.R.F, Conard, Pleiade の各版であり、中島は後の三種がよいと推奨しているが、そのうちのコナールとエヌ・エル・エフ版は未完結だと付記してもいる。私が浜松の時代舎で入手したのはコナール版だが、これが全巻揃っていないのはそうした事情が関連しているのかもしれない。

 したがっておそらくベンヤミンも、それらの全集類を適宜参照し、メモを取り続け、それらが『パサージュ論』へと流しこまれていったのだろう。それを考えると、またしてもボードレールが「覚書」に残した最後の一節が浮かんでくる。それは次のようなものだ。

 何だか私はその道の人々が、脇道と呼ばれてゐるものの間を、さ迷い過ぎたやうだ。
 しかも私はこの数頁を世に遺しておかう。

 きっとベンヤミンも『パサージュ論』を書き継ぎながら、この一節を思い浮かべたにちがいない。

 なおこの河出書房の『ボードレール全集』第二巻には「幼魔術師」が収録されているが、これはボードレールの翻訳とされ、その後の全集には収録を見ていない。


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