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古本夜話797 リラダン『トリビュラ・ボノメ』と「白鳥扼殺者」

 前々回、『ボードレール全集』や『プロスペル・メリメ全集』の訳者の一人である渡辺一夫が、装幀家の六隅許六に他ならないことを既述しておいた。それらだけでなく、渡辺は昭和十年代半ばのフランス文学研究と翻訳において、その中心的なポジションにいたはずで、その専門であるフランソワ・ラブレーの『第一之書ガルガンチュワ物語』も、昭和十八年に白水社から刊行されている。 

f:id:OdaMitsuo:20180520143316j:plain:h120  f:id:OdaMitsuo:20180520102927j:plain:h120(『プロスペル・メリメ全集』)

 手元にあるのは昭和三十九年六刷だが、そのフォーマットは初版を踏襲しているはずだ。A5判五八〇ページ、函入で、記載はないけれども、この装幀も渡辺自身によるもので、函表の版画や本体の表紙版画は原書からの転載だと断られている。それはまた所収の「フランソワ・ラブレー遍歴地略図」などの挿絵地図も渡辺の手になるものであり、翻訳に際しての地図の必備性を示している。それは読者にとっても同様だ。

 ただ残念ながら、『白水社80年のあゆみ』を確認してみると、『第二之書パンタグリュエル物語』の刊行は、戦後の昭和二十二年に持ちこされ、『第五之書パンタグリュエル物語』の完結に至るまで、ほぼ四半世紀後の昭和四十年を待たなければならなかった。それからさらに半世紀後に、宮下志朗訳によるちくま文庫版も読むことができるようになっているが、これが渡辺の先駆的訳業を継承していることはいうまでもないだろう。
f:id:OdaMitsuo:20180527220904j:plain:h110  ガルガンチュア物語(『ガルガンチュア物語』、ちくま文庫版)

それらはともかく、私の場合、渡辺訳との出会いは『ガルガンチュア物語』ではなく、ヴィリエ・ド・リラダンの『トリビュラ・ボノメ』であった。これも昭和十五年に白水社から刊行されている。やはり菊判フランス装、おそらくアンカットで出され、装幀は六隅許六である。古本屋で入手したのはこれも半世紀前で、背も半ば崩れ疲れていて、タイトル文字も小さかったことから、手にとってみるまでは判然とせず、リラダンの著作だとわからなかった。リラダンを知ったのはエドマンド・ウィルソンの『アクセルの城』(土岐恒二訳、筑摩書房)を読んだからだった。そのタイトルにある「アクセル」がリラダンの戯曲の主人公の名前で、十九世期末象徴主義のヒーロー的存在だと教えられたからだ。
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 その口絵写真で示したポートレート、死せる姿と墓に続いて、巻頭の「訳者自序」はリラダンが一八八九年八月に五十歳で他界したと始まり、次のように記されていた。

 彼の一生は、派手やかな、また愚かしいフランス十九世紀社会の一挿話である。一生涯、彼は瑰麗な夢を追ひながら、我身に加へられた「奇人」「変人」「落伍者」などといふ世評に相応しいやうな生活を送らざるを得なかつた。然も、彼一人の見る夢まで妨げやうとして、地上の長蟲や土龍の族は、なほもうるさく彼の瘠せ細つた脚にまつはり付いたのである。十字軍の騎士だつた彼の祖先は神に逆ふ邪教徒を殺戮したが、子孫の彼は、これらの長虫や土龍共を叱咤し嘲弄し罵倒せざるを得なかつた。それは彼ヴィリエ・ド・リラダン伯爵と雖も、とも角現世に肉体を持つてゐたからであるし、また彼の夢想的な狷介な性格が終始一貫彼に悲惨な生活を強ひ、また彼をして忘恩と無理解との犠牲たらしめたからでもある。彼にとつて、この世は、彼を愛した数人の優れた親友のみが僅かに庵を結んでゐる荒涼たる沙漠であつた。

 あらためてこのような渡辺のリラダン紹介を読むと、ここに大東亜戦争下を迎えようとしているフランス文学者の、秘められた思いがこめられているようにも感じられる。そして『トリビュラ・ボノメ』こそがそれを象徴している存在のように捉えられていたのではないだろうか。

 そのボノメの姿は、最初の短編「白鳥扼殺者」の中にまず描かれる。ボノメ博士は博物学書を調査した結果、「白鳥ノ将ニ死ナントスルヤ、ソノ歌声ヤ佳シ」と知り、その歌声を耳にしてから人生の幻滅にも耐えられるようになったのである。彼は永らく見捨てられた庭園の大樹林の下に神さびた古池を発見した。そこには十二羽から十五羽の水禽が泳ぎ、不寝番役らしき黒い鵠が目に止まった。ボノメはこれらを「欠くることなき趣味人(デイレツタント)」として観察し、「是等の水禽の死際(いまわ)の歌声」を「己が耳の保養にしようと夢想してゐた」のである。

 そしてボノメは秋の夜半に、水の通らないようにした上着をまとい、大きな護謨製の長靴をはき、両手に古物商に大金を払って入手した中世の紋章付きの鋼鉄の籠手をはめ、新しい帽子をかぶり、廃園へと向かった。もちろんめざすはあの池だった。用意周到なボノメの接近は鵠にも悟られなかった。それでも静かに籠手が掠り、その本能は危難を感じ、ボノメは鵠の心臓が劇しく動悸を打ちはじめているとわかり、ボノメに「満身の歓喜を味はせた」のである。

 白鳥たちはその気配に眠りをさまされ、身に迫る死の危険を意識し、その無言の苦悶による心臓の動機は、ボノメに鵠と同じ「恐ろしい感動」と「心地よさ」を与えた。そして明星の光がボノメと暗黒の水と白鳥の群れを照らし出し、鵠はこれを見て警告を発したが、時はすでに遅く、ボノメは白鳥の群がる中に躍り込み、鉄の爪牙で二三羽の白鳥の純白のうなじを突き刺し、砕いてしまった。ボノメは白鳥の死の象徴的な叫声を「音楽として、賞美し」、「朝日の昇る時まで、彼はその甘美な印象を、かくの如く、ブルジョワ的に反芻していたのである」。
このクロージングのシーンこそ、リラダンにおけるボノメの造形の特徴を垣間見ることができよう。


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