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古本夜話798 弘文堂書房と辰野隆『印象と追憶』

 渡辺一夫訳のリラダン『トリビュラ・ボノメ』は「辰野隆博士に捧ぐ」との献辞がしたためられている。それはこの翻訳が辰野の註解などの「書き込み入り御本」を活用した「答案」で、いわば「堂々たるカンニング」によっているからだと述べられている。

 渡辺は白水社からの昭和十五年の『トリビュラ・ボノメ』の翻訳刊行後の同年に、弘文堂書房から『ヴィリエ・ド・リラダン覚書』も続刊している。そこには『トリビュラ・ボノメ』の「訳書自序」に他ならない「『トリビュラ・ボノメ』について」、同じく「ヴィリエ・ド・リラダン略年譜」も収録され、それらはこの四六判一八九ページの半分を占めていることになる。しかも「序に代へて」を寄せているのは他ならぬ辰野で、その奥付裏には既刊として、辰野隆の正続『忘れ得ぬ人々』、近刊としてやはり辰野『印象と追憶』、岸田国士『現代風俗』、辰野、渡辺他訳『リラダン短編集』が挙がっている。

 この昭和十年代半ばにおいて、辰野は白水社からエッセイ集『さ・え・ら』『え・びやん』『りやん』『あ・ら・かると』を出し、渡辺も『トリビュラ・ボノメ』の巻末広告に示されているように、翻訳として、リラダン『未来のイヴ』、ピエール・ロティ『アフリカ騎兵』、サント・ブーヴ『モンテーニュ小論』、評論随筆として『筆記帳』『ふらんす文学襍記』を出していたので、二人の弘文堂との関係は意外であった。それに戦前の弘文堂は京都の本社が置かれていたと思っていたからだ。そこで』『出版人物事典』で、発行者の八坂浅次郎を引いてみた。
出版人物事典

 「八坂浅次郎 やさか・あさじろう]一八七六~一九四八(明治九~昭和二三)弘文堂創業者。京都市生れ。一八九三年(明治二録)京都寺町に弘文堂書房を創業、仏教書の販売をはじめ、九九年(明治三二)京都法科大学の設立を機に出版に進出、法律書・仏教書を中心に、哲学・経済学社会学関係書を手がけ、学術書出版の版元としての地歩を築いた。一九一七年(大正六)河上肇の『貧乏物語』を出版してベストセラーとなり、一躍、京都の有名出版社となった。関東大震災後、東京・神田駿河台に東京支店を開設、四〇年(昭和一五)同支店を本社とした。戦後、四八年(昭和二三)株式会社弘文堂に改組、『アテネ文庫』『アテネ新書』を始め、新企画を出版。ことに『アテネ文庫』は名企画として知識人に広く迎えられた。

 弘文堂が関東大震災後に東京に進出していたとは認識していなかった。おそらくここに記された昭和十五年に東京支店を本社とすることで、東京帝大仏文科の卒業生、もしくは関係者が弘文堂に入社し、それで先述した辰野たちの著作や翻訳が企画されたのではないだろうか。

 辰野の『印象と追憶』は落丁本を拾っているが、ジュート装の四六判で、これもやはり十五年十月発行、十一月再版とある。その「序」には「一昨年夏より今年夏まで、折にふれて書き綴れる随感随想を一巻に蒐め名づけて『印象と追憶』とす。蓋し眇たる書斎人の閑文字のみ」と述べられているので、これは十四年からの一年間の「書斎人の閑文字」ということになり、それは意図せずして十四年夏から十五年夏にかけてのクロニクルを形成している

 それもあってか、戦争にふれたものが多く、先の欧州大戦に仏蘭西の飛行将校として活躍した日本人、ドイツの敗戦後の風景とその再起、仏蘭西の敗北と日本の仏蘭西人の応召、旧友や弟の戦死、日露戦争における二百三高地や旅順開城の話、教え子の支那事変からの帰還などで、それらが日本も戦時下であることを伝えている。

 その一方で、フランス映画の、いずれもジュリアン・デュヴィヴィエ監督『望郷』『舞踏会の手帖』を見て、前者の原題『ペペ・ル・モコ』は「蝙蝠の安さん」とか「五寸釘の寅公」といったような呼称だと述べている。また後者はブルースト的にいえば、「失われたる青春を求めて」、もしくは東洋風なら「青春老いやすし」といったところで、ヒロインのマリイ・ベルはかつてパリのコメディ・フランセーズの舞台でしばしば観た女優だと語られる。そして彼女と酒場の主人に扮したルイ・ジュウヴェがそぞろ歩きに朗読する詩を「寂びたる庭の凍てたるなかを/今二つの影はすぎぬ」と翻訳している。またそれがヴェルレーヌの「感傷的対話」という淋しい詩で、自分も学生時代に一人で暗誦したことがあり、とても印象的だとも書いている。

望郷 舞踏会の手帖

 それらに加えて、本連載728「アジア問題講座」、同761でふれたブルジェ『死』(広瀬哲士訳)、さらに同794の『ボードレール全集』の推薦文らしきものも収録され、「書斎人の閑文字」が戦争と映画と本の三位一体の色彩に覆われていることに気づくのである。

 このような辰野の「書斎人の閑文字」を読んでみて、あらためて想起されるのは、昭和五十八年に第一巻を『忘れ得ぬ人々』として始まった福武書店の『辰野隆随想全集』全5巻別巻1のことで、もはや忘れ去れていた辰野の全集を企画したのは誰なのかという思いも生じてくる。
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 また弘文堂からやはり昭和十六年に出された福田清人の『尾崎紅葉』も入手しているが、これは「教養文庫」シリーズで、巻末には百冊近い既刊分がリストアップされ、その他にも「世界文庫」として翻訳小説が並び、ジイド『ワイルド』(中島健蔵訳)やレニエ『ヴェニス物語』(草野貞之訳)が近刊となっている。おそらくこの「世界文庫」の編集者が辰野や渡辺の関係者だったと思われる。いずれも判型は三六判で、これらが戦後の「アテネ文庫」「アテネ新書」のベースとなったのではないだろうか。

教養文庫 (「教養文庫」、『願生心の構造』)f:id:OdaMitsuo:20180528101649j:plain:h120(「世界文庫」、『ヴェニス物語』)アテネ文庫 (「アテネ文庫」、『イラン文化』)アテネ新書 (「アテネ新書」、『ドイツの悲劇』)


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