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古本夜話820 永田逸郎、フランシス・カルコ『モンマルトル・カルティエラタン』、春秋書房

 昭和十年前後のフランス文学翻訳ブームは、これまで取り上げてきた全集に値する文学者たちばかりでなく、マイナーポエットにまで及んでいる。それは前回のピチグリリではないけれど、その典型を昭和八年に刊行されたフランシス・カルコの『モンマルトル・カルティエラタン』に見ることができる。
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 しかもそれは訳者にしても出版社にしても、同じようなニュアンスが感じられる。訳者は永田逸郎で、明治四十年愛知県生まれ、昭和六年東京外語学校フランス語科出身である。戦後はアフリカのカメルーンに長く滞在し、アフリカ問題の専門家とされる。出版社は川村鐵太郎を発行者とする春秋書房だが、発売所は上田屋書店となっている。上田屋は取次で、明治三十九年に島崎藤村が『破戒』を自費出版した際に、発売元を引き受けていて、それを春秋書房も範としているのかもしれない。また永田と春秋書房は特別な関係が推測され、同じくカルコの『をんな一匹』、アンドレ・ペルジウ『近代文学の精神』(藤井哲郎共訳)をも翻訳刊行している。それらに加え、続いて第一書房からのピエール・マッコルラン『地の果てを行く』『女騎士エルザ』も同様である。

 カルコに関しては『世界文芸大辞典』に立項されているので、まずはそれを示す。

世界文芸大辞典

 カルコ Francis Carco (1886~1958)本名Carcopino、フランスの小説家、詩人、国有財産検査官を父として、フランスの流刑植民地エュウ・カレドニアの首府ヌメアに生れた。幼少の頃その地にあつて見聞した徒刑囚の生活は、後年は彼が好んで社会のどん底に生活する人々を材とするに至る素地をなしたものと言はれる。その後父の勤務上伴はれて南仏に移り住むに及び、その詩才を発揮して『流浪の民とわが心』“La Bohème et mon cœur”(1912)、その他ファンティジスト詩人たる面目を示した二三の詩集を公けにしたが、作家たる彼は、盗賊、アパーシュ、娼婦等モンマルトル辺に出没する人物を主題として現文壇に一特色をなし、且つかかる雰囲気を浮上らせるため、作中アルゴargot の自由な駆使を持つて注目されてゐる。(後略)

 ここで「盗賊、アパーシュ、娼婦等モンマルトル辺に出没する人物を主題」とする作品のひとつが、『モンマルトル・カルティエラタン』であり、ただそれには「芸術家放浪記」なるサブタイトルが付されているように、主として芸術家たちのポルトレを描いている。ちなみに「アパーシュ」とはごろつき、「アルゴ」とはスラングをさす。

 永田はその「訳序」において、このカルコの一冊に関し、モンマルトルやカルティエラタンの若い作家や画家たちが、「ヴィヨン、ヴェルレーヌを師表と仰ぎ、事毎に詩句を口吟み、文学を論じ、悪と貧困に身を委してゐた幾多の放浪芸術家の群の織りなせし生活よ! 仏蘭西現代文学絵画を知るに良き文献である」と述べている。だがカルコが『モンマルトル・カルティエラタン』を書いたのは一九二五年であり、もはやここに描かれた一九一四年頃の詩人や画家たちとは引き離され、風景も変わってしまった。「吁! 残るものは既に想出ばかり」と自らいう時代を迎えていたのである。

 そうして多くの詩人や画家たちがそのエピソードとともに召喚される。モンマルトルの庇護者のところにいたユトリロ、ラヴィニョン街「洗濯場」に住まうキュビスムの詩人マックス・ジャコブ、そこに共に住むピカソとアンドレ・サルモン、やはり詩人でコント作家、挿絵画家で特異な小説家ピエール・マコルラン、アポリネール、画家マリー・ローランサン、ジャン・コクトオ、モジリアニたちが、それらの写真と肖像、詩と作品を添えて語られていく。また名前も残していない画家や詩人も同様にして。それらはモンパルナス・カルティエラタンというモノクロ映画の多くの登場人物たちのようでもあり、その映画は第一次世界大戦の終焉後の一九二〇年のモジリアニの死で閉じられている。

 ここまできて、このカルコ主演の映画の共演男優の位置にあるのが、他ならぬピエール・マコルランと見なしていいのではないかと思われた。それゆえに永田はカルコに続いて、必然的にマコルランを翻訳するに至ったと見なせよう。内藤濯訳で、昭和六年に白水社からも『追ひつめられる男』が出されている。
f:id:OdaMitsuo:20180817211330j:plain:h120(『追ひつめられる男』)

 それからこの春秋書房版の奥付裏に鉛筆で、「カルコは二流の作家であっても、此のパリ放浪記は各国に翻訳されて多く読まれた……」と記され、さらに戦後に近代文庫の井上勇訳で読み、それが筑摩書房の『世界ノンフィクション全集』27で『パリ放浪記』として収録されたとも書かれていた。
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 とすれば、それは『巴里芸術家放浪記』(井上勇訳、講談社文芸文庫)ではないかと思い、確認してみると、創芸社から昭和二十八年に同タイトルで出され、四十七年に『パリの冒険者たち』(三一書房)としての改定再刊を底本とするとあった。「二流の作家」にしては日本において、それなりに長く読み継がれたことになろう。

巴里芸術家放浪記 (講談社文芸文庫)

 この『モンマルトル・カルティエラタン』を読みながら想起されたのは、アドリエンヌ・モニエの『オデオン通り』(岩崎力訳、河出書房新社、昭和五十年)であった。一九一五年にモニエはパリのオデオン通りの本の友書店を開いた。それは新しい時代の精神に目を向けた書店と貸本屋を兼ねた小さな店だったが、そこを「精神の王国」としたいと考えていたのである。
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 そこには『モンマルトル・カルティエラタン』にも出てくる詩人のポール・フォールやアポリネールも訪れるようになり、一九年のシルヴィア・ビーチのシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店への開店へともリンクし、二十二年のジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』の出版を実現させていったのである。これらのことに関しては、拙稿「オデオン通りの『本の友書店』」「シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店」(『ヨーロッパ 本と書店の物語』所収)を参照されたい。

ユリシーズ ヨーロッパ 本と書店の物語


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