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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話837 鈴木三重吉訳『家なき児』、童話春秋社、篠崎仙司

 昭和十年代には児童書の分野においても、フランス文学の新訳が試みられていた。それはエクトル・マロの『家なき児』で、しかもその訳者は鈴木三重吉である。実はそのことをまったく知らず、それは浜松の時代舎で、童話春秋社から昭和十六年に出されたA5判上製四八八ページ、函入の前編を見つけたことによっている。
 f:id:OdaMitsuo:20180930115932j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20180930112041j:plain:h120(後編)

 なぜ購入したかというと、私は以前に拙稿「菊池幽芳と『家なき児』」(『古本探究Ⅲ』所収)を書き、家庭小説家の菊池の『家なき児』訳を、佐藤房吉訳『家なき子』(ちくま文庫)と比較対照し、菊池の訳文が人名や地名は日本風にあらためられているけれど、優れたものだと注視したことがあったからだ。
古本探究3 家なき子(ちくま文庫)

 童話春秋社版に「序」をよせているのは豊島与志雄で、彼は鈴木三重吉が十年ほど前から『家なき児』の完全訳をめざし、雑誌『赤い鳥』に「ルミ」と題し、少しずつ発表していたと述べている。しかしそれを遂げずして亡くなったので、豊島たちがそれを引き継ぎ、主としてその仕事に当たったのは、鈴木の翻訳の相談相手だった蛯原徳夫だと述べ、単行本化に際し、「ルミ」を『家なき児』にあらためたと付記している。蛯原は豊島の弟子に当たり、法政大学でフランス語を教えていたようだ。

 そこで近代文学館復刻の『赤い鳥』を見てみると、昭和七年十一月号から「ルミイ」というタイトルで連載が始まっていた。「ルミイ少年は、八つになつて、はじめて、じぶんがすて子だったといふことが分つたのでした」が最初の訳文であった。それから途中でタイトルが「ルミ」に変更され、十一年の永眠に至るまで連載されていたが、未完に終わったことになる。

 それがどのような事情と経緯で童話春秋社から刊行の運びとなったのかは不明だが、それこそ大東亜戦争下で、このような函入り美麗本が出されたことに驚いてしまう。装幀は鈴木淳、挿画は土村正壽とある。しかも定価は二円八十銭なので、同時刊行だったとされる前後編合わせれば、五円六十銭となり、これも本連載814の美本といっていい『ドルヂェル伯の舞踏会』ですら、一円八十銭だから、児童書としてはかなりの高定価と考えざるをえない。ところが購入したのは昭和十六年一月初版、同五月再版なのだ。
f:id:OdaMitsuo:20180809142644j:plain:h110(『ドルヂェル伯の舞踏会』)

 そこで『日本児童文学大事典』を繰ってみると、その版元が立項され、そこに『家なき児』も挙げられていたので、それを引いてみる。

 童話春秋社 どうわしゅんじゅうしゃ 出版社
 一九三九(昭和14)年三月一日、篠崎仙司が東京日本橋通り三丁目に創業。代表作では槇本楠郎『春の教室』、与田準一『牡蠣の旅行』に始まり、北川千代『山上の旗』、坪田譲治『善太と三年』、小川未明『雪原の少年』、荻原井泉水『一茶物語』などの史上に残る単行本のほか、鈴木三重吉『家なき児』を含む「世界名作選集」、宇野浩二らの学年別「童話読本」、千葉省三らの学年別「新撰童話」を出し、木村小舟『少年文学史明治篇』の名著もある。戦後のシリーズ「世界名作物語」を出し、五〇年一二月同和春秋社と改称。創作ものを離れ「日本名作物語」「昭和少年少女文学選集」などのほか、数十点に及ぶ名作シリーズをつぎつぎと刊行した。

 確かに『家なき児』の発行者は篠崎仙司とある。本連載158で、彼が弁護士だという言及を目にしたことがあったが、その経緯と事情は不明のままだ。それでも童話春秋社の代表作とされる著者の槇本楠郎、与田準一、北川千代、坪田譲治、小川未明などは『赤い鳥』の寄稿者、宇野浩二や千葉省三たちも同様であることから考えれば、篠崎も『赤い鳥』の関係者、もしくは近傍にいた人物のように思われる。しかし赤い鳥の会編『赤い鳥と鈴木三重吉』(小峰書店、昭和五十七年)などを読んでも、その名前は見出されない。ただ『赤い鳥と鈴木三重吉』をめぐる多様にして多彩な出版人脈がわかるし、森村桂の父であり、東京帝大独文科出身で後に作家となる豐田三郎が『赤い鳥』の学校回りの営業の仕事をしていたことを、ここで知らされた。
f:id:OdaMitsuo:20181004112858p:plain:h120(『赤い鳥と鈴木三重吉』)

 児童文芸雑誌『赤い鳥』は『日本近代文学大事典』に一ページ以上の立項があるので、詳細はそちらを見てほしいが、大正七年に鈴木三重吉主宰で、赤い鳥社から創刊され、二年ほどの休刊をはさみながらも、昭和十一年まで刊行されている。それは「童話と童謡を創作する最初の文学運動」を提唱して始まり、それに多くの作家たちが賛同し、巖谷小波を中心とする明治以来のお伽噺時代を脱却し、ここに近代児童文学の確立を見ることになったのである。
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 「ルミイ」の連載が始まった昭和七年十一月号の裏表紙一面に、『赤い鳥』のいくつものモットーが謳われ、「今のあたらしい童話、童謡、童謡の作曲、自由詩、自由画の運動も、すべて『赤い鳥』が創始したもの」との自負が示されている。実際に関東大震災以前の最盛期には三万部を超える成功を収め、『おとぎの世界』(文光堂)、『金の船』(キンノツノ社、後『金の星』金の星社)、『童話』(コドモ社)といった児童文芸雑誌も生み出され、大正期児童文学ルネサンスを形成するに至った。
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 おそらくそのような児童文学出版状況の中に篠崎もあって、童話春秋社を立ち上げたように思われる。だが『家なき児』に見られる高定価の『世界名作選集』の内容と、何冊だされたのかは判明していない。それらの児童文学出版の謎を含め、いずれ出版者としての鈴木三重吉にも言及してみたいと思う。


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