『新潮社七十年』は「日本少国民文庫」に続いて、昭和十四年から島崎藤村編「新日本少年少女文庫」全二十巻の刊行を始めたが、内容は「日本少国民文庫」と大同小異であるが、福永恭助『国の護り(陸・海・空)』を第一回配本としたことはすでに時局の緊迫を思わせる」と述べている。
(『国の護り』)
この明細が『日本児童文学大事典』に収録されているので、それを引いてみる。なおここでは23まで挙げられているが、刊行は20で終了したと見なし、それらは省く。
1 高須芳二郎 | 『日本とはどんな国か』 |
2 菊池寛 | 『海外に雄飛した人々』 |
3 加藤武雄 | 『愛国物語』 |
4 福永恭助 | 『国の護り』 |
5 太田正孝 | 『資源と産業 国の宝』 |
6 石原純 | 『私達の日常科学』 |
7 寺尾新他 | 『動物と植物の生活』 |
8 林 髞 | 『私達のからだ』 |
9 百田宗治 | 『僕らの文章・私達の詩』 |
10 豊島与志雄 | 『世界探検物語』 |
11 吉江喬松選 | 『心を清くする話』 |
12 佐藤春夫選 | 『日本文学選』 |
13 大佛次郎選 | 『現代日本文学選』 |
14 佐藤春夫選 | 『支那文学選』 |
15 島崎藤村選 | 『西洋文学選』 |
16 島崎藤村選 | 『新作少年文学選』 |
17 吉村新吉 | 『海洋の話』 |
18 武富邦茂 | 『南方の国めぐり』 |
19 遠山潤三郎 | 『空の神秘』 |
20 今野武雄 | 『数の図書館』 |
このように実際にリストアップしてみると、著者の菊池寛や石原純が共通しているだけで、「内容は『日本少国民文庫』と大同小異」ではない。4の福永恭助は海軍少佐で、戦時下をうかがわせるし、全体の内容も科学読物の色彩が強い。
「文学」と銘打たれているのは12から16で、そのうちの12の『日本文学選』が手元にある。先の『日本児童文学大事典』において、この12だけは明細が収録されていないけれど、これは『古事記』の「神武天皇の御東遷」から始まって、瀧沢馬琴『弓張月』に至る三十編からなるアンソロジーである。編者の佐藤の「序」によれば、「むかしの時代をふりかへつて見ると、大きな山脈のやうにわが国の立派な文学が遠い神代までつづいて、ところどころに大きな峯の頂が見える。その高い峯の一つ一つを指し示して、その山々の特長やその山々のつづきぐあひを説明したりしてみたのがこの本である」ということになる。それらに合わせ、装幀は「日本少国民文庫」と同様の恩地孝四郎だが、挿絵は鴨下晃湖、長谷川路可、吉田貫三郎、松田青風が担当し、本連載769の柳田国男の『火の昔』ではないけれど、「ヤングアダルト」向きの一冊に仕上がっている。
その事実は「日本少国民文庫」が「小国民」に対する児童文学として提出されたことに対し、「新日本少年少女文庫」は科学的啓蒙色が強く、それより年齢層が高い「少年少女」、すなわち「ヤングアダルト」を読者として想定したことによっているのではないだろうか。だがそれはともかく、『万葉集』の「海行かば 水漬く屍(かばね) 山行かば 草むす屍 大皇(おおきみ)の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ」という大伴家持の長歌が引かれ、これが「海の戦ならば水浸しの屍にならう。山の戦ならば草むらに埋もれ朽ちる屍にもならう。願わくは いつも 天皇陛下の御役に立つて 陛下の御側近くに死なせていただきたい」という軍人の覚悟を歌っていると説明される。
しかしその一方で、『伊勢物語』の「からごろもきつつなれしにしつましあれば はるばる来ぬるたびをしぞ思ふ」、あるいは「名にしおはばいざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありあなしやと」といった歌が引かれ、「昔おとこありけり」の物語のコアを伝えんとしている。『万葉集』から『伊勢物語』へ向かう回路は、「むかしの時代」の「山々の特長やその山々のつづきぐあひ」を浮かび上がらせているようで、『源氏物語』や『平家物語』を経て、『奥の細道』や『蕪村全集』にまでの旅が続いていることになる。
そのことを考えると、確かに「佐藤春夫選」となってはいるけれど、「序」は「編著者」とあり、佐藤選は付されているが、実際の「編著者」は別にいたように思えてくる。それは大東亜戦争下における「編著者」独自の日本文学アンソロジーとしても読めるし、この12に続く13から16にかけての各文学アンソロジーも同様なのかもしれない。そうすると、さらに大東亜戦争下における出版の謎は増していくばかりなのである。
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