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古本夜話840 誠文堂新光社「僕らの科学文庫」と二神哲五郎『ひかりの話』

 前々回の新潮社の「日本少国民文庫」の他にも、多くの「少国民」をタイトルにすえたシリーズ、及び同じく前回の「新日本少年少女文庫」のような科学的色彩の強いシリーズも、戦時下において増えていったと見られる。その双方と備えた企画として、岩波書店から「少国民のために」というシリーズが出されている。これは未見だが、『日本児童文学大事典』の解題によれば、戦時下の進行によって、社会科学書の啓蒙的出版は困難となったが、科学的読物の企画はまだ出版可能だったようだ。
少国民のために(「少国民のために」、『渡り鳥』)

 おそらくそのような分野の出版として、誠文堂新光社の「僕らの科学文庫」は成立したにちがいない。小川菊松は『出版興亡五十年』において、昭和十年に誠文堂が新光社を合併し、誠文堂新光社となってから、出版活動もさらに隆盛となり、社員も百名を超え、大出版社へと飛躍したと語っている。そして十五年までの全集物として、『最新科学工業大系』を始めとする二十余種を挙げ、岩波書店と同様に、雑誌の買切制に移行したことが述べられている。これらのことは生産を担う出版社の存在が高まり、昭和十年代前半において、支那事変などが起きていても、本連載でもたどってきたように、出版業界は全盛を迎えていたことを伝えていよう。
出版興亡五十年 

 そうした出版状況を背景として、「僕らの科学文庫」も出されたと小川は証言している。しかし留意しなければならないのは、創業者にして出版業界の裏表に通じた小川であっても、「僕らの科学文庫」は五冊出ただけだと述べていることだ。これは誠文堂や新光社はもちろんだが、例によって、誠文堂新光社が全出版目録を刊行していないことに起因している。私の手元に「僕らの科学文庫」の一冊があり、それは二神哲五郎『ひかりの話』だが、その「児童文化の黎明」とのコピーを付した巻末広告で見ても、十冊出ているとわかるし、また同時に原田三夫『植物採集と標本の作り方』などの「少年技師模型製作ニューハンドブック」シリーズも刊行されていたのである。原田と小川と誠文堂新光社の関係は、拙稿「原田三夫の『思い出の七十年』」(『古本探究Ⅱ』所収)を参照されたい。

f:id:OdaMitsuo:20181018115314j:plain:h110 f:id:OdaMitsuo:20181018121054j:plain:h110 古本探究2

 『ひかりの話』に戻ると、著者の二神は旧習帝大教授、理学博士である。その「序」は期せずして、戦時下での科学と軍部の関係が問わず語りのように述べられている。「今日は技術本部の将校が私の研究室を見に来られる」から始まり、学部長に案内されてきた将校に、「軍に関係のありさうな部分だけを御説明」するシーンにつながっていく。先ずディディミウム硝子で、これは光線を吸収し、明るいナトリウムランプの光を薄い紫色にし、戦車の窓に使えば、外を見るに不都合はなく、中に光は外にもれない。次は板硝子で、これは潜水艦の窓やボイラーの覗き窓に使われる。

 このような「御説明」が強化硝子、偏光板、X線を利用した色眼鏡、紫外線探照灯などにも及んでいく。そしてその将校はいう。精巧な機械ができても、今日の兵士は機械に慣れておらず、使えないので困る。「青年の機械に関する知識を向上さすには、小学校からの心掛けが肝心であらう」と。それに対して、二神は答えるのである。「只今、そんな目的で私の専門の方の光学に関する基礎的のことを、小学生の児童に判るやうに書いた書物を作つています」。つまりこれが『ひかりの話』ということになる。

 この会話から推測されるように、科学を始めとする啓蒙的実学書は戦時下において最優先される企画となっていたのだろうし、誠文堂新光社や岩波書店ばかりでなく、多くの出版社からも同じように刊行されたと判断できよう。手元にある『ひかりの話』は裸本だが、新四六判函入、初山滋装幀とされているので、おそらく全巻が挿画も含め、戦時下とは思えぬ児童書に仕上がっているのであろう。

 それでも念のために、『日本児童文学大事典』を確認すると、立項が見出され、解題とラインナップが掲載されている。それによれば、判型は最初四六判だったが、昭和十七年から四六判、重版本は菊判とあり、造本の異同を教えられるし、これも原田三夫の企画のようで、全巻に索引がついているのも、原田の意向とされている。それでは最後にそのラインナップを示しておく。昭和十五年から十七年にかけて十五冊が出されている。

1 光川ひさし 『宇宙旅行』
2 早坂一郎 『化石の世界』
3 鳩山道夫 『原子の話』
4 白井俊明 『火と焔』
5 川島四郎 『僕らの栄養と食物』
6 関谷健哉 『船』
7 野満隆治 『僕らの海』
8 二神哲五郎 『ひかりの話』
9 吉岡修一郎 『算術と数学の歴史』
10 山崎好雄 『僕らの飛行機』
11 作井誠太 『力』
12 山崎好雄 『飛行機の話』
13 藤木源吾 『僕らの理科実験』
14 緒方規雄 『顕微鏡と微生物』
15 佐野昌一 『僕らのラヂオ』

船 (『船』)

 なお8の巻末広告には近刊、続刊として、星野昌一『家の話』、千葉扎一『汽車と電車』、隅部一雄『自動車の話』、田口泖三郎『音の世界』、篠遠喜人『植物の話』、丘英通『動物の話』も挙げられていたが、それらは未刊に終わったようだ。


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