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古本夜話841 改造社「文芸復興叢書」、深田久弥『雪崩』、広津和郎『昭和初年のインテリ作家』

 本連載でずっとふれてきた本連載でずっとふれてきた昭和十年代半ばの外国文学も含んだ文芸書出版の隆盛は、突然もたらされたものではなく、そこに至る出版ムーブメントの結実と考えるべきだろう。高見順は『昭和文学盛衰史』の一章を「文芸復興」と題し、昭和八年における『文学界』(文化公論社)、『文芸』(改造社)、『行動』(紀伊國屋書店)の創刊を挙げている。

昭和文学盛衰史

 それらの文芸雑誌の創刊に加えて、各社から様々な文芸書シリーズが刊行されてことも「文芸復興」に寄与したと思われるし、『文芸』の改造社はそれを象徴するような「文芸復興叢書」を出している。そのことを知ったのは深田久弥の『雪崩』によってである。これは四六判の裸本で短編集だが、その巻末に「文芸復興叢書」の広告が掲載され、同書がこの叢書の一冊だと判明したのである。

 深田は明治三十六年に石川県大聖寺町に生まれ、一高を経て東大哲学科に進み、在学中から改造社編集部で働いている。そして「オロツコの娘」(『文芸春秋』掲載)やカリエスを病んだ津軽娘が明るくけなげに生きようとする「あすならう」(『改造』掲載)などを発表して作家生活に入り、昭和八年には小林秀雄や武田麟太郎たちと『文学界』を創刊している。このような深田の経歴から、「文芸復興叢書」の著者に選ばれたこと、及び『雪崩』の中に「あすならう」が収録され、それらの短編の多くが女性を主人公としていることなどが了承されるのである。私などにしてみれば、『日本百名山』(新潮社)やアルプス研究などの山岳家の印象が強いので、そのようなたおやめぶりは意外だった。だがその妻だった北畠八穂による代作問題や、「あすならう」が八穂をモデルとしていることを知ると、代作は初期の頃から生じていたのではなかとも思われる。
日本百名山

 この「文芸復興叢書」のラインナップを示す。例によってナンバーは便宜的にふったものであることを了承されたい。

1 横光利一 『花花』
2 川端康成 『水晶幻想』
3 深田久弥 『雪崩』
4 張赫宙 『権といふ男』
5 芹沢光治朗 『勿体ないご時世』
6 林芙美子 『散文家の日記』
7 武田麟太郎 『勘定』
8 藤沢桓夫 『燃える石』
9 林房雄 『青空』
10 広津和郎 『昭和初年のインテリ作家』
11 宇野浩二 『湯河原三界』
12 徳田秋声 『町の踊り場』
13 十一谷義三郎 『通百丁目』
14 龍膽寺雄 『跫音』
15 井伏鱒二 『逃亡記』
16 中河与一 『レドモア島誌』
17 宇野千代 『オペラ館サクラ座』
18 阪中正夫 『馬』
19 岸田国士 『職業』
20 杉山平助 『文芸従軍記』
21 小林秀雄 『様々なる意匠』
22 谷川徹三 『文学の世界』
23 三木清 『人間学的文学論』
24 正宗白鳥 『我最近の文学評論』

f:id:OdaMitsuo:20181019170926j:plain(『町の踊り場』)

ここではタイトルだけを挙げておいたが、この叢書は『日本近代文学大事典』に立項され、その収録作品の明細まで掲載されているし、この時代の「文芸復興」の内容を表象しているかのようでもある。その解題によれば、「『文芸復興』の先駆という自覚の下に改造社満一五年を記念して出版されたもののひとつ」とされ、発行年月日は昭和九年四月から五月だが、『改造』五月号の広告では「堂々弐拾四冊一斉発売」とあったという。

 その特色は作家たちだけでなく、20の杉山平助から23の三木清に見られるように、評論家も加えられていることにあるし、24の正宗白鳥にしても、タイトルどおり評論集となっている。それらの評論にしても、小林秀雄の「様々なる意匠」は昭和四年の懸賞評論で、昭和六年刊行の『文学評論』に収録されていたが、あらためてそれを21のタイトルとしてここに出されたことになる。それは「様々なる文芸復興」のメタファーのようである。

 それからさらに興味深いのは10の広津和郎の『昭和初年のインテリ作家』で、私はかつて「広津和朗と『改造』」(『古雑誌探究』所収)を書き、それらに関して論じている。広津は『改造』の昭和五年四月号に「昭和初年のインテリ作家」を、続けて七月号にその補足と見なせる「文士の生活を嗤ふ」を発表しているのだが、ここにその両者が収録されていたことを初めて知った。
古雑誌探究

 そこでもう一度「昭和初年のインテリ作家」にふれてみる。そこで広津らしき主人公の中堅作家北川、及び尾崎士郎がモデルである新進作家須永が「インテリ作家」と規定され、これは当時出現してきた「プロレタリア作家」に対応するタームとして使われている。つまりここで二人は古いタイプの作家で、功利主義と無縁な人生と芸術についての「純粋なアイドル・シンカー」と規定される。つまり作家は偶像にして考える人なのだ。

 しかし出版大資本主義の台頭に他ならない円本時代の到来と、雑誌のアメリカニズム化を迎え、この二人にしても、もはや「純粋なアイドル・シンカー」であることは許されない状況に直面していた。そこで北川は作家たちの「芸術協会」(文芸家協会)をバックとし、出版資本主義に対抗するサンディカリズムを提案するのだが、賛成者はわずか二人だけで、インテリ作家もプロレタリア作家も沈黙と守るばかりだった。かくして「文士の生活を嗤ふ」は「与へられたものによつて悲観し、与へられたものによつて楽観する―文士といふものは、昔から自分の生活を人まかせである」と結ばれている。

 それは現在に至るまで変わらなかったし、出版業界にしても同様に思える、


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