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古本夜話842 正宗白鳥『現代文芸評論』

 前回の「文芸復興叢書」も含めて、改造社の文芸書の全貌を俯瞰することは難しい。それは本連載でも繰り返しふれているように、改造社も社史や全出版目録が出されていないし、シリーズ物はともかくとして、単行本に関しては実物を見るまで、改造社から出ていたことを知らずにいた文芸書もある。

 そのような一冊として、正宗白鳥の『現代文芸評論』を入手している。これは昭和四年に改造社から刊行された四六判上製、四九二ページの函入本で、巻末にはやはり「白鳥著」として、『文芸評論』の他に、短編集であろう『安土の春』『ある心の影』『歓迎されぬ男』の三冊が並び、この時代に白鳥が改造社と関係が深かったことを伝えている。改造社の円本『現代日本文学全集』21の『正宗白鳥集』の刊行年を確認してみると、やはり昭和四年であることからすれば、両者の関係は『現代日本文学全集』の企画編集の進行過程で結びつき、『正宗白鳥集』に併走するようにして、『現代文芸評論』などの五冊が出されて行ったと見るべきだろう。
現代日本文学全集 (『現代日本文学全集』)f:id:OdaMitsuo:20181020112740j:plain:h115 (『正宗白鳥集』)

 『現代文芸評論』は「夏目漱石論」を始めとする作家論と「演芸時評」が柱となっていて、前者は高橋英夫編『新編作家論』(岩波文庫)で何編か読んでいるので見てみると、「夏目漱石論」以外に、「二葉亭について」「徳田秋声論」「岩野泡鳴論」「ダンテについて」が重複しているとわかる。岩波文庫版の「初出一覧」によって、これらと他の作家論のほとんどが昭和二年から中央公論に連載されたもので、まだ中央公論社に出版部がなかったことから、改造社の『文芸評論』と『現代文芸評論』に収録されたのであろう。その『中央公論』連載は、円本の『現代日本文学全集』や春陽堂の『明治大正文学全集』のベストセラー化によって、明治大正の作家論への要求が高まったことで執筆されたようだが、白鳥自身もまたそれらを読むことで、作家、作品論を書いているとわかる。
新編作家論 明治大正文学全集(『明治大正文学全集』)

 それらの円本の出現は読者だけでなく、作家や評論家たちにも、明治大正文学をいながらにして俯瞰することを可能にさせたといえるし、やはり円本はこれまでと異なる文化、出版インフラを出現させたのである。それらは本連載でもずっとふれてきた新潮社の『世界文学全集』、平凡社の『現代大衆文学全集』『社会思想全集』、春秋社の『世界大思想全集』なども含まれているわけだから、世界の同時代的文学や思想の一大パノラマを提出することになった。そこで何かが変わりつつあった。そのことを自覚しながら、白鳥ならではの作家論、作品論を書いているし、「岩野泡鳴論」などにふれていたいのだが、ここではそうした円本と白鳥の関係を考え、「ダンテについて」を取り上げてみたい。
現代大衆文学全集 (『現代大衆文学全集』) 世界大思想全集 (『世界大思想全集』)

 白鳥はそこで『聖書』を「古代史」「人生記録」「素朴なる小説」「純粋なる詩歌」として読み、「一生座側に具へ置くべき愛読書の一つ」だと始めている。それは『聖書』が少年時代からの愛読書であったことも意味しているし、『神曲』もまた同様に位置づけられ、論じられているのである。しかしこのイントロダクションにおいて、白鳥が述べているのは、かつて古書にふれるように『聖書』や『神曲』に親しみ、読んできたような時代と環境が異なってきたことだ。毎日、毎月にふれる文章は新聞、雑誌、新刊書であり、「世に遅れまいとして、現代の雑駁な知識をそれ等から得るのに急がしい。自然速読の習慣がついた、一巻の書物を手にしても、汽車の窓から外を見るやうな態度で読むやうになつてゐる。山を下り谷を渡り、一歩々々移り行く光景を静かに眺め静かに味ふやうなことは稀になつた」と述べ、さらに続けている。

 私は、時としては印刷術の幼稚だつた昔を羨ましく思ふ。欧州の中世紀、日本の徳川期以前には、多数者は殆んど文学を解しないのであつたが、その頃少数の読書力を具へてゐた人々は、自分の趣味に適した書巻を一字一句反復熟読して、そこに含まれた澁味を残るところなく味得したのであつた。私なども幼少の時分には、一篇の小説一巻の史伝を珍重して、殆んど暗誦するほどに耽読したことがあつた。種々雑多の書物の目まぐるしく出版される今日は、書物の有難さ尊さが薄らいだ。
 書物の尊さを云へば、少年の頃、まだ都会の地を踏まない前に、僻陬の郷里の、古ぼけた二階の一室で、東京から取寄せた雑誌や新刊書を読んでゐるうちに、西洋では、ホーマー、ダンテ、シエークスピア、ゲーテといふ人々を、古今を貫いた大詩人として尊崇してゐることを知つた。それは、団菊左の三人が当時の東京の劇団での三大名優であることを知つたのと同様であつて、東京へ行つたら、それ等三名優の芝居を観なければならない、東京へ行つたら早く英語に熟達して、それ等西洋の四大詩人の傑作を読まなければならないと前途に楽しい希望を描いた。

 これは近代出版界における大正から昭和初期にかけての貴重な証言と思われるので、省略せずに長い引用になってしまった。かつて拙稿「正宗白鳥と『太陽』」(『古雑誌探究』所収)で、明治二十年代の白鳥の読書史をたどり、まだ出版社・取次・書店という近代出版流通システムが整備されていなかったために、文字どおり通信販売で「東京から取寄せた雑誌や新刊書」を読んでいたことを既述しておいた。実際に白鳥が書店で雑誌や新刊書を買うようになったのは、明治二十九年の上京後だったのである。
古雑誌探究

 つまり白鳥は岡山の明治二十年代の地方での読書環境を回想し、近代出版業界が発展した現在、すなわち昭和初期の「汽車の窓から外を見るやうな態度で読むやうになつてゐる」ことを語っているのである。しかもその事実を抜きにして、白鳥の文学者として経済もありえなかったのだ。

 なお白鳥が座右に置く「ケリー英訳の『神曲』」は明治三十八年六月に丸善で購入した一冊で、この二十余年間、ずっと読み続けたと始め、「ダンテについて」を語っていくのだが、すでに紙幅が尽きてしまった。この続きは岩波文庫版所収をひもとかれたい。


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