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古本夜話844 平井博、映画荘、木々高太郎『人生の阿呆』

 本連載839の新潮社「新日本少年少女文庫」の著者として、前回の高須芳次郎と並んで、林髞の名前も挙がっていた。林は慶應大学医学部出身で、ソ連に留学し、パブロフの下で条件反射理論を学び、大脳生理学を研究し、昭和九年から慶大医学部教授に就任している。
 
 その一方で、科学知識普及会評議員仲間である海野十三に勧められ、木々高太郎名で『新青年』に初めての医学ミステリー短編「網膜脈視症」を発表する。それから矢継ぎ早に作品を発表していくのだが、昭和十一年には長編『人生の阿呆』、これも『新青年』一月号から五月号まで連載し、翌年に第四回直木賞を受賞するに至り、文壇的地位も確立したとされる。私はかつて『小栗虫太郎・木々高太郎集』(『日本推理小説大系』5、東都書房、昭和三十六年)で、「網膜脈視症」と『人生の阿呆』を読んでいたけれど、それらの内容はすっかり忘れてしまっていた。

f:id:OdaMitsuo:20181023163539j:plain:h110 人生の阿呆(沖積舎覆刻版)

 ところが昨年たまたま八木書店の特価本売場に降りて、木々高太郎の『人生の阿呆』を発見したのである。それは沖積舎が平成十四年に覆刻した限定三五〇部の一冊で、『人生の阿呆』の単行本が昭和十一年に版画荘から刊行されていたことを初めて知った。版画荘に関しては本連載459でふれ、『日本オルタナ出版史1923−1945 ほんとうに美しい本』(『アイデア』354、誠文堂新光社)における版画荘と、創業者の平井博のポルトレも紹介しておいた。そこには石川淳の第四回芥川賞受賞作『普賢』の書影も見えていたことからすれば、版画荘は同年に芥川賞、直木賞の双方の受賞作を刊行した版元だったことになる。版画荘のようなリトルプレスの単行本が同時にダブル受賞することは話題を呼んだと思われるが、出版史や文学史において、そのことも版画荘のことも忘れられて久しい。

日本オルタナ出版史1923−1945 ほんとうに美しい本 (『普賢』)

 だが沖積舎による覆刻はそれらのことをあらためて喚起させ、確かに『人生の阿呆』は覆刻に値する装幀、造本に他ならないことを教えてくれたこともあり、これで再読してみる。まず木々による「自序」が置かれ、沖積舎版外函に引かれている「探偵小説は、最も理智的にして、最も高尚なる精神活動の文学」という所謂「探偵小説芸術論」の提出も重視すべきだが、ここでは出版経緯と事情を述べた部分に注視したい。

 木々は同書を雑誌掲載のものと面目を一新した「定本」と見なしてほしいと記し、次のように書いている。

 作中の情景に応ずる、ソビエツト連邦の写真十数葉を挿入し、且つ、出版者平井博氏の、並々ならぬ好意と趣味とにより、豪華なる一書となつたことも、呉々も嬉しい。
 この書を、平井氏の手に托するためには、奇しき縁があつた。作者の露西亜語の師である、ヴエ・ガロフシチコフ氏が、或日作者を訪れた。そして、自分の友、ヒライさんが、君の小説を出版し度いと言ふてゐるが、紹介を頼む人がいないと言ふので、自分がやつて来たのだと言つた。そして、君はどんな小説を書くのか自分は日本語は読めぬけれども、それはチエーホフのやうな小説であつて欲しいと述べて、作者をして、赤い顔をさせたのであつた。数日過ぎて、このゲー氏に招かれて、行つて其処で平井氏に逢つた。そして、文学の書よりも、更らに、より文学の書として、この作を出版し度いと言ふ楽しい交渉を受けた。

 これには少しばかり説明が必要であろう。平井は昭和七年に銀座並木通りに創作版画専門画廊の版画荘を開店し、版画家たちのパトロン的存在となり、出版も手がけるようになっていった。その一方で、ソ連から亡命した画家ワルワーラ・ブブノワや建築家のブルーノ・タウトと親交を結んでいく。平井と木々をつないだ「ガロフシチコフ氏」=ゴロフシチコフとはこのブブノワの夫であり、これらの人々をモデルとして、石川淳の『白描』は成立している。ただブブノワの夫が木々のロシア語教師だったのは意外であったし、ここで『人生の阿呆』の特異な造本による「豪華な一書」が、平井の「並々ならぬ好意と趣味」に基づき成立したことを知るのである。それゆえに、装幀者の名前も記されていなかったのだ。

白描

 『人生の阿呆』は左翼運動に関わり、獄中生活を送り、転向して出所してきた比良良吉を主人公としている。父親は製糖会社を一代で築き、彼はその長男だった。しかしその会社の主力商品である比良カシウという小菓子によるストリキニーネ毒殺事件が起き、それは「カシウ殺人事件」として、二人の女性が亡くなっていた。それをめぐって警察の捜査が始まるが、その背後には比良家の祖父の問題と様々な因縁、父の会社の労使関係と社員の確執、良吉の左翼運動の波紋などが重なり合って、「カシウ殺人事件」が起きているようなのだ。両親が事業に没頭してきたことから、祖母に育てられたといっていい良吉は事件が広まる前に、父の意向によって、シベリア鉄道でヨーロッパに向かう。

 『人生の阿呆』の造本と構成の圧巻は、その「モスコウへの道」から始まる「作中の情景に応ずる、ソビエツト連邦の写真十数葉」の挿入、それに文中の一節を添えたモンタージュ処理ともいうべき平井の「趣味」である。それによって、これらの数章は「カシウ殺人事件」とは異なる別の物語の様相を呈するのだが、忘れ難き印象を残す。

 きっとこの版画荘版で『人生の阿呆』を読んでいた同時代の読者も、同様の思いを抱いたにちがいない。おそらくそれも直木賞受賞に大きく影響したのではないだろうか。このことにしか言及できず、『人生の阿呆』の解明に至らなかったけれど、それだけでも版画荘と沖積舎の「覆刻」へのオマージュの役割を果たしたつもりでいる。


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