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古本夜話845 石坂洋次郎『麦死なず』と『雑草園』

 本連載842の正宗白鳥とは異なる意味で、少しばかり意外に思われるかもしれないが、石坂洋次郎にしても改造社との関係は深く、昭和十一年の『麦死なず』、翌年に『若い人』を改造社から刊行し、作家的地位を確立したとされる。しかも前者は同社の『文芸』に掲載されたものである。後者は同八年から『三田文学』に断続的に連載され、その単行本に関しては、私も以前に「改造社と石坂洋次郎『若い人』」(『古本探究Ⅱ』所収)を書いている。

f:id:OdaMitsuo:20181026230349j:plain:h115(『麦死なず』)古本探究2

 その後、これは正宗白鳥と逆だけれど、石坂は昭和十四年に中央公論社から随筆集と呼んでいい『雑草園』を出し、それを入手している。これは三十六編の様々な感想、書評、随筆などを収録した一冊だが、このような作家の随筆集が深澤索一の装幀、画、刻、摺といった手のこんだ函入造本によって刊行されていることは、そうした文芸市場がこの時代に成立していた事実を告げているのだろう。

 しかもそこには『若い人』への言及は見当らず、「わが文学論」と「悪作家より」の中で、『麦死なず』にふれ、後者において、『文芸』が創作欄の全スペースにわたって、その四百八十枚を一挙掲載し、「悪作」「力作」の賛否を得たとし、「悪作」評についての反論をしたためている。その『麦死なず』の背景は、前者で次のような説明がある。

 嘗て左翼の文学が盛んであつた頃、私は雪の深い田舎に居つて、彼等の機関雑誌や新聞などを毎月手に入れて、胸を躍らせながらひそかに読み耽つて居つたのであります。あの粗末な紙に特別大きな活字で印刷された激越な宣言の文章や、圧迫された階級の人が、赤の思想の下に一致団結して、不義にして富み栄える階級の人々に悲壮な戦を挑むといつた仕組の小説を、私は脳天を槌で敲かれるやうな強い衝動を受けながら読み噛つて居たのであります。

 それだけでなく、「丁度それと前後して起つた私の身辺のある経験」をベースにして、『麦死なず』は書かれている。これは改造社版ではなく、戦後の新潮社の『麦死なず・海を見に行く』(『石坂洋次郎文庫』1、昭和四十二年)で読んでいる。そのエピグラフとして、「一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん。もし死なば多くの実を結ぶべし」という「ヨハネ伝」の一節が引かれているように、このタイトルは『聖書』からのものだ。それに並んでジイドの著作からも一文が引かれていることからすれば、ジイドの『一粒の麦もし死なずば』(堀口大學訳、第一書房)に由来しているとも考えられる。
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 『麦死なず』は昭和六、七年の東北地方を舞台とし、主人公の五十嵐は作家志望の英語教師で、妻のアキは三児を育てている主婦だった。ところが「世間にも我が家にもおかしげにのさばった共産主義運動」はアキにも及び、その指導を受けていたプロレタリア作家の牧野を頼り、共産主義運動に入ろうとし、子どもたちを残し、東京へと家出するが、汽車酔いがひどく、途中で引き返してくる。

 五十嵐のほうも共産主義運動を畏敬し、牧野の人物と才能を信頼していたこともあり、あらためてアキを上京させ、牧野のもとに向かわせるが、その十日後に病気の報を受け、迎えていき、これで決着がついたと考えていた。しかしその後もアキと牧野の交流は続くので、いったんはアキを郷里に返して別居生活をしたが、改まることはなく、ついに離別を決意し、そこで五十嵐はアキから、上京中の牧野との関係を告白される。そこから『麦死なず』は始まり、書き出されている。

 ふとしたきっかけで、アキの口から、アキと牧野との間に肉体の交わりがあったことを洩らされたとき、五十嵐は衰え切った頭の中に、いまさら鈍い杭でも打ち込まれたような底痛い衝撃を受けた。もうこれ以上のことがあっては身体がもたない、ほんとにその危ない線まで迫っている、そう感じ出してから何度目かのグヮーンという最終的な打撃だった。(中略)
 その興奮が少し鎮まると、拠り所のないすてばちな寂しさが着物の襞合(ひだあい)のような薄暗い窮屈な世界へ五十嵐をグイグイ引き込んでいった。
 「ああ、欺されてたなあ、おれは! 人にも、主義にも、自分自身にも……」
 (中略)そして、この瞬間から、過去八ヵ月の無我夢中な生活が、靄が霽れていくように、細かいところまでハッキリ首尾を整えて五十嵐の眼の前に繰り展げられてきた。瓜を噛むばかりに軽薄な人間どもの蠢く姿だった……。

 この『麦死なず』の物語は実際に石坂夫妻の体験に基づき、牧野のモデルがプロレタリア作家の山田清三郎だとの指摘もできる。それゆえにこの五十嵐の告白は石坂自身のものと見なせよう。
そしてエピグラフとタイトルは、「人も、主義も、自分自身も」麦だと思っていたのに、単なる流行思想にまどわされただけで、実を結ぶことなく終わったことを告げている。

 この度は『麦死なず』を読みながら思い出されたのは小島信夫の『抱擁家族』であり、『麦死なず』は戦前のそれではないかとの印象を受けた。しかも小島の『抱擁家族』が戦後のアメリカニズムの浸蝕によるものであることに対し、『麦死なず』はマルキシズムというソ連に象徴される共産主義幻想によるもののようも読みとれる。
 
 そして『麦死なず』のクロージングの「世間にも我が家にもおかしげにのさばった共産主義運動はあらかた終熄した」後、『若い人』などの石坂文学が開花していくことが了承されるのである。

抱擁家族 f:id:OdaMitsuo:20181026225615j:plain(新潮文庫版)


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