出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話847 聖紀書房「名作歴史文学」と藤岡淳吉

 昭和十年代後半には「名作歴史文学」といったシリーズが刊行され、かなりの売れきを示したようだ。これは昭和十八年に聖紀書房から出され、そのうちの一冊の吉川英治『大谷刑部』を浜松の時代舎で購入している。
f:id:OdaMitsuo:20181027195807j:plain:h120

 これは表題作をタイトルとする短編集だが、四六判上製、函入、装幀は木下大雍で、押し詰まってきた戦時下にあっても、落ち着いた佇まいの造本だという印象を受ける。それもそのはずで、奥付を見ると、初版一万部とあり、これは本連載786などで既述しているように、国策取次の日配は買切制を実施していたことから、定価二円を単純計算し、出版社の出し正味を七〇%とすれば、一万四千円の売上となることがわかる。それをふまえていないと、巻末の「名作歴史文学」の明細のちぐはぐさが理解できないだろう。そのリストを挙げてみる。
  

1 長与義郎 『青銅の基督』
2 田山花袋 『通盛の妻』
3 藤森成吉 『悲恋の為恭』
4 貴司山治 『盲龍図』
5 菊池寛 『仇討禁止令』
6 細田源吉 『一念』
7 片岡鉄兵 『陽炎記』
8 吉川英治 『大谷刑部』
9 武者小路実篤 『日蓮』
10 森田草平 『吉良家の人々』
11 高山樗牛 『瀧口入道』
12 山田美妙 『平清盛』
13 直木三十五 『楠木正成』
14 佐藤春夫 『国姓爺』
15 大佛次郎 『薔薇の騎士』
16 加藤武雄 『運命』

 おわかりのように、作品が歴史物で共通しているとはいえ、作家は白樺派、自然主義、プロレタリア文学、大衆文学などと入り乱れ、「名作歴史文学」編集のコンセプトのちぐはぐさを伝えている。

 これも念のために『日本近代文学大事典』を確認してみると、意外なことに前回の「学芸随筆」と同じく、解題が見られるのである。それによれば、昭和十年代後半において、歴史文学への関心が強まり、それを背景としてかつての歴史文学の代表作を中心に編まれたとある。しかし8までは続けて刊行されたが、9、10、11、12は刊行順序が変わり、14の佐藤春夫に至っては『山田長政』とタイトルも差し換えられ、13、15、16は未刊に終わったことになる。
f:id:OdaMitsuo:20181027143534j:plain:h110 (「学芸随筆」、『わが鑑賞の世界』)

 それはともかく、聖紀書房の発行者である藤岡淳吉にも、そのちぐはぐさはつきまとっている。その名前は『出版人物事典』にも立項されているので、それを引いてみる。
出版人物事典

 【藤岡淳吉 ふじおか・じゅんきち】 一九〇二~一九七五(明治三五~昭和五〇)彰考書院創業者。高知県生れ。大正期の大商社鈴木商店に入社するが商社を捨て、堺利彦に師事、社会主義運動を行い投獄される。一九二六年(大正一五)共生閣をつくり、わが国ではじめてのレーニンの『国家と革命』を出版した。戦時中、世紀(ママ)書房専務つとめ石原莞爾ものなどで当てた。戦後、彰考書院を創業、幸徳秋水、堺利彦訳『共産党宣言』をはじめて完訳出版。四六年(昭和二一)民主主義出版同志会のリーダーの一人として、用紙割当ての民主化を叫び、大手出版社、製紙メーカー、GHQ(連合国軍総司令部)などと渡りあった。毀誉褒貶はなはだしかったが、出版史の一時期を画した人物であった。

 この共生閣の出版物の全貌は把握していないけれど、その共生閣文庫の一冊が手元にある。それはポポフ著、吉山道三訳『同盟軍としての農民』で、小冊子といっていい八五ページ、定価二十銭、昭和七年に刊行されている。共生閣文庫は何冊出されたのか不明だが、同書には13のナンバーが付され、巻末には「刊行者の言葉」も掲載されている。そこには「マルクス主義文献中、わが戦闘的労働者の科学的武器として特になくてはならぬものゝみを選んで、廉価で、というよりか寧ろ損得を考へず、現在の労働者階級の負担能力に応じて刊行するところの、共生閣の階級的義挙出版」で、「労働者農民の中に持ち込む宣伝、煽動のための小冊子を廉価で提供」とも宣言されている。

 しかしこれはよく知られた戦前の出版史の事実だが、藤岡は「共生閣の階級的義挙出版」のすべてを焚書とし、左翼出版者として転向するに至る。そして次に聖紀書房の発行者として現われ、先に示したように、戦後には民主主義出版同志会のメンバー、彰考書院創業者として台頭する。そしてその『共産党宣言』は未見であるけれど、澁澤龍彥訳、三島由紀夫序文の『マルキ・ド・サド選集』全三巻の版元、発行社として、私たちは出会うことになったのである。それがまたちぐはぐな印象を与えたし、先の立項に「毀誉褒貶はなだしかったが、出版史の一時期を画した人物」だと評された由縁ということになるのだろう。

f:id:OdaMitsuo:20181028111850j:plain:h110  f:id:OdaMitsuo:20181027234148j:plain:h100 (『マルキ・ド・サド選集』)


odamitsuo.hatenablog.com


[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら