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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話848 『日暦』と川端康成『抒情歌』

 本連載840の昭和十年前後の文芸リトルマガジンの相次ぐ創刊が、その後の文学書出版の隆盛へとリンクして行ったと見なすことができる。そうした出版状況を考えると、それは必然的に当時の小出版社の位相へとも結びついていくことになる。

 『日本近代文学大事典』で、高見順、荒木巍、石光葆たちが創刊メンバーだった『日暦』を確認すると、この文芸同人雑誌は昭和八年から十六年にかけて全二十一冊が出され、発行所は十号までが春陽堂、十一号から竹村書房、それから本連載822の岡倉書房へと移ったとある。これまで『集団』などの左翼的な同人雑誌によっていたメンバーがプロレタリア文学の崩壊期を迎え、その政治主義的傾向から離れ、現実的で文学的な立場からの再出発を志向し、荒木の主唱と命名によって創刊されたという。

 『日暦』の発行所が春陽堂であることは高見順の『昭和文学盛衰史』で承知していたが、その後竹村書房や岡倉書房が引き受けたことは知らずにいた。そしてそのような同人雑誌に関係していたからこそ、まさにリトルプレスとしての竹村書房の文芸出版も可能だったことを実感するのである。
昭和文学盛衰史

 私は以前に「尾崎士郎と竹村書房」(『古本探究Ⅱ』所収)を書き、そこで尾崎士郎の最初の随筆集『牛刀』(昭和十一年)と『人生劇場』(同十年)にふれている。それらはいずれも竹村書房の刊行だが、『人生劇場』は文壇と関係がない『都新聞』に連載されていたためか、売れ行きが悪く、初版千部のうちの五百部がようやく出ただけだった。ところが川端康成が『読売新聞』の「文芸時評」で激賞したことによって、たちまちベストセラーとなったにもかかわらず、版権が新潮社に移ってしまった事情が不明だとの疑問を呈しておいた。

古本探究2  f:id:OdaMitsuo:20181030100606j:plain:h110(新潮社版)

 また続けて、「坪田譲治と馬込文士村」((同前)で、やはり坪田が竹村書房から『お化けの世界』『晩秋懐郷』(いずれも昭和十年)、『風の中の子供』(同十一年)を刊行していることにふれている。そして近藤富枝の『馬込文学地図』(中公文庫)を引き、尾崎士郎と坪田と馬込文士村の関係から、『人生劇場』と同様に、坪田の著作にしても、馬込文士村の申し子のようなものではなかったかと述べておいた。そのような事実からして、竹村書房も馬込文士村の近傍にあった版元のようにも思われた。
馬込文学地図

 それに加えて、『日本出版百年史年表』、またやはり竹村書房から同名の芥川賞受賞作を含んだ『城外』(昭和十一年)を上梓した小田嶽夫『文学青春群像』(南北社)、及び昭和十二、三年に竹村書房の校正を手伝っていた平野謙の『文学―昭和十年前後』(文藝春秋)の証言に基づき、次のような竹村書房のプロフィルを提出しておいた。竹村書房は昭和十年に改造社の営業部にいて竹村坦が同僚の大江勲を誘って設立した版元で、住所は東京市四谷区坂町に置かれていた。月二冊ずつ新人の創作集を刊行し、部数は千部以下、印税らしい印税は払っていなかったはずで、それで何とか商売が成り立っていたようだ。大江と坂口安吾は中学の同級であったことから、坂口の第一創作集『黒谷村』も出版し、『吹雪物語』の書き下ろしに当たっての生活の面倒も見たという。

 さらにまた戦後の竹村に関して、小田久郎の『戦後詩壇私史』(新潮社)における証言を引き、中央公論社出身の牧野武夫が興した乾元社の役員を務めていたこと、そこに筑摩書房の古田晁が激励しにきていたことを紹介しておいた。筑摩書房との関係は企業整備で竹村書房が筑摩書房に合併されたことによっているだろうし、また乾元社も倒産してしまい、その後の竹村の行方はつかめない。牧野と乾元社については拙稿「円本時代と書店」(『書店の近代』所収)や「ある出版社の軌跡―牧野武夫」(『古本探究』所収)参照されたい。

戦後詩壇私史 書店の近代  古本探究

 だがふたつほど気がかりなことがあって、そのひとつは竹村書房の全出版物が判明していないことである。その収録があるかと思い、昭和十五年六月刊行の『東京書籍商組合図書総目録』を繰ってみたのだが、竹村書房は東京書籍商組合に加盟していなかったようで、版元名も出版物一覧も収録されていなかった。それでも『日暦』の発行所だったことにより、高見順小説集『流木』などが出されていた事情を了承したことになる。

 ふたつめは意図的に竹村書房の単行本の刊行年を記しておいたのだが、『日本出版百年史年表』によれば、竹村書房の創業年は昭和十年五月である。それなのに同十、十一年の単行本が多く、また『人生劇場』は十年三月刊行とされていることは、創業年とは抵触しているのではないかと考えたのである。そしてその後、昭和九年十二月刊行の川端康成自選集巻末には既刊書として、林房雄『柘榴のある庭』『文学放談』が掲載されていることからすれば、川端の著作以前に刊行されていたはずで、それは竹村書房が昭和九年にはすでに創業していた事実を告げている。

 この事実は川端による『人生劇場』の激賞をきっかけとしたベストセラー化も、先んじて著作を刊行していた川端と竹村坦が仕掛けたパブリシティに端を発していたことを教えてくれる。『日本出版百年史年表』のデータが何に基づいているのかは不明だが、現物に当たってみると、それが間違いだとわかる。近代出版史は謎だらけであることは承知しているが創業年の特定も難しいことを伝えていよう。


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