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古本夜話850 荒木巍『幸運児』、「博文館純文学書」、石光葆

 昭和十七年にやはり博文館から刊行された荒木巍の小説集『幸運児』という一冊がある。荒木の名前は本連載782の河出書房の「書きおろし長篇小説叢書」や同785の「短篇集叢書」の著者として名前を挙げてきたけれど、現在ではもはや忘れ去られてしまった作家だと思われるので、先に『日本近代文学大事典』における立項を引いておく。
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 荒木巍 あらきたかし 明治三八・一〇・六~昭和二五・六・四(1905~1950)小説家。東京生れ。本名下村是隆。昭和七年、東京帝大支那文学科を卒業。在学中より「文芸尖端」「集団」の同人として、下村恭介の名で作品を発表。八年五月、『その一つのもの』が懸賞当選作として「改造」に発表され、文壇に登場した。同年九月、高見順、大谷藤子、渋川驍らと「日暦」を創刊、(中略)一一年三月、武田麟太郎主宰の「人民文庫」創刊に際しその執筆グループが加わり、(中略)戦後、小学館発行「新人」の編集長となり八冊を刊行したが、結核のため病没。(後略)

 作品や著書は省略したが、それらはかなり多数に及んでいるようだし、『幸運児』にしても、そこには挙げられていない。だから前々回もふれた、同じく『日暦』の創刊メンバーである高見順の『昭和文学盛衰史』における「文芸復興」ではないけれど、荒木もそのような時代の主だった作家の一人と見なしていいのかもしれない。『幸運児』は六編からなる小説集だが、その冒頭の「幸運児」はそうした荒木のカリカチュアとも読める高米太郎という医師兼医事評論家を主人公としている。高米は「この半年以来、二三冊の本を書き下してそれが飛ぶやうな売行を示してゐるし、高級雑誌からも婦人雑誌からも引張凧で、勢力にまかせて夜も日も足りぬくらゐに書いてゐる」とされ、そのタイトルに表象されているように、「幸運児」とは高米がたどるトラジコメディ的な行方を描いているといえよう。

昭和文学盛衰史

 その「あとがき」に「大した力もなく作家になつた苦しさ」が述べられていることは、『改造』の懸賞当選から『日暦』や『人民文庫』に至る作家としての自己注視を意味しているのではないだろうか。それはまた同じく「あとがき」に見える、『幸運児』を編集した博文館文芸部の石光葆も共有していたもののように思える。この石光はやはり、東京帝大国文科で荒木とともに『集団』の同人、『日暦』や『人民文庫』のメンバーで、高見の『昭和文学盛衰史』にも立項が見つかる。だがいずれも石光が昭和十年代後半に博文館の編集者だったことにはふれていない。

 それゆえに、ここで石光が『幸運児』の巻末に掲載の「博文館純文学書」の企画編集者だったであろうことを記しておくべきだろう。それをまず装幀者も含め、リストアップしてみる。

1 芹沢光治良 『憩ひの日』  装幀 南薫造
2 真杉静枝 『妻』     装幀 鳥海青児
3 壷井栄 『ともしび』   装幀 松山文雄
4 船橋聖一 『篠笛』    装幀 佐野繁次郎
5 芹沢光治良 『魚眼』    装幀 有島生馬
6 室生犀星 『蟲寺抄』    装幀 著者
7 太宰治 『女性』     装幀 阿部合成
8 中村地平 『あをば若葉』  装幀 中川一政
9 荒木 巍 『幸運児』    装幀 小島善太郎

篠笛 (『篠笛』)f:id:OdaMitsuo:20181130174151j:plain:h110

 この「かうひやう嘖々」と謳われている「博文館純文学書」が、ひとつの「叢書」と断言できないにしても、B6判函入、6を除いてそれぞれの画家による装幀というフォーマットからすれば、ひとつの文芸書シリーズと見なすことができるだろう。それに『博文館五十年史』はこの時代にまで及んでいないので、これらの「純文学書」出版の事情は詳らかでないが、長篇小説、短篇集、書下し創作などが混交するシリーズは、石光のような一人の編集者によって集中して刊行されたと考えるべきだろう。

 そうした事実から判断すると、昭和八年における文芸雑誌『文学界』『行動』『人民文庫』の創刊を機として、さらなるリトルマガジンの創刊が続き、そこから新しい作家たちの出現も見た。しかしそれは作家だけにとどまらず、詩人や翻訳者たちと同様に、多くの編集者たちも必然的に生み出され、石光ではないけれど、様々な出版社に関わるようになった。それを背景にして、昭和十年代からの文芸書出版の隆盛が始まっていったとも考えられるのである。

 そしてそれは本連載787で、河上徹太郎の昭和十四年における「どんな文学書でも売れてゆく」という証言を引いておいたが、出版社にとっても、戦時下にあるにもかかわらず、「文学書」の時代を迎えていたし、そのような企画は引く手あまただったと推測される。ちなみに『幸運児』にしても、奥付には「初版五千部」と明記されている。それゆえに、「博文館純文学書」も企画刊行されたと考えていいだろう。


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