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古本夜話852 大倉書店と落合直文『言泉』

 前回はふれられなかったが、森本岩夫の『若き剣士物語』の中において、ニューヨークのモルガン邸のマダム・モンの居間の光景が描かれていた。彼女は太郎一が思いを寄せた女学生のモンで、アメリカ人と結婚し、渡米したが、夫を亡くし、未亡人となっていた。その居間には日本の美術品や骨董品などが並べられ、次のように続いている。
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 螺鈿ぢらしの紫檀の大きな飾棚には、日本の古今雛、御所人形、木目込人形、武者人形などの傑作がそろへてあり、その下方の段に数十冊の書物が立てならべてある。洋書の中にめづらしく『言泉』の六冊ぞろひ、『大日本国語辞典』の五冊ぞろひ、特製版の『大言海』の五冊ぞろひが、装幀の豪華な外国本に劣らず異彩を放つてゐる。これらの日本語辞典は、夫人が日本文学の古典、たとへば『源氏物語』や『平家物語』などを読むために、わざゝゞ日本から取り寄せたものである。

 ここには『若き剣士物語』にとって必然的なジャポニスムの配置の他に、独学者だった森本の辞典への愛着が投影されているように思われる。それらの『言泉』は昭和四年に大倉書店、『大日本国語辞典』は同三年、『大言海』は同七年にいずれも冨山房から刊行されている。同九年の平凡社の『大辞典』を加えれば、この時期が言葉の辞典出版の黄金時代だと見なしていいのかもしれない。それもあって、「装幀の豪華な外国本に劣らず異彩を放つてゐる」と描写されることになったのであろう。
f:id:OdaMitsuo:20181205000610j:plain:h90(『言泉』) f:id:OdaMitsuo:20181205111323j:plain:h90(『大言海』)

 たまたま近年、そのうちの『言泉』全六巻を入手している。確かに四六倍判、背革上製、函入の端正な姿は、森本の描写にたがわない。歌人にして国文学者の落合直文によって明治三十一年に『ことばの泉』として刊行され、その後三十六年に亡くなっている。落合の「緒言」によれば、明治二十一年に言語取調所を興したことから始まり、日清戦争を経たことで、「兵站部」「戦利品」「新高山」などの「千を以て数ふる」「種々の新しき言語」も加わり、編纂のために十年という「「時日を費せり」とある。編纂員は与謝野寛を始めとして、二十人近くが挙げられているが、ここでは省略する。

 明治四十一年の「補遺」が加えられた第二十三版に「序」を寄せているのは森林太郎で、亡友落合に「グリンムの独逸大辞書」のことを話したところ、彼はその「日本大辞書」を作ろうとして、『言泉』編纂に向かったと述べている。そしてさらに大正十年の芳賀矢一の「序」も置かれ、ここに落合著、芳賀改修版が出されるに及んだ。入手したのは前述したように、昭和三年刊行の特製である。

 しかしこの『言泉』は、やはり修正特製版として同時代に出された上田万年などの『大日本国語辞典』や大槻文彦の『大言海』に比べ、影が薄いように思われる。波多野賢一、弥吉光長編『研究調査参考文献総覧』(朝日書房、昭和九年、復刻文化図書)においてもそうであるし、佃実夫、稲村徹元編『辞典の辞典』(文和書房)や『事典の小百科』(大修館書店)に至っては、そのタイトルすらも挙げられていない。それは落合の早世に加えて、版元の大倉書店のことも関係しているにちがいない。

辞典の辞典 事典の小百科

 大倉書店は大倉孫兵衛によって、明治八年に日本橋で創業された。先代は江戸の錦栄堂万屋で、絵草紙出版を営んでいた。しかし同三十五年に洋紙店や外国貿易事業に専念するために、出版部は義弟の保五郎に譲ることになった。その保五郎は『出版文化人物事典』に立項されているので、それを引いておく。
出版文化人物事典

 [大倉保五郎 おおくらやすごろう] 一八五七~一九三七 (安政四~昭和一二)大倉書店社長。千葉県生れ。大倉孫兵衛の義弟で、孫兵衛が貿易業に専念するため大倉書店を譲られる。専属の製版部を設け木版画譜を発行、海外にも輸出したり、各国語の辞典、商業・工業・文学書を出版した。辞典では明治・大正期のロングセラー、芳賀矢一『言泉』はじめ多数がある。また、夏目漱石の処女作『吾輩は猫である』の中編を一九〇六年(明治三九)一〇月、下編を翌年六月、『漾虚集』を〇六年五月、『行人』を一九一四年(大正三)に出版、いずれも大きな評判を呼び社名をあげ、明治初期から大正にかけての一流の総合出版社であった。関東大震災で罹災、のち廃業した。東京書籍商組合組長、東京出版協会会長など多くの要職についた。

 『言泉』の巻末にある大倉書店の「特約販売所」一覧を見ても、それらは全国各地のみならず、台湾、朝鮮などの百六十店に及び、流通販売網は整備されていて、それだけでも、「一流の総合出版社」だとわかる。しかし大倉印刷所も含めて、関東大震災で罹災したことにより、廃業へと追いやられるしかなかったのであろう。それが『言泉』のロングセラー化を切断したことで、後世への評価へも影響が及んだと推測される。


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