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古本夜話855 橋本英吉『東方の種族』と翼賛出版協会「農村建設文学叢書」

 前回はふれなかったけれど、橋本英吉の「富士山頂」が鎌倉文庫の『人間』昭和二十一年十月号で、「連載完結」とあった。連載が始まったのは七月号からで、二十三年には鎌倉文庫で単行本化されている。この十月号で見るかぎり、唯一の連載小説だったと思われるし、橋本は戦後の始まりにあって、それに値する作家だったことになろう。
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 しかし私たち戦後世代にとっては馴染みが薄い作家であるので、とりあえず『日本近代文学大事典』を引いてみると、意外なことに一ページを超える立項が見出された。それゆえに要約して紹介してみる。橋本は明治三十一年福岡県築上郡生まれで、高等小学校卒業後、三井田川鉱業所に入り、支柱夫をしていたが、専門学校で資格検定を得るために上京し、関東大震災を経て、大正十三年に博文館印刷所に勤める。そこで労働運動に加わり、徳永直が『太陽のない街』で描いた大ストライキが起きた。それに深く関わり、ストライキに敗れ、馘首される。その後労働運動のオルグを続ける一方で、同郷の横光利一のところに出入りするようになり、『文芸時代』に坑夫体験と横光の文体をベースとする処女作「炭脈の昼」が掲載された。昭和二年に横光の紹介で文藝春秋社に入社し、労働者小説を書き継ぎ、日本共産党書記長に就任する。だが検挙されて転向し、伊豆に移り住み、昭和十年代には歴史小説に向かい、社会の経済史枠組みの中での人間のリアルな姿を追求しようとしたとされる。

 『同事典』の橋本の立項には挙げられていないが、昭和十八年刊行の『東方の種族』を入手している。例によって浜松の時代舎で購入した一冊で、「農村建設文学叢書」として京橋区銀座西の建築会館内の翼賛出版協会から出され、初版は八千部とある。発行者は芳武昌治だが、版元名と同様に、この名前も初めて目にするし、その出版物、及び「農村建設文学叢書」も何冊出されたのかも確認できていない。
f:id:OdaMitsuo:20181207212855j:plain:h120(『曠野』、「農村建設文学叢書」)

 この『東方の種族』は明治維新によって静岡藩は移された旧幕臣の新番組二百人が帰農し、金谷宿近郊の牧の原台地を茶畑として開墾した実話を小説化したものである。それは山岡鉄太郎や勝海舟たちのバックアップを得て、中條金之助や大草多喜次郎を正副頭取とし、牧の原原野千二百余町歩を下賜されたことを発端としている。だがその新しいと地は草深い僻地で、雑草が茂る小松原にして、水さえもすぐにはくめず、灰色の土は夏の酷熱によって乾燥し、生活すらも困難な地だった。
 それを橋本は次のように書いている。

 第一、住むべき家さへなかつた。百姓家の一間を借る者、物置をかたづけて漸くほつとする者。寺院の庫裡や本堂に住めるのは、組長などの役員だけで、他は蚊や蚤にせめられる位はまだしも、枕許に牛馬のいばりの音をきかねばならなかつた。
 この広潤な原野は痩せてはゐるが、農民の天地であつた。薪をとり、牧草を刈るために、どこまでも入りこむことの出来る、彼等のものだつた。自然に放置されてゐるものは、すべて彼等の手に利用を許されてゐるやうに。彼等もその恩恵に慣れてゐた。
 そこへ武士が入りこんで、自由に縄張りを定めるのを、彼らはだまつて見物してゐたけれど、決していゝ気持でなかつたことは、想像するに難くない。まして侍たちは、わざとさうするのでは無論ないけれど、年来の百姓に関する観念のまゝ、応柄、威厳をもつてのぞむのだつた。

 長い引用になってしまったのは、後半の部分に橋本のプロレタリア作家としての出自の面目躍如があると思われるからだ。それがなければ、『東方の種族』は単なる旧幕臣の帰農と茶畑開発美談となってしまうし、それは山口昌男の旧幕臣をテーマとする『「敗者」の精神史』(岩波書店)にもつきまとっていた色彩だった。

 見返しに付された「題名変更御知ラセ」によれば、日配の「新判弘報」では『紋服の耕人』となっていたが、「著者の意向に依り」改題されたとある。「紋服の耕人」とは明治天皇の明治十一年の東海御巡幸の途において、「中條景昭、大草高重ガ牧ノ原開墾ニ尽セシ功労ヲ聞食サレ、謁ヲ賜ヒ、岩倉右大臣ヲシテ褒詞ヲ伝ヘ開墾同志中ヘ金千円ヲ賜フ」とされ、二人が「紋服」で「金千円下賜」に赴いたことから、出版社のほうでつけたタイトルだったように思われる。それを『東方の種族』としたのは、大東亜戦争と旧幕臣のイメージの重なりも推測されるが、牧の原周辺の農民の眼差しから見られた「紋服の耕人」のひとつの実像だったからであろう。

 それは前述したように、橋本がプロレタリア作家であったことに加え、「あとがき」に記されているように、「未曽有の戦時下」において、「転業が重要な国内問題の一つになつていること」、さらに伊豆に移り住んだことによって、牧の原での実生活者や郷土史研究家への取材が可能となったことが挙げられよう。その中には拙稿「『本道楽』について」(『古雑誌探究』所収)で挙げた『本道楽』寄稿者にして、「賎機叢書」の一冊『二番煎じ』の著者法月吐志楼=法月俊郎の名前も見えている。戦前において、集古会の『集古』の影響もあり、『本道楽』も創刊され、郷土研究が活発となり、それが『東方の種族』にも流れこんでいると思われる。
古雑誌探究

 なお先の拙稿を書いた時点で、『本道楽』は復刻されていなかったが、その後、ゆまに書房によって復刻されたことを付記しておく。

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