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古本夜話864 水谷準、『新青年』、特別増刊『輝く皇軍』

 本連載でも『新青年』編集長に関して、同94の森下雨村、87の横溝正史、95の延原謙、477の乾信一郎のことなどに言及してきているが、水谷準=納戸三千男はまだふれていなかった。それに本連載844の木々高太郎『人生の阿呆』も水谷によって見出されている。

人生の阿呆(沖積舎覆刻版)

 作家としての水谷のほうは、近年日下三蔵編『水谷準集』(ちくま文庫)や『水谷準探偵小説選』(論創社)が編まれ、新たに読み直すべき時期を迎えていよう。それは編集者としての納谷三千男も同様であり、その軌跡をたどってみたい。その前に両者の紹介を兼ねた『日本近代文学大事典』の立項を示しておく。
水谷準集 水谷準探偵小説選

 水谷準 みずたにじゅん 明治三七・三・五~平成一三(1904~2001)小説家。北海道函館市生れ。本名納谷三千男。早稲田高等学院在学中の大正一一年一二月に『好敵手』を「新青年」に発表。早大仏文科在学中、「探偵趣味」の責任編集者となり、『空で唄う男の話』(「新青年」昭二・三)「お・それ・みを」(「新青年」昭二・四)など幻想的なミステリーを発表、昭和三年に卒業して博文館入社、新青年編集者として一七年間勤め、モダニズムにあふれ、新鮮なカラーの読物を載せたユニークな紙面を作り、多くの新作家を育てた。(後略)

 この立項の最後のところにある「多くの新作家」を追ってみる。長谷川海太郎=谷譲次=森逸馬を長兄とする長谷川四兄弟を描いた川崎賢子の『彼等の昭和』(白水社)に水谷も登場している。それは彼が次男の画家長谷川潾二郎と函館の小学校以来の幼馴染で、上京して二人で共同生活を送っていた。水谷は雑誌『探偵趣味』の編集に携わっていたことから、潾二郎は地味井平造のペンネームで探偵小説を発表し、『新青年』にも「魔」が掲載されている。この作品と水谷の立項にある二編は創元推理文庫の『日本探偵小説全集』11に収録され、そこには牧逸馬の「上海された男」「舞馬」も見られるが、これも水谷を通じて牧が『新青年』とつながったことによっている。

彼等の昭和 日本探偵小説全集

 また函館中学の上級生には長谷川兄弟の他に阿部正雄=久間十蘭がいて、『新青年』編集長となった水谷からの依頼で、『ノンシャラン道中記』を発表し、『魔都』の連載に至る。同じく久生の演劇仲間の獅子文六も現代風俗ユーモア小説『金色青春譜』を連載する。彼らに加え、小栗虫太郎や木々高太郎も水谷によって見出され、前者は『完全犯罪』や『聖アレキセイ寺院の惨劇』、後者は前述したように『人生の阿呆』を発表し、第四回直木賞を受賞している。

 このように水谷は名伯楽として、戦前の『新青年』編集長を長きにわたって務めあげたといっていいのだが、そのことによって戦後公職追放処分を受けている。それは『新青年』における戦争協力問題に起因しているのだろう。大正九年創刊の『新青年』は江戸川乱歩を始めとする新しい探偵小説家たちを誕生させ、昭和に入ってからはモダニズムの色彩を反映したユーモア小説などの供給の地だったとされている。だがその一方で、昭和十二年の死は事変の始まりから、同時代の雑誌の例にもれず、次第に戦時色を濃くしていったのである。そのような『新青年』をたまたま入手している。

 それは昭和十二年十月に刊行された『新青年』特別増刊の『輝く皇軍』で、平常号と異なるB5判、アート紙特別刷を含む三三八ページに及び、編集兼発行人は水谷の本名の納谷三千男となっている。『新青年』らしさを感じさせるのは資生堂のポマードやパリのカッピー香水、及びライカやコダックなどのカメラの広告で、本体はまさに戦争グラフィティを表象しているというしかない。まず巻頭には「大元帥陛下」の写真が置かれ、続いて軍職にある「皇族」の写真が掲載されている。そしてそれぞれの大臣を筆頭に「陸軍」と「海軍」の首脳部の人々の写真も続き、その次に「輝く帝国陸軍」と「輝く帝国海軍」の兵士たちと武器と戦場の写真が収録されている。これらはすべてアート紙特別刷で一一四ページに及び、「皇軍」のヒエラルキー構造を可視化させる機能を有している。それは天皇、皇族、陸軍、海軍、各兵士によって「皇軍」は形成され、そこには政府や内閣は存在していないかのようだ。シAビリアンコントロールなどの片鱗もうかがわれない。
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 それから表紙に「附」とあった「日支激戦画報」と「列強軍備グラフ」収録を見る。前者は三二ページで、博文館独自のものではなく、陸軍や海軍報道班の写真を使用したと思われる。後者は支那軍の全貌、ソヴェートの軍備、欧米列強の軍備のグラビアからなる六四ページで、これらも外国通信社ルートで入手した写真と考えられる。このふたつの「附」は「グラビア美麗刷」と明記され、先の「アート紙特別刷」も合わせて二一〇ページを占め、『輝く皇軍』の三分の二近くに及んでいる。

 支那事変が始まったのは昭和十二年七月で、『輝く皇軍』の刊行が十月であるから、緊急編集、緊急発売による「特別増刊」だったことがよくわかる。このような編集から考えても、納谷が自ら編集兼発行人としての業務に携わったと思われないが、『新青年』の「特別増刊」として出されたことで、それが戦後の公職追放令の一端へとつながっていったと想像できるのである。


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