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古本夜話865 大日本雄弁会講談社編『新支那写真大観』

 前回の博文館の『新青年』の特別増刊『輝く皇軍』ではないけれど、昭和十二年の支那事変の始まりを受け、それに関連する多くの出版物が刊行された。しかもそれらの戦記物は大小出版社を問わず、膨大な数量に及んでいるはずだ。しかし本連載で繰り返し既述しているように、大出版社である講談社や文藝春秋社に加えて、博文館や改造社なども全出版目録が刊行されておらず、そのことによって戦時下の出版物の全貌は明らかになっていない。
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 その講談社の出版物が、いずれも浜松の時代舎で入手したものだが、手元にある。一冊は内閣情報部監修、同盟通信社写真部特写、大日本雄弁会講談社編、『新支那写真大観』で、B5判上製、函入、写真二五六ページ、岩村成允「新支那の大観」三一ページからなっている。刊行は昭和十四年十二月、定価は二円八十銭である。その浅緋に中華模様をベースとする装幀は意外なことに恩地孝四郎によるものだ。
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 またその「序」は内閣情報部長の横溝光暉が寄せていて、「今次の支那事変は、東亜新秩序の建設を目標とした曠古の聖戦である」と始まり、『新支那写真大観』の成立事情にもふれられているので、それを引いてみる。

 此の写真帖は、曩に公開された内閣情報部監修、同盟通信社映画部製作の映画『新大陸』撮影隊と汗を共にした同社写真部次長中田義次が、危を踏み険を冒して、北は、河北、山西、山東より蒙彊の涯に及び、南は、江南より揚子江を遡つて武漢三鎭に至り、更に転じては、南支那海沿岸を下つて広東、海南島に至る、皇軍庇護下の全地域を跋渉したものであり、その溌剌たる更生新支那の生態を活写したる努力に至つては、全く前線勇士の労苦のそれに比すべきものがあらう。

 まず時代背景を確認すれば、支那事変から上海、南京占領、翌年には国家総動員法が公布され、武漢三鎭占領、昭和十四年にはノモンハン事件も起き、第二次世界大戦も始まっている。そのような中で、近衛内閣による東亜新秩序建設声明が出され、それを受け、映画『新天地』とこの写真集が成立したことになろう。

 もちろん『新天地』は未見だが、ここで同盟通信社に関してもふれておくべきだろう。従来の二大通信社は新聞連合社と日本電報通信社で、昭和十一年に政府は国際プロパガンダ強化のために、両社の合併を推進したが、後者の反対にあい、前者の業務を継承し、新聞組合主義による社団法人同盟通信社を発足させた。そしてこれに日本電報通信社通信部も合併されるに至り、同盟通信社は戦時下において、全面的に戦争協力したとして、敗戦後にGHQにより、即時業務停止命令を受け、解散となり、共同通信社と時事通信社に分離されたのである。

 つまりいってみれば、『新支那写真大観』は内閣情報部、同盟通信社によるプロパガンダ映画『新天地』に併走して、講談社が刊行した「東亜新秩序の建設を目標とした曠古の聖戦」のためのプロパガンダ写真集と見なせるだろう。それは大東亜共栄圏の建設に他ならず、その表裏見返しには地図が掲載され、満洲から北支・蒙彊、中支・揚子江流域、南支・海南島、印領印度支那までが含まれている。その中でも三〇ページに及ぶ「蒙彊地域」には本連載719などでふれてきた張家口の写真も見出せる。張家口日本帝国総領事館の写真の下に、「蒙古連合自治政府の所在地/人口七万人/在留邦人 七、三六七名」とのキャプション置かれ、「蒙彊の独立」が次のように説明されている。

 この度の事変を契機として大陸各地に魁けていち早く、昭和十二年末、旧察哈爾(チヤハル)、綵遠(すゐゑん)の両省と大同を中心とする内長城線以北の地、所謂内蒙古の大部分に、察南、晋南、晋北、蒙古連盟という三自治政府が独立した。更に昭和十四年九月一日、この三自治政府が一体となつて、蒙古連合自治政府を樹立し、首府を張家口に置くに至つた。
 これは東亜新秩序の穂報の固めをなすべき蒙彊地域と称せられる土地で、面積五十万平方キロ、大体日本の本州、四国に朝鮮を加へたものに略(ほぼ)等しい。人口七百万。

 もう一度、表見返しの蒙古連合自治政府の地図を見てみると、張家口は満洲と北京の近傍に位置しているし、外蒙古とは本連載788のゴビ沙漠で隔てられていることから、満洲と地続きの「東亜新秩序の北方の固め」とされたとわかる。

 これらの「新支那の生態を活写し」た中田善次なる人物については何も知らないが、風景だけでなく、現地の人物写真が多く見られることからすれば、映画『新天地』と寄り添うかたちで、これらの写真が撮られていったのだろう。それについても、『新天地』のほうも観たいとおもうけれど、このフィルムは残されているのだろうか。

 なおもう一冊は海軍中佐阿部信夫編著『支那事変戦記海軍航空戦』だが、これも昭和十四年発行で、こちらも写真を多く含んだタイトル通りの戦記物である。おそらくこのような戦記物も多く出されていたにちがいない。


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