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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話885 齋藤忠『海戦』と海洋文化社

 本連載487で、昭和十七年に海洋文化社から「海洋文学名作叢書」の一冊として刊行されたコンラッドの『陰影線』を取り上げておいた。

 海洋文化社と発行者の中村正利に関しての詳細はつかめていないけれども、やはり昭和十七年刊行の齋藤忠『海戦』を入手し、「海洋文学名作叢書」以外の出版物を知ることで、この出版社も南進論絡みで立ち上げられた版元と推測していいように思われた。

 そのことにふれる前に、著者とタイトルを挙げたので、『海戦』を紹介しておくべきだろう。このA5判上製の一冊は地味な機械函入だが、本体は銀色で、表紙と背タイトルが赤字で記された貼り込み仕立てで、戦時下の出版物とは思えないスタイリッシュな装丁となっている。だが装丁者名は見えていないことからすれば、著者、もしくは担当編集者が自ら手がけたものかもしれない。

 この『海戦』の内容にふれると、まさに第一次世界大戦における二十五の「海上戦闘の叙事」を描いたもので、著者の齋藤が所謂「海戦マニア」であることを伝えている。それを告げるように、彼は「序」において、「評論と思索のはげしい勤労生活のなかで、このやうな諸篇の執筆は、私にとつては、何よりも心愉しい息抜であつた」と記している。

 しかし著者に関する経歴などは紹介されていない。ただ『現代人名情報事典』(平凡社)には考古学者の齋藤忠が見出されたけれど、これは別人である。『海戦』の著者の齋藤のほうは軍事評論家、大日本言論報国会常務理事で、同時代に春陽堂書店から、続けて『英米包囲陣と日本の進路』『太平洋戦略序論』『日本戦争宣言』を出している。しかしそれらは未見だが、齋藤が戦後になって尾浜惣一名で訳者として参加した元々社の『最新科学小説全集』の端本は手元にあり、出版史における奇妙なリンクを示していよう。

 それはともかく、『海戦』を入手し、巻末の出版広告を見て知ったのは、海洋文化社が「太平洋叢書」というシリーズを刊行していたことである。それらの五冊を示す。これもナンバーは便宜的にふっている。

1 伊藤孝一 『濠洲の現勢』
2 齋藤博厚 『ビルマの現実』
3 秋保一郎 『仏印概要』
4 伊東敬 『カナダ聯邦』
5 平野常治、八百嘉忠 『中南米研究』

 1の伊藤、2の齋藤、5の八百は外務省の肩書が付されていること、従来の南進論とは異なる4のカナダや5の中南米のことを考えれば、この「太平洋叢書」は外務省との提携によって企画出版されたのかもしれない。それに加え、2の齋藤は『海戦』の著者の近親者とも考えられ、前者を通じて『海戦』も上梓に至ったのではないだろうか。

 この「太平洋叢書」の他には単行本として、津村敏行『戦記南海封鎖』、その続編『南海の日章旗』、「我が国はじめての海の傑作詩集」で、丸山薫編『日本海洋詩集』、浜田隼雄『南方移民村』が掲載されている。津村のこの二冊は匿名の現役海軍少佐による帝国海軍記であり、丸山編の詩集は彼が中央公論社特派員として航海訓練所練習船に乗り、数ヵ月間南方洋上を航海したことと関連しているのだろう。
f:id:OdaMitsuo:20190303114009j:plain:h120 『日本海洋詩集』 f:id:OdaMitsuo:20190303180217j:plain:h120

 『南方移民村』には「問題の長篇小説。南方熱帯地に於ける、日本移民三十年間の苦闘史を描き、今後の南方経営に多くの示唆を与ふ。力強き南方建設の前哨文学」との内容紹介がある。この浜田はここで初めて目にするのだが、幸いなことに『日本近代文学大事典』に立項されているので、それを引いてみる。

 浜田隼雄 はまだ・はやお 明治四二・一・一六~昭和四八・三・二六(1909~1973)小説家。仙台生れ。家は代々伊達藩の大番士。宮城県立二中より台北高校にすすみ、中村地平、塩月赳らと同人誌「足跡」を出す。東北帝大法文学部に入り、連歌の研究、ついで学生運動、農民運動に参加。卒業後台湾で教師生活をつづけ、「文芸台湾」に連載した『南方移住村』(昭一七・八 海洋文化社)で台湾文学賞を受け、また『草創』(昭一九)なども刊行。戦後郷里に引揚げ、新日本文学会、ついで日本民主主義文学同盟に加入などした。(後略)

 ここで補足しておけば、昭和十八年に日本文学報国会によって大日本文学賞が創設されているが、それとパラレルに外地における賞として台湾文学賞、朝鮮芸術賞、満州文話会賞、満蒙文化賞なども設けられ、本連載471の柴田天馬が『聊斎志異』の研究と翻訳で、満蒙文化賞を受けているという。
定本聊斎志異

 また台湾文学賞は台湾文学社が台湾文学の隆盛をはかるために昭和十八年に制定したもので、第一回は呂赫石におくられている。浜田が受賞したのはやはり同年に皇民奉公会が創設した台湾文化賞の同名の一部門で、浜田の他に西川満『赤嵌記』、張文環『夜猿』が第一回受賞となっている。

 新たに賞が創設されれば、その受賞作をめぐって新たな出版社が登場してくることは近代出版史にしばしばみられる事実であり、海洋文化社もそのような一社だったと見なすこともできよう。おそらく大東亜戦時下にあって、そのような出版社が何社も生まれたにちがいない。


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