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古本夜話892 マルロオ『王道』、第一書房「フランス現代小説」、林俊『アンドレ・マルロオの「日本」』

 前々回の藤原貞朗の『オリエンタリストの憂鬱』第五章は「アンコール考古学の発展とその舞台裏(1)」と題され、サブタイトルに「考古学史の中のマルロー事件」が付されている。その「事件の概要」の記述もあるので、それを簡略にトレースしてみる。
オリエンタリストの憂鬱

 一九二三年十二月、二十三歳のマルローは妻や友人とともにサイゴンに上陸した。彼は植民地省より無給考古調査員の資格を得て、極東学院の指導のもとにアンコール遺跡の調査を行なうという名目で、インドシナ入りしている。しかし彼は独断で廃墟のパンテアイ・スレイ寺院に赴き、女神のレリーフや彫像などの遺物を持ち出し、それらをプノンペンからサイゴンへ移送させようとした。そこでマルロー一行は歴史的建造物破壊と横領罪で逮捕された。それらがパンテアイ・スレイのものであることを確認したのは、前回の『アンコオル遺蹟』のグロリエだった。

 二四年に盗掘事件の裁判が始まり、マルローは不当逮捕だとし争ったが、懲役一年の執行猶予付き判決が下され、刑が確定した。この執行猶予判決に関しては、村松剛が『評伝アンドレ・マルロオ』(中公文庫)で詳細に挙げているように、アンドレ・ブルトンを始めとする著名な多くの文学者たちの署名と請願による擁護運動が有効に作用したと考えていいだろう。
評伝アンドレ・マルロオ

 藤原も村松も当時のマルローが金に困っていたことを指摘しているし、フランスにおけるアンコール幻想はそのような盗掘を誘う地だったし、ドラポルトの『アンコール踏査行』は一八八〇年に出ていたのである。それゆえにこの盗掘事件を小説に仕立てた『王道』には、レリーフでも「素晴しい出来のものになると、例へば舞女(ダンスーズ)などを彫つたものだと、棄値で売つても二十万フランは出来ますよ」という主人公クロオドの発言があるように、盗掘で一山当てようとしていたことは間違いないだろう。
アンコール踏査行(『アンコール踏査行』)

 しかも『王道』は早くも昭和十一年に第一書房の「フランス現代小説」の一冊として刊行されていたのである。フランスでの『王道』の出版は一九三〇年であり、同年の昭和五年にマルローの本邦初訳として『熱風』(新居格訳、先進社)が出ている。これは『征服者』のタイトルを改題したもので、英訳からの重訳である。昭和九年にはフランス語からの『征服者』(小松清訳、改造社)としても刊行された。同じく小松訳『王道』はマルローの二冊目の翻訳出版だったことになるし、この時代にはフランスの現代小説紹介は盛んになってきたことがうかがわれる。とりあえず、その十巻からなるラインナップを挙げておく。
f:id:OdaMitsuo:20190312162440j:plain:h120(『王道』)

1 アンリ・ド・モンテルラン 『闘牛士』 堀口大学訳
2 ウジェエヌ・ダビイ 『北ホテル』 岩田豊雄訳
3 ジュリアン・グリーン 『閉ざされた庭』 新庄嘉章訳
4 ジャック・シャルドンヌ 『結婚』 佐藤朔訳
5 アンドレ・マルロオ 『王道』 小松清訳
6 ジャック・ラクルテル 『反逆児』 青柳瑞穂訳
7 ピエール・マッコルラン 『女騎士エルザ』 永田逸郎訳
8 ジャン・ジオノ 『運命の丘』 葛川篤訳
9 ラモン・フェルナンデス 『青春を賭ける』 菱山修三訳
10 ドリュ・ラ・ロシェル 『女達に覆われた男』 山内義雄訳

 林達夫他編『第一書房長谷川巳之吉』(日本エディタースクール出版部)所収の「図書目録」で確認してみると、ナンバーは異なっているけれど、全点が出されたとわかる。しかしこの企画が春山行夫経由でのものではないかと推測できるが、「フランス現代小説」への言及はなされていない。
第一書房長谷川巳之吉

 それはともかく、『王道』に戻ると、訳者の小松はその「あとがき」において、『王道』の翻訳を二ヵ月余りで仕上げたこと、マルローとパリのNRF(一九〇二年にジッドなどによって創刊された文芸誌、当時はジャン・ポーランが編集長で、ドリュ・ラ・ロシェル、マルロー、モンテルラン、グリーンなどが協力、寄稿していた―注)で知り合い、最大の師となったこと、一九三一年秋にはマルロー夫妻が来日し、二週間ほど一緒に日本の旅をしたこと、マルローの経歴と作品、併録の『侮蔑の時代』が「ロシア文学者H」によるロシア語からの重訳であることなどが語られている。

 平成五年になって刊行された林俊の『アンドレ・マルロオの「日本」』(中央公論社)はこのマルローと小松の関係をたどったもので、内容的にいえば、タイトルとしては『アンドレ・マルロオと小松清』のほうがふさわしいように思える。そこには「フランス現代小説」に関しての言及も見られ、小松がフランスから移入した人民戦線の先駆的動向としての行動主義、行動のヒューマニズムの時期を通じての文学における「最良の果実」だったとされる。
アンドレ・マルロオの「日本」

 それは小松の発案で、小松、堀口大学、山内義雄を監修とし、マルロー、フェルナンデスの作品を頂点とし、そこに至るまでの「現代フランス文学の重要な飛石をざっと拾おうとするもの」で、それまで翻訳されていない作品が対象となった。この企画のために、フランス側の出版許可を得ようとして、マルローに全面的な協力を依頼する小松の手紙がほぼ三ページにわたって掲載されている。

 それによれば、中心となっているのは小松と堀口で、部数は最高でも千五百部、出版社のほうは赤字を出さなければ上出来と考えていたことから、著作権に関する重い条件は呑めないことを、小松はマルローに訴え、ジャン・ポーランにも一筆書くと述べている。小松の要請は功を奏したようで、第一書房は出版に当たり、「フランスのNRFとわが第一書房との美しき文化的握手、本邦最初の系統的叢書!」という宣伝コピーを掲げたという。この「フランス現代小説」の刊行について、「恐らく、これは、第二次世界大戦前夜に開いた最後の華であった」と林は記している。

 
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