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古本夜話906 熊谷元一と板垣鷹穂『古典精神と造形文化』

 前回の『会地村』の出版に関して、熊谷元一は写真については板垣鷹穂、編集において本連載580の星野辰男を始めとする朝日新聞社出版局の人々に謝辞をしたためている。
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 だがそれだけでは『会地村』の成立と出版に至詳細な事情を把握できなかったといっていい。その経緯が判明したのは、熊谷が郷土出版社の『熊谷元一写真全集』第一巻に寄せた「記録写真をめざして」においてだった。これは前回既述しているように、昭和九年に熊谷は師事していた童画の武井武雄の要請により、伊那谷の案山子の写真を撮った。それが発端で、同十一年に自分のカメラを入手し、村人の生活を取り、一冊の写真帳を作ろうと考えたのである。その時、想起されたのは以前に読んだ板垣の『芸術界の基調と時潮』(六文館)に収録された「グラフの社会性」だった。これはプロレタリア美術の小作争議絵巻に関するもので、古い絵巻形式よりも、写真と文字と絵画のモンタージュという力強い特有の形式の創案の提起といえた。そこから熊谷はこのような「記録写真」に取りかかったのである。
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 そして経費を節約するために、フィルムの現像や焼付は自分の手でこなし、夜間撮影用の閃光器も入手し、自転車で村を回り、取材し、写真を撮った。すると半年ほどで六百余枚のネガができたので、その頃板垣が『アサヒカメラ』で写真展月評を書いていたこともあり、送ったところ、「従来のアマチュアの仕事にない意義がある」との評価を得た。それに力を得て、熊谷はさらに題材を求め、村を回り、板垣の評を知った村人たちも協力してくれるようになり、昭和十三年に千五百枚のネガから六百枚余を選び、上下二冊の写真帳『会地村』を作り、再び板垣に送った。それに対し、板垣は「写真帳を終始非常に興味深く拝読しました。私の知る限りでは、世界のどこにも見出すことのできないほど、独特の意味と価値をもつものと思います」との返事が届いた。これは私が復刻版を手にした時の思いと同様である。

 その板垣を通じて、朝日新聞社から「まったく驚嘆に値する仕事で、時局下農村研究の貴重な資料」であり、出版したいとのオファーが出され、四六倍判、グラビア一七六頁、定価二円、初版三千部が、昭和十三年十二月に刊行の運びとなったのである。この出版によって、熊谷は朝日新聞記者の世話で、拓務省の嘱託となり、満州移民と青少年義勇軍の写真を撮ることになった。これらの満州や開拓地の写真はネガの多くが空襲で焼失したが、それらの一部は『熊谷元一写真全集』に収録されている。

 このように熊谷は板垣という触媒を通じて、『会地村』出版の実現を見たのだが、その板垣のプロフィルを『[現代日本]朝日人物事典』から引いてみる。
[現代日本]朝日人物事典

 板垣鷹穂 いたがき・たかほ 1894・10~1966・7・3 
 美術評論家、美術史家。東京都生まれ。1921(大10)年東大哲学科中退。在学中の20年東京美術学校(現・東京芸大)で西洋美術史を講義。24年文部省在外研究員としてヨーロッパ留学。22年『新カント派の歴史哲学』を著わして以後、西洋美術史に関する著作を多数発表。のちには建築、写真、映画などの分野にも幅広い関心を示し、評論、著作活動を展開した。(中略)著書に『建築』『芸術概論』『肖像の世界』『芸術と機械との交流』『肉体と精神』ほか。妻は文芸評論家の板垣直子。

 この立項には挙げられていないけれど、板垣の『古典精神と造形文化』が手元にある。これは本連載831などの今日の問題社から、昭和十七年十二月に初版三千五百部が刊行されている。その巻末広告には「姉妹篇」としての『写実』も見え、そこでは「カメラの写真性」が論じられているようで、『会地村』への言及もあると考えられる。
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 それはともかく、おそらく『写実』と同様に、『古典精神と造形文化』も多くの写真と図版を収録し、ギリシャ、ローマ時代の造形文化からドイツとイタリアにおける革新的建設計画、そこに表出している民族精神涵養の方策、東亜文化圏の建築精神までが「古典」と密接に関係づけられ、言及されている。だが同書にあって、突出しているのは口絵写真に集約されているように、ナチスが体現している建築精神への注視であろう。第四部の「現代に於ける造形文化政策と伝統」においてはナチス・ドイツ、ファッショ・イタリア、東亜建築史と南方政策が三位一体のようにして提出されている。そこでナチス・ドイツが次のように論じられる。ナチスはギリシャ・ローマの根本精神―ゲルマンアーリア民族の国粋的造形性という「過去の優れた伝統」に基づき、新しい社会目的と国家精神を実現させようとしている。それは日本でも公開された記録映画『意志の勝利』『民族の祭典』、各国に配布された大がかりな写真帳『ドイツ』などに明らかとされる。リーフェンシュタールのベルリンオリンピックのドキュメンタリー『民族の祭典』は見ているが、『意志の勝利』と『ドイツ』は未見なので、いずれ見てみたいと思う

意志の勝利 民族の祭典

 ここでいささか唐突だが、『会地村』に戻ると、先述したように、これらの映像や写真に先駆ける昭和十三年に、板垣はこの写真集を送られ、「世界のどこにも見出すことができないほど、独特の意味と価値」を発見したのである。それはそこに「ゲルマニア民族」ならぬ「日本民族」の原郷を幻視したにちがいない。しかし大東亜戦争下を通じて、板垣などの思想も含め、そうした原郷がいかなる変遷を経ることになったのかはまだ明らかにされていない。


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