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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話909 ヴォルフ『民族文化史』、間崎万里、尾高豊作

 前回のヴント『民族心理学』というタイトルにちなんでなのか、昭和九年に刀江書院からヴォルフの『民族文化史』という一冊が出されている。翻訳者は慶應大学教授で西洋史研究者の間崎万里である。彼は同書の巻末広告に見られるように、すでにシャール・リシェ『綜合文化史論』とプレステド『古代文化史』を翻訳しているので、それらとの関連も考えられるけれど、『民族文化史』の原タイトルが『応用歴史』だと知ると、やはりヴォルフもドイツの歴史家であり、邦訳はヴントの著作名に由来すると考えざるをえない。
f:id:OdaMitsuo:20190403172657j:plain:h120(『民族文化史』) f:id:OdaMitsuo:20190403174447j:plain:h115

 ちなみに間崎はその「はしがき」によれば、本連載725の田中萃一郎の弟子で、『民族文化史』の講述を受け、幸田成伴の発案により、翻訳が進められ、先の二冊と合わせ、欧米における特色のある史書三部作としての刊行が意図されたようだ。そのことは次のような一文にも表われている。

 プレステド氏は、得意の彩筆を揮つて、興味ある古代文化のパノラマを我等の眼前に彷彿たらしめたが、リシェ氏は個人の尊厳と科学の信仰といふ二大観点から歴史を解釈して、民主主義、平和主義、国際主義を力説したのであつた。しかるに、ヴォルフ氏の本書に於ては、之とは正反対に人類不平等主義、軍国主義、民族、国家主義が主張せられてゐる。人類の理想としての快感を催うさしめる平和論の後に、陰鬱なる尚武的国家論を加へたことは、之によつて両者の得失を明かならしめ、一方に偏することなからしめんがためであつて、歴史は種々なる角度から之を批判し検討することによつて、初めて真の正しい認識に達し得るものだからである。

 といいながらも、ヴォルフの著作は「大戦後の今日を予想せるかの如く、ヒットラー出現以前、既にヒットラーの思想を映写して居るかの如き観がある」と述べ、これらの三冊を「併読せられんことは、訳者の最も翼望する所である」とも記している。間崎の立場がリシェの『綜合文化史論』の側に置かれていることは明らかだろう。『民族文化史』の第四章の「人類と民族と宗教による世界の分割」にはあからさまに、白色人種の「ゲルマン・アリヤン人種」がたたえられ、日本人も含むモンゴル人種やユダヤ民族は蔑視と敵視を受け、まさに「人類不平等主義」に基づく、「軍国主義、民族・国家主義」が充満している。それは「既にヒットラーの思想を映写」している。

 だが訳者の間崎がこのような見解や意見を表明できたのは、まだ昭和十年代に入っておらず、出版界にしてもアカデミズムにしても、『民族文化史』を反面教師に翻訳することが許容されたことを示しているように思われる。実際に間崎は「訳者の趣旨に賛成して本書に出版に好意を寄せられた刀江書院主尾高豊作氏」への謝辞もしたためている。本連載150で、主として戦後の高山洋吉によって設立された別会社といっていい刀江書院にふれているが、ここであらためて戦前の刀江書院を取り上げてみる。

 まずはその創立者尾高豊作を『出版人物事典』から引いてみる。
出版人物事典

 [尾高豊作 おだか・とよさく]一八九四~一九四四(明治二九~昭和一九)刀江書院創業者。秋田県生れ。東京高等商業学校卒後、古河商事に入社、渡英、帰国後、一九一九(大正八)、刀江書院を創業。学術出版に力を注ぎ、鳥山喜一『黄河の水』、滝川政次郎『日本社会史』、本庄栄治郎『日本経済史概説』、松岡静雄『日本古語大辞典』などを出版。また、日本児童学会を創設。三四年(昭和九)六月、月刊『児童』を創刊した。実業界にもは進出、多くの会社に関係した。著書に『学校教育と郷土教育』のほか、子どもの問題に関する編著が多い。法哲学の尾高朝雄、社会学者の邦雄、作曲家の尚忠は実弟。

黄河の水 (『黄河の水』)

 この日本児童学会や月刊『児童』のことは知らなかったので、『[現代日本]朝日人物事典』を確認してみると、そこにも立項があった。それによれば、昭和五年に地理学者の小田内通敏たちと郷土教育連盟を結成し、八年にこの運動からさらに子どもの成長と発達研究を科学的に進めるために、日本児童社会学会を創立し、雑誌『児童』を創刊とある。つまり『児童』とは『出版人物事典』のいう「日本児童学会」の雑誌ではなく、日本児童社会学会のためのものだったことになる。それを受けて、十年には新教育協会理事、十二年には日本技術協会会長となり、教育界でも活躍とあるので、先の『学校教育と郷土教育』はそうした昭和十年代の尾高の刀江書院以外の軌跡を物語っている。
[現代日本]朝日人物事典

 奇しくも『民族文化史』の出版は昭和九年であり、その一方で、尾高は日本児童社会学会を設立し、『児童』を創刊していたのである。それらをめぐって、続けてもう一編を書いてみよう。


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