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古本夜話911 比屋根安定『日本基督教史』

 本連載906などで、タイラーの『原始文化』の訳者が比屋根安定で、彼がヴントの『民族心理学』も誠信書房から刊行していることを既述しておいた。この二冊に加えて、同じく昭和三十年代にマックス・ミュラーの『宗教学概論』の翻訳書もあることからすれば、比屋根は戦前において、民俗学、考古学、民族学、宗教学の近傍にいて、それらの影響を大きく受けていたにちがいない。そうしたオブセッションは戦後になっても続き、誠信書房との関係は詳らかでないが、これらの三冊の翻訳の実現を見たのであろう。

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 といって、比屋根は著名とはいえないので、まずは『[現代日本]朝日人物事典』の立項を引いておく。
[現代日本]朝日人物事典

 比屋根安定 ひやね・あんてい 1892.10.3~1970.7.10 宗教学者。
 青山学院神学部で別所梅之助、東大で姉崎正治(号・嘲風)に学び、1920(大9)年東大宗教学科卒。20~44(昭19)年青山学院、49~64年東京神学大、64~70年日本ルーテル神学大教授を歴任。その間55年にドルー大学で客員教授、日本メソジスト教会牧師の資格をもち、キリスト教を唯一の啓示宗教としつつ、広く日本と世界の諸宗教に知識を有し、『日本宗教史』(25年)、『世界宗教史』(26年)、『日本基督教史』5巻(38~40年)を著した。(後略)

 ここには単著として挙げられていないけれど、戦後の昭和二十四年に教文館から出された『日本基督教史』を入手している。これは「序文」、及び巻末の「筆を擱いて」によれば、サビエルが鹿児島に第一歩を印した一五四九年から四百年に当たって、立項に見える戦前の『日本基督教史』全五巻を一巻に書き改めたものである。

 その日本基督教史四百年は伝来時代、布教時代、禁教時代、復興時代、発展時代とたどられている。その叙述は翻訳と異なり、物語性に富み、登場人物たちもヴィヴィッドで、手練の小説家のような筆致で進められていく。そのキリスト教と日本史のアラベスクは、異形にして、同様の印象を与える。『信長―あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』(新潮文庫)などの宇月原晴明の小説を想起してしまったほどだ。

 『信長―あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』

 たとえば、その第一篇の伝来時代は『続日本紀』(東洋文庫)における天平八年のネストリウス派基督教徒の波斯人が来訪し、聖武天皇に謁せたとの記述から始まっている。そしてこのネストリウス派基督教は唐で景教と呼ばれ、それは波斯寺=大秦寺の景浄が建てた大秦景教流行中国碑にある言葉に基づくとされる。比屋根は日本でネストリウス派基督教徒が「何を説き何を為したか、全く判然としない」としながらも、次のように続けている。
続日本紀

 平安時代の延暦二十三年(八〇四)、のちの真言宗の開祖空海は、入唐求法して長安に留学し、北インドからまた般若に就いて、梵語を学んだ。般若は、大秦景教流行中国碑を建てた景浄と交を締し、景浄は般若と協力して、仏教を訳した。『貞元釈教録』に般若は胡語を解しないので、胡語を知る景浄の力を借りて、『六波羅密教』を漢訳したと記してある。胡語とは、中央亜細亜のソグト語を指すらしく、同語はネストリウス派基督教徒の用いるシリヤ語に近いから、景浄が知つていて、斯くの如く空海と般若、般若と景浄との間は結縁されるが、空海と景浄の関係が探られざるは、遺憾である。
 京都に太秦(うずまさ)という地あり、『日本書紀』巻十四によると、雄略天皇十五年(四七一)、天皇は秦(はた)氏に太秦(うずまさ)という姓を与えられた。秦氏は『日本書紀』巻十によると、応神天皇十四年(二八三)に百済より来た弓月君(融通王)の子孫と伝えられ、太秦寺内桂宮院の大辟神社は、『太秦広隆寺縁起』によると、秦の始皇帝の祖神を祀ると伝える。辟は一に闢を作るから、大辟を大闢と記せば、漢訳旧約聖書に記すダビデである。しからば『延喜式神名帳』に載る大辟神社は、秦の始皇帝の祖神ではなく、ダビデ王を祀ると解されよう。大辟神社の近くに伊佐良という井あり、伊佐良井やイスラエルの訛誤であるかも知れない。

 省略を施さず、そのまま長く引用したのはすでにおわかりだと思うが、これらの言説は本連載653や665ですでに言及してきたものに他ならない。しかも景教碑文や太秦をめぐる言説は、その淵源に他ならない佐伯好郎によるフィクションであることも既述したとおりだ。しかしこれらが戦前の記述のリライトだとしても、このような言説が戦後になっても延命していたことを物語っている。

 比屋根がタイラーやヴントやマックス・ミュラーの影響を受ける時代と環境の中にあったのではないかと先述したが、それは景教碑文や太秦伝説をめぐっても同様であるとわかる。そのような比屋根の資質、及び『日本基督教史』に見られる明らかな物語性は、これも「筆を擱いて」で述べられているように、少年時代から滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』などを始めとする読書に起因しているのだろう。そうした資質に基づき、キリスト教と聖書に接近し、伝道者たらんとして神学部に進むかたわらで、切支丹物の芝居や戯曲に心を躍らせる体験を得ている。それらがこの『日本基督教史』に投影されているにちがいない。ただ残念なのは、おそらく戦前の『日本基督教史』全五巻には参考文献が収録されていたと思われるが、それが戦後の一冊版では省略されてしまっていることである。もし戦前版に出会うことがあれば、まずはそれを確かめてみたい。
 南総里見八犬伝


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