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古本夜話912 ヤジロー伝説と窪田志一『岩屋天狗と千年王国』

 比屋根安定の『日本基督教史』の「伝来時代」には、前回の中国景教碑文や太秦伝説の他にも、ヤジロー(以下、ヤジロオ、ヤジロウとも表記)伝説にほぼ一章が割かれ、彼はそれを「日本伝道の計画、パウロ弥次郎の経歴」と題し、次のように始めている。

 一五四七年七月下旬、サビエルはマラッカに着き、伝道に忙しく日々を送ったが、傍ら船便を待つてコチンへ渡ろうと企てた。十二月上旬、教会で結婚式を司つた時、友人のポルトガル船長ジョルジ・アルヴァレスは、一異人を伴つて教会に入り、彼に紹介した。異人は三十五歳くらい、五年前ポルトガル人が発見した日本の人で、その名をヤジロウと称し、仮りに弥次郎と記そう。

 続けて比屋根はサビエルがイエズス会本部に宛てたヤジロオに関する書簡を長く引用し、日本とヤジロオの関係を説明しているので、それを簡略に要約してみる。ヤジロオはマラッカの地で、サビエルのことを知り、キリスト教を学ぶために訪れてきた。ヤジロオは少しばかりポルトガル語を話したことから、通訳を経ずして話をした。日本は近年発見されたばかりだが、日本人は知識欲と才能に恵まれているので、キリスト教伝道にはインドよりも有望ではないかと。それを説明するように、ヤジロオも教会で学んだ教義問答や信仰箇条をよく覚え、適宜な質問をするし、サビエルは彼が知識に渇し、真理を教えるのに向いていると判断する。そこでサビエルはヤジロオを助手として、日本伝道を決意し、それをイエズス会に報告している。

 さらに比屋根はヤジロオが「鹿児島の人で、門地も低からず、相当の財産のある家に生まれたらしい」し、「その成果は外国貿易を営み、島津家に出入りした家柄であつたかも知れない」と述べ、彼がイエズス会に送った、日本でのキリスト教布教の大いなる決意をこめた書簡を引用している。それには日本で、ある理由から人を殺し、ポルトガル人の船に逃れ、マラッカに至り、聖パウロ学院で学び、サビエルに出会い、彼に仕える決意を固めたことが記されていた。

 かくして一五四九年八月十五日、天文十八年七月三日、サビエルとヤジロオたち一行は鹿児島に上陸した。当時の城主島津貴久はその一行を歓迎し、伝道を許した。サビエルはヤジロオの通訳により布教にいそしみ、また日本語も学び、キリスト教の大要を記した日本文小冊子を作り、信者を得ていった。しかしその翌年にサビエルは京都での布教を志し、ヤジロオを残し、鹿児島を出発した。そしてその後のヤジロオに関してもふれている。サビエルが去ってからも多くの信者を獲得したが、仏僧の迫害が続き、鹿児島ばかりか日本にもいられなくなり、「彼は日本を去り、八幡船に乗つて海賊を働き、寧波で殺されたと伝えるが、その最後は詳かでない」と。

 ここで比屋根が描いた弥次郎のプロフィルは、鹿児島の資産家の家に生まれ、何らかの理由で人を殺し、ポルトガル人の船にのがれ、マラッカに至り、サビエルと出会い、洗礼を受け、キリスト教の布教のために鹿児島へと戻った。だがサビエルが京都に向かうと、ヤジロオは迫害され、日本を去り、海賊となって殺されたという伝説が残されたことになる。

 ヤジロオの存在はフロイスの『日本史』(松田毅一他訳、中央公論社)にも見出されるし、おそらく遠藤周作の『沈黙』(新潮文庫)のキチジローにしても、ヤジロオをモデルにしているように思われる。それゆえにヤジロオが実在したことは確実である。だが、戦後になっても、和辻哲郎が『鎖国』(岩波文庫)で述べているように、サビエルの日本伝道はヤジロオを通じて日本民族に対する信頼と希望を得たことによっているし、その意味で彼は十六世紀の日本人代表者、日本民族の突端の役目を務めていたことになるけれど、「日本の歴史はこの重大な役目をつとめたヤジローについて何一つ記録していないのである」。
日本史 沈黙 鎖国

 この和辻の提言に触発され、ヤジロー・コンスピラシーともいうべき壮大な偽史へと赴いたのが窪田志一だと思われる。それは死後に『岩屋天狗と千年王国』(上・下、八幡書店、昭和六十二年)として上梓されている。窪田は自家に伝わる『かたいぐち記』と『異端記』に基づき、ヤジローは僧名を岩屋梓梁といい、日本史や東洋史だけでなく、世界史においても想像を絶する偉大な人物で、蕃異人種(西戎)だったために、切支丹と信長、秀吉、家康の幕藩体制を通じて、歴史から徹底的に抹殺された存在と見なす。
岩屋天狗と千年王国

 窪田によれば、ヤジロー=岩屋梓梁は明応六年(一四九七年)薩摩国伊集院神殿に生まれ、背丈十尺、魁偉、頭上に三寸ほどの肉腫が立っていたので、「ヤジローどん」、「岩屋大天狗」「たゝらぼっち様」など、多くの呼称で畏敬された。永正四年以来、十数回渡鮮し、弥勒天徳教を説き、仏教の再興、韓語(ハングル)の創出、易占の普及といった多元的文化興隆を図り、自分と朝鮮王女玉珥との間に生まれた清茂を王(仁宗)に擁立するなどの多くの事蹟を遺した。

 それに続き、ヤジローは薩摩人の武力と朝鮮人の文化、経済力を駆使し、永正年代末期(一五二〇年代)に時の室町幕府を衰退させ、『日本書記』や『古事記』を編纂、自記し、易断政治の思想的根拠を固めた。そして北はアイヌ族から南は琉球の果てに至るまで、神仏習合、祭政一致の易断教団政府を樹立した。天文十七年には西方浄土を求め、中国、天山山脈、タクラマカン砂漠、中東経由で、地中海に達し、印度のゴアからサビエルを鹿児島に案内してきた。だが二人は仏教と切支丹の宗教論争の果てに、サビエルはヤジローの説く地動説に敗退し、印度へ帰ってしまう。

 ところがフロイスはサビエルの敗北への復讐の念を抱いて来日し、織田信長をそそのかし、多くの武器と商船艦隊を提供し、大阪石姫山に籠る易断(ユタ)政府を討滅させ、ヤジローと易断政府の存在を抹殺するに及んだ。秀吉と家康も自らがヤジローの子であることを歴史から隠蔽し、政権保持のために同様の処置をとったのである。かくしてヤジローという謎の人物は歴史から抹殺されてしまったことになる。

 窪田の『岩屋天狗と千年王国』は、戦後を迎えても延命し続けていた『古事記』などの日本神話をベースとする大東亜共栄圏幻想の反復のような印象を受ける。管見の限り、この窪田とヤジローに言及しているのは、四方田犬彦の『貴種と転生』(新潮社)の第三章に当たる「偽史と情熱」だけで、「異形」の人物窪田が四方田を訪ねてきたエピソードとヤジロー伝説を語っている。四方田と窪田の著作の刊行は同年であり、それもあって後者に四方田が「炯眼の読者よ、願わくばロマンの香り高き本書を通してテクストの快楽を味わいたまえ!」というオマージュの言葉を捧げていることを了解するのである。
貴種と転生 (『貴種と転生』)


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