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古本夜話917 青山道夫、ウエスターマルク『婚姻と離婚』、改造文庫

 前回のマリノウスキー『未開社会における犯罪と慣習』が、新泉社「叢書名著の復興」の一冊としての刊行に際し、青山道夫は改造文庫版にはなかった「訳者の序」を寄せている。
f:id:OdaMitsuo:20190413120352j:plain:h115(『未開社会における犯罪と慣習』、新泉社版)

 そこで青山は「この訳書をはじめて改造文庫版で世に送ったのは二十数年前のことであり、その頃の私は民族学に関心をもち、マリノウスキーの著書のいくつかを読み耽っていたとはゆえ、どの程度これを理解し得たのかは、はなはだ覚束ないものである」と述べている。そのために今回の新版に当たって、有地亨教授の協力を得て、誤訳や不満足な表現を改めたとある。また有地とは共訳で、マリノウスキーの『未開家族の論理と心理』(法律文化社、昭和三十三年)を刊行しているようだが、こちらは入手していない。
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 ここで有地の名前を挙げたのは、彼がマルセル・モースの『贈与論』(勁草書房、昭和三十七年)の訳者であり、同書には「還暦をお祝いして青山道夫先生にこの拙い訳書を捧ぐ」という献辞が見えているからだ。その「あとがき」によれば、有地は家族法の研究者として出発したが、青山の導きによって民族法学を志向し、『贈与論』の翻訳に至ったとされる。 さらに付け加えれば、『贈与論』の上梓に際し、前回の『未開社会における犯罪と慣習』の解説者の江守五夫の慫慂と尽力によっているようだ。青山は九州大学教授で、文化人類学をベースとする家族法を研究し、弁護士でもある。有地もまた同様の軌跡をたどり、先の共訳などへもリンクしていったと思われる。
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 これらの事実をふまえると、青山が『未開社会における犯罪と慣習』を刊行する以前に、同じ改造文庫からウエスターマルク『婚姻と離婚』を翻訳していることが了承されるのである。同書はかなり前に青山訳ということで入手していて、昭和八年に改造文庫の第一部116として出されている。著者は『岩波西洋人名辞典増補版』にヴェステル・マルクとしての立項が見出される。彼はフィンランド出身の人類学、社会学者で、ロンドン大学教授などを務め、原始民族の社会制度、道徳、慣習などを研究し、モーガンの『古代社会』における原始乱婚制に反対し、婚姻、家族制度などの起源と発達の権威とされる。『婚姻と離婚』はその『婚姻』(Marriage)、及び大著『人類婚姻史』(The History of the Human Marriage)の最終章の離婚部分の翻訳である。

婚姻と離婚(『婚姻と離婚』) 岩波西洋人名辞典増補版

 おそらく『婚姻と離婚』の翻訳刊行が端緒となり、昭和十七年に改造文庫の同244として『未開社会における犯罪と慣習』が出されることになったのだろう。マリノウスキーは復刊され、その後も翻訳されてきたが、ウエスターマルクはここでしか出されていないのではないだろうか。改造文庫は昭和二年の岩波文庫に続いて、四年に創刊され、やはり『婚姻と離婚』の奥付に次のような文言がしたためられている。

 我社は世界に於ける出版界の革命者である。廉価全集の創始者である。我社が大正十五年十一月多大の犠牲を予期して廉価全集を発行するや、感激の声国内に震撼し、日々数千通の感謝状が舞い込んだ。今迄特権階級のみの芸術であり、哲学であり、経済、美術、科学であつたものが無産階級の全野に解放されてからは全国を通じて読書階級が一時に数十倍となつた。この画期的現象を招来し、我国の文化を一挙に引き上げ文化史上赫々たる我社は、尚当時の宣告の徹底を期して遂に「改造文庫」を発刊せんとす。尚その内容は別記の如くであるが、我社は数十年を期してあらゆる権威ある著作を本集に網羅して民衆的大文庫を建設せんと欲す。読者の期待と支持を俟つ。

 幸いにして、紀田順一郎他監修『ニッポン文庫大全』(ダイヤモンド社)には「改造文庫全目録」が掲載されている。それによれば、昭和十九年の改造社廃業に至るまでに、第一部の哲学、社会科学などが二〇三冊、第二部の文学が四四一冊出されたようだ。しかも当然のこととはいえ、岩波文庫を意識して、哲学と社会科学、それに円本の『現代日本文学全集』の流れを引く日本の現代文学、さらに外国文学の翻訳も組み合わさり、改造文庫ならではのラインナップを示している。

ニッポン文庫大全 現代日本文学全集 (『現代日本文学全集』)

 第一部を見ただけでも、戦後になって青山道夫訳として、岩波文庫に収録の前掲の『古代社会』が荒畑寒村訳で出ていたり、本連載117のヴァイニンガー『性と性格』、同556の厨川白村、同781のロンブロオゾオ『天才論』なども目に入る。まさにウエスターマルクやマリノウスキーではないけれど、改造文庫でしか出されず、現在でも新訳されていない著作もかなりあるにちがいない。そうした意味において、改造文庫の第一部は、円本時代の平凡社の『社会思想全集』や春秋社の『世界大思想全集』のような色彩を共有しているという印象を受ける。
古代社会(『古代社会』)天才論(『天才論』) 世界大思想全集 (『世界大思想全集』)

 それでも、といってももはや半世紀近く前のことになってしまうけれど、古本屋で改造文庫はよく見かけたものだった。だが近年ではほとんど目にしていない。あらためて廃刊が昭和十九年だとすると、それから八十年近くが過ぎてしまったことに気づかされる。


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