出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話924 神原泰『蘭印の石油資源』と「朝日時局新輯」

 前回のリーゼンバーグの『太平洋史』の出版の翌年の昭和十七年に、やはり朝日新聞社から神原泰の『蘭印の石油資源』という七三ページのブックレット判の一冊が出ている。「蘭印」とはその見返しの地図に示されているように、オランダ植民地の東インド、つまり現在のインドネシア共和国をさし、具体的にいえば、その「石油資源」はスマトラ島、ボルネオ島、ジャヴア島などにあり、それらの油田はボルネオ油田組合、コロニアル石油会社、オランダ石油会社に支配されている。ただ神原によれば、これらの石油会社は英米資本の傘下に置かれているようだ。
f:id:OdaMitsuo:20190611114521j:plain:h120

 神原はその「序説」を、「蘭印の石油は、大東亜戦争における大きな希望の一つであるが、更に大東亜戦争の最大な原因の一つであつたことは、断言しても誤りないである」と始めている。

 これを補足すれば、昭和十六年七月の日本に対するアメリカの「徹底的石油断交」によって、アメリカの石油はもちろんのこと、イギリスや蘭印の石油も断たれ、所謂「A・B・Dの石油封鎖」状況の中で、日本にとっては蘭印の石油を支配することが緊急の問題となっていた。それは「東亜共栄圏中最も多く石油を産出するものは蘭印であり、もっとも多く石油を消費するところは日本である」からだ。かくしてこの『蘭印の石油資源』が朝日新聞社の「朝日時局新輯」の一冊として刊行されたことになる。この巻末に「編者付記」が置かれ、そこに「皇軍は二月二十八日夜来ジヤバ島に上陸を敢行し忽ち戦火を拡大、一方スマトラその他蘭印全島の完全攻略も時間の問題」と記されている。

 その「朝日時局新輯」の「発刊の趣旨」は次のように謳われている。「世界は今や有史以来空前ともいふべき大戦と激動の最中にある。今日に一日一ヶ月は過去の歴史中の十年にも一世紀も匹敵する変転を続けてゐる。かうした異常極まりなき時機において最も大切なことは、矢継ぎ早に起きつゝある内外百般の出来事の中で、その主流的な題目につき正確な知識と認識とを持つことである」として、このブックレットシリーズは企画刊行されたことになる。

 『朝日新聞社図書総目録』を繰ってみると、この「朝日時局新輯」は昭和十六年九月に始まり、『蘭印の石油資源』はその19に当たり、二十年九月の嵯峨根遼吉『原子爆弾』に至るまで七十点ほどが出されたとわかる。全点は挙げられないけれど、18までリストアップしてみる。
f:id:OdaMitsuo:20190614111758j:plain:h120 

1 朝日新聞政経部編 『対日包囲陣と臨戦態勢』
2 益田直彦 『独ソ戦の長期化とソ連の抗戦力』
3 神川彦松 『米国参戦問題』
4 久門英夫 『物価問題と国民生活』
5 末松満 『世界動乱図』
6 奥野七郎 『要約マイン・カンプ』
7 朝日新聞政経部編 『戦時下の産業合理化』
8 室賀信夫 『シンガポール』
9 安藤一郎 『ルーズヴエルト』
10 太田正孝 『戦時財政と増税』
11 松下正壽 『フイリツピン』
12 久門英夫 『変貌する日本産業』
13 朝日新聞調査部編 『変貌する日本産業』
14 高山毅、高垣金三郎 『学年短縮と兵役』
15 杉本健 『太平洋海軍問答』
16 野村宣 『法幣の壊滅』
17 藤田義光 『防空法解説』
18 寺田勤 『労務調整令の解決』

f:id:OdaMitsuo:20190614101030j:plain f:id:OdaMitsuo:20190614162425j:plain:h116 f:id:OdaMitsuo:20190614114133j:plain:h116 

 これらの著者に関しては、本連載901でも8の室賀は取り上げているが、他の人々については別の機会に譲りたい。19に見える神原の紹介は、「中央大学商科、外国語学校イタリア語科卒業、現在日本石油株式会社調査課長、商工省燃料局、陸軍燃料廠 、企画院各嘱託員たり。美術並に石油に関する著訳書多し」とある。

 だが私たちは神原の顔を知っているし、それは『日本近代文学大事典』にも立項されている。

  神原泰 かんばら たい 明治三一・二・二三~平成九 (1898~1997) 詩人、画家、芸術評論家。東京生れ。(中略)大正後期から昭和初期にかけて、未来派を中心として前衛芸術運動の旗手として、指導的役割を果たした。「熱狂し、一日、二、三時間しか眠らないで議論し、製作し、講演し、執筆した」とみずから回顧するごとく、その精力的な活動は国際的にも評価をされ、F=T=マリネッティのLA GRANDE MILANO TRADIONALE E FUTURISTA にも、Tokioの同志としてTai-Kanbaraの名が記載されている。

 この立項は一ページ近くに及んで、彼の近代文学史における存在の意味と影響を伝えているのだが、長すぎるきらいもあり、要約するしかない。神原は前衛詩人として注目される一方で、個人展覧会を開催し、日本における最初のアバンギャルディスト宣言を発表し、新鋭画家としての名声を確立する。そして未来派のイデオローグとして、常に新興芸術のスキャンダラスな創造の嵐の中心に位置していた。これは本連載でも後述するが、昭和三年には春山行夫たちと『詩と詩論』を創刊するが、左傾し、北川冬彦らと『詩・現実』の創刊に至る。さらに未来派の機械文明讃美を断罪し、自らの命運を担った未来派に思想的訣別を告げたとされる。

 そのかたわらで、神原は大正九年から石油業界に半生を捧げていたとされ、私は『蘭印の石油資源』しか読んでいないけれど、石油に関する著作も多く刊行しているのだろう。日本における未来派詩人やアバンギャルディストにしても、このようにして大東亜戦争の渦中に向かいつつあったことになろう。

 
odamitsuo.hatenablog.com


 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら