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古本夜話926 レヴィ・ブリュル『未開社会の思惟』とジョセフ・コット

 本連載922の山田吉彦はモースの『太平洋民族の原始経済』に先駆けて、昭和十年二小山書店からレヴィ・ブリュルの『未開社会の思惟』を翻訳刊行している。これは菊判の裸本が手元にあり、まずモースの翻訳と同様に、「A Monsieur Joseph Cotte, mon cher maître et ami 」という山田による献辞が見える。このジョセフ・コットは自伝や評伝も出されていないと思われるので、竹内博編著『来日西洋人名事典』(日外アソシエーツ)などにより、その簡略なプロフィルを提出してみる。
未開社会の思惟 (『未開社会の思惟』) f:id:OdaMitsuo:20190616102918j:plain:h113

 コットは一八七五年フランスに生まれ、リヨン大学、パリ大学で学位を取得し、一九〇四年にイランのテヘランでペルシャ皇太子の家庭教師を務めながら、ラフカディオ・ハーンの著作に親しみ、日本に憧れ、一九〇八年=明治四十一年にシベリア経由で日本を訪れた。翌年に再来日し、ケーベル博士の後任として、明治四十五年まで東京帝大でフランス語とラテン語を教えた。そして大正元年に神田にフランス語を教える夜学校アテネ・フランセを独力で創立し、日本においてフランス語だけでなく、ギリシャ・ラテンの古典語、古典文学の教育に多大の貢献を果たしたとされる。日仏学院などのフランス政府の後援によるものと異なり、コットは自らの理念に基づく自由な教育方針を尊重し、戦後も戦災にあったアテネ・フランセの復興に取り組み、校舎を現在の駿河台に移転させた。そして昭和二十四年に雑司ヶ谷の自宅にて死去し、音羽護国寺に埋葬されたという。

 明治四十四年に山田は開成中学時代に函館に家出し、トラピスト修道院にいたコットに出会い、その薫陶を受ける。大正六年に慶應大学理財科を中退し、コットのもとでフランス語と古典語を学び、アテネ・フランセの教師となっている。それからラマルクの小泉丹共訳『動物哲学』ファーブルの林達夫共訳『昆虫記』(いずれも岩波文庫)などの翻訳に取り組み、先の『未開社会の思惟』の刊行に至る。これには一九二八年付のレヴィ・ブリュルの四ページに及ぶフランス語の「序」が置かれている。
動物哲学 昆虫記

 しかしその「訳者序」は刊行の前年の一九三四年=昭和九年九月付で記され、そこには三校を中途まで見て、パリに立たなければならないとあるが、これは既述しておいたように、フランス政府奨学生としての出発のことをさしている。またそこには六年前に柳田国男に翻訳について相談すると、「本書は日本の民族学研究者が先ず第一に読まなければならない本である」との励ましを受けたとの言が見える。

 山田と柳田とブリュルの関係だが、「日本の民族学研究者」という文言からすれば、柳田たちが大正十四年から昭和三年にかけて刊行していた『民族』を通じて成立したと推測される。だが『民族』に山田の寄稿やブリュルに関する記事は見当らないし、柳田にしても『日本の祭』などにブリュルの名前は挙がっているけれど、山田と同様に具体的に言及されていない。それからブリュルの「序」と小山書店刊行年の六年に及ぶタイムラグは何を意味しているのか。
日本の祭

 山田は小山書店版を改訳し、昭和二十八年に岩波文庫化しているので、それを確認してみると、山田による「凡例」にいくつかの付記がある。それによれば、山田が自ら『未開社会の思惟』の翻訳権を獲得していたこと、及びコットとブリュルが親しい友人だったという事実である。これは詳細がまったく不明だが、山田は昭和四年に山濤書院を経営し、破産させている。おそらくこの書院の刊行物として、『未開社会の思惟』は企画され、翻訳権取得とともに、ブリュルの「序」も送られていたのではないだろうか。ところが破産したことで出版できず、昭和八年に岩波書店にいた小山久二郎が小山書店を創業したことから、未刊のままだった『未開社会の思惟』の刊行を引き継いだように考えられる。

 さて前置きが長くなってしまったけれど、この『未開社会の思惟』のアウトラインだけでもふれておこう。ブリュルは「諸論」に示されているように、本連載906や913などのイギリス人類学派のタイラーやフレイザーの影響を受けながらも、タイラーのアニミズムに代表される、現在から見ての知性主義的合理的推論を批判し、未開人の心性を社会的事実である集団表象として捉え、文明人とは異なる「原始心性」が存在すると見なす。未開人は道具や発明に驚くべき手際を発揮し、芸術品にも同じくその才能を見せ、言語にしても、文明人の国語と同じ文章構造を備え、子供たちも宣教師の学校で学びの能力を発揮する。そしてブリュルはその「序」でいっている。

 けれども、こららに劣らず驚くべき事実は大多数の例に於て「原始心性」は我々のもののやうに構造されて居ないと云ふことを示してゐる。それは他の方向に方位づけられて居る。それは異つた道を通つてゐる。我々が続発因を恒常的に先行件を求めるところで、この心性は到る処にその作用を感じて居る神秘的原因にしか注意を与へない。一つの同じ存在が同じ時に二つ或ひはそれ以上の場所にあると云ふことをこの心性は造作もなく認めてゐる。それは屡々融即の法則にしたがつてゐる。そしてその時、この心性は我々の精神が認容しない矛盾に対して無関心になる。それ故この心性を我々の其れに比べて論理前的だと云ふ事は許される。

 このような視座に基づき、原始人の集団表象から始め、分析されていくことになる。


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