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古本夜話928 デュルケム『宗教生活の原初形態』

 本連載926のレヴィ・ブリュル『未開社会の思惟』がエミール・デュルケムの『宗教生活の原初形態』の影響下に書かれたこと、及び同922のマルセル・モースがデュルケムの甥であることはよく知られた事実であろう。
未開社会の思惟 (『未開社会の思惟』)

 デュルケムはドイツのウェーバーと並んで、フランスの社会学の創始者で、一八五八年にラビの子として生まれた。エコール・ノルマルに学び、八七年にボルドー大学でフランス初の社会学の教授として迎えられ、九八年に『社会学年報』を創刊する。そして一九〇二年にソルボンヌ大学に移り、人種主義、人種決定論などを批判する社会学の旗印の下に、モースを始めとするデュルケム学派の全盛となったが、第一次世界大戦におけるポアンカレ大統領の挙国体制への協力と息子の戦死による打撃の中で、一七年に心臓発作で死亡。主著は『社会分業論』『社会学的方法の規準』『自殺論』『宗教生活の原初形態』で、このうちの『社会分業論』を除く三冊は戦前に翻訳刊行されている。

社会分業論 (ちくま学芸文庫)社会学的方法の規準 (講談社学術文庫)自殺論 (中公文庫)

 ここで取り上げたい『宗教生活の原初形態』は、本連載910などの刀江書院から古野清人訳で昭和五年に上巻、八年に下巻が出され、十五年に岩波文庫化されている。刀江書院版は入手していないので、岩波文庫版によることを先に断っておく。このデュルケムの生前における最後の著作は一九一二年に発表され、彼の宗教社会学の集大成に位置づけられている。同書はオーストラリアの原住民のトーテミズムをめぐる研究であり、デュルケムはその最初のところで、「社会学の本質的な公準は、人類の制度は誤謬と欺瞞とに安住できないというにある」とし、「これらの原始宗教は現実に即しまた実有を表わしているとの確信」に基づくと述べ、そして続けている。
 
宗教生活の原初形態  宗教生活の原初形態 (岩波文庫版)

 もちろん法式に現れた文字だけを考えると、これらの宗教上の信仰や行事は時には蕪雑にも見えるので、これを一種の根強い錯誤に帰したがることがある。しかしわれわれは象徴のもとで、これが描き出しまたこれに真の意味を与えている実在に達しえなければならない。もっとも野蛮または無稽な儀礼も、最も奇異な神話も、人間の何かの欲求、個人的または社会的生活の何かの一面を表現しているのである。(中略)これを発見するのが科学の任務である。

 つまりここで宗教と社会学と科学の論理の間に深淵はなく、宗教はすぐれて社会的なもので、いうなれば、宗教が社会的現象というよりも、社会が宗教的現象として捉えられていることになる。そして原初的宗教の前提問題として、本連載906のタイラーやハーバート・スペンサーのアニミズム、同514などのマックス・ミューラーのナチュリズムという二つの体系が検討され、それらよりも基本的で原始的な礼拝に他ならないトーテムズムに向かう。その過程で、原初的な固有のトーテム的信念とそれらにまつわる信念の諸起源が問われ、さらにそこに見られる主要な儀礼としての礼拝などが分析されていく。

 これらをもう少し具体的に述べれば、デュルケムは宗教の本質的定義として、聖と俗の観念、及び教会という道徳的共同社会の存在を指摘し、この両者を具える未開宗教をトーテミズムに求める。トーテミズムとはオーストラリアの原住民が信じる宗教で、彼らはトーテムと呼ばれる動植物を崇拝し、これをその象徴とし、自分たちもこの動植物から生まれたと信じている。このようなトーテムと原住民が一体化する事実をたどり、デュルケムはそこにマナという力、非物質的で超自然的な感化力を見出すのである。

 そのマナの力は社会の力でもあり、集団生活が生み出した道徳的な力ともされる。それは宗教と社会がその機能において類似していることになり、すなわち社会も宗教的現象に他ならないことを提示している。トーテムを始めとするすべての宗教的対象は畏怖されると同時に信頼され、それは社会も同様で、宗教はすぐれて社会的な機能を有している。それゆえに宗教の祖型とその根源は社会にあり、神は社会から生まれたという推論へとリンクしていく。

 そしてデュルケムは「結論」において、第一次世界大戦前の国際状況をふまえてだろうが、オーストラリアだけでなく、宗教は通商や結婚によってインターナショナル化され、イニシエーションや儀礼を通じて神々が接近し、「特定の部族の彼方に、空間の彼方に赴く、インターナショナルな偉大な神々」が出現しつつあると述べている。それから『宗教生活の原初形態』は次のように結ばれている。

 すべての民族や国家は、他のあらゆる民族、国家を包みこむ多少とも限定されない他の社会と接触し、これと直接、間接に関連している。あらゆる国民生活は、インターナショナルな性質の集合生活に支配されているのである。歴史が進むに伴って、これらのインターナショナルな集団は、さらに、重要性と範囲とを増す。こうして、若干の場合、普遍主義的傾向が、どうして、宗教的体系の最高の観念だけでなく、この体系が依存している原則をそのものを感化するほどに発展するか、が瞥見されるのである。

 これはほぼ一世紀前の言説であるけれど、現在のグローバリゼーションを前にしてのものに置き換えられるだろう。「あらゆる国民生活は、インターナショナルな性質の集合生活に支配されている」という言は、そのまま現代状況へと通じていくからだ。そこにはインターナショナルなトーテミズムも出現しつつあるだろうし、あらためてデュルケムを読むことの重要性を示唆しているようにも思えてくる。


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