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古本夜話938 ラッツェル『アジア民族誌』

 やはり『民族』編集委員の奥平武彦に関連する一編を挿入しておく。

 佐野眞一は『旅する巨人』において、澁澤敬三が戦前の日銀時代に、マルクス経済学者の向坂逸郎や大内兵衛に対し、ひそかに経済的支援をするために、日銀の仕事をさせていたことにふれ、その具体的事例を挙げている。だがそれは日銀の仕事だけではなかったように思われる。
旅する巨人

 本連載でもお馴染みの生活社も戦時下の企業整備によって統合され、これも福島鋳郎編著『[新版]戦後雑誌発掘』(洋泉社)の「企業整備後の主要新事業体および吸収統合事業体一覧」に見えている。それによれば、生活社は代表を鐵村大二とし、生活社、山根書房、山と渓谷社、六人社、日本常民文化研究所の「吸収統合事業体」で、歴史・地誌・日本古典などの文化科学書の出版となっている。本連載で後述するつもりだが、生活社と六人社は『民間伝承』の発売所を引き受けていたし、またこれも本連載935で既述しておいたように、日本常民文化研究所はアチック・ミューゼアムの改称であるから、日本常民文化研究所だけでなく、生活社や六人社も澁澤との深い関係を推測できる。とりわけ同913などのフレイザーの『金枝篇』の翻訳出版は、澁澤の支持を受けてのものだったのではないだろうか。
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 そしてそれは他の翻訳にも当てはまり、やはり昭和十八年に生活社から刊行されたラッツェルの向坂逸郎訳『アジア民族誌』も同様だと思われる。つまり澁澤は日銀の仕事に加え、向坂たちに翻訳の世話をし、そのことによっても支援していたと見なせよう。それを象徴するように、同書奥付は裏の広告には『金枝篇』などが掲載されているし、同934などの『民族』編集委員の奥平武彦はラッツェルの研究者だったことから、その翻訳が澁澤を通じて向坂へと委託されたのかもしれない

 ラッツェルに関しては『岩波西洋人名辞典増補版』の立項をまずは引いてみる。
岩波西洋人名辞典増補版

 ラッツェル Ratzel, Friedich 1844.8.30-1904.8.9。ドイツの地理学者。ハイデルベルク、イェナ、ベルリンの各大学で動物学、地質学を修めた。普仏戦争(1870-71)に従軍後、〈ケルン新聞〉の自然科学部特派員として東ヨーロッパ、イタリア、アメリカ、メキシコ、キューバ等を旅行し、(中略)帰国(75)してミュンヘン工業大学地理学講師(76)、同教授(80-86)、(F)リヒトホーフェンの後を継いでライプチヒ大学地理学教授(86末)。人文地理学の方法と体系を確立し、人間集団の諸特質を地理学的環境との関連において究明することによって、地理学ばかりでなく、歴史学、政治学、社会学等の人文科学に広く影響を与えた。(後略)

 そこでこの『アジア民族誌』ということになるのだが、向坂の「訳者序」によれば、『民族学』(1894-95)の第二巻第二部第三篇の「アジアの文化諸民族」の翻訳である。『民族学』と『人類地理学』がラッツェルの主著で、向坂は同じく彼の『ドイツ』もすでに翻訳しているようだが、こちらは未見である。向坂は『民族学』の方法と成果に関して、諸民族の外的事情を詳細に考察し、同時に彼らの今日の状態を歴史的に展開させようとするもので、そうして「地理学的な見方(外的事情の考察)と歴史的な考量(発展の考察)とは相判つて」「両者の結合からのみ政党の評価が生れ得る」と見なしている。

人類地理学 
 そのような方法論に基づき、『アジア民族誌』は蒙古人、チベット人、トルコ諸民族、インド人とインド諸民族、イラン人とその結縁諸民族、インド支那諸族と南東アジアの山北部族、東アジア人、支那人、アジアの信仰形態と宗教体制が取り上げられていく。日本人は東アジア人の章に「日本の学者(陸軍大佐フォン・シーボルト人(案内者))の肖像画入りで言及されている。だが原書には日本人に関する一章があるけれど、ラッツェルの『民族学』が十九世紀末の出版で、それは「今日の我国の研究かからいつて割愛して差支へない」と判断で除いたとの断わりが見える。

 各民族を表象する図版からいっても、「日本の学者」の肖像は立派すぎるし、何らかの操作がうかがわれる。日本人の章が省かれてしまったのは大東亜戦争下における明らかな不都合があったのだろうと推測されるのである。それに「アジア及ヨーロッパの民族地図」や「同文化地図」は後の地政学を用意していたように思われる。また「トルコ人及び蒙古人の織物と装飾品」は興味深い。あるいは「インド・ペルシア人の武器と武装」を始めとする各民族の武器と武装への注視は、ラッツェルが普仏戦争をくぐり抜けてきたことを反映させているのであろう。

 ただ翻訳定本とした『民族学』第二版は八百ページ前後の二冊本とされ、その中の「アジアの文化諸民族」だけの刊行だから、全体の構成は浮かび上がってこない。向坂は『民族学』の英訳がHistory of Mankind で、自分も経済史の研究の上に多くを得られるのではないかと考え、読み始めたと述べている。ということは「アジアの文化諸民族」は第二巻所収だから、第一巻から読んでいくと、『民族学』というよりもまさにHistory of Mankindとして成立するファクターに覆われているのかもしれない。

 これはフレイザーの『金枝篇』ではないけれど、ヨーロッパの民俗学、民族学の著作は大部のものが多く、それらの大半が抄訳のままになっているはずだ。それもまた近代日本の民俗学と民族学の翻訳史といえよう。


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