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古本夜話939 石田幹之助『増訂 長安の春』

 同じく『民族』編集委員であった石田幹之助は、岩崎久弥が購入した東洋学文献を主とするモリソン文庫を委託され、そのための財団法人東洋文庫の運営に長きにわたって携わっていた。
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 その石田は昭和十六年に創元社から『長安の春』 を上梓しているが、昭和四十二年には『増訂 長安の春』として、平凡社の東洋文庫の一冊に収録されているので、これも書いておきたい。
増訂 長安の春

 同書のタイトルの由来を示す冒頭の「長安の春」は、「長安二月 香塵多し。/六街の車馬 声轔々。」と始まる韋荘の「長安の春」という詩が 劈頭に置かれ、それに誘われるようにして、先ず長安の正月へと入っていく。それはまさに「詩人は逝く春の歌を唱ひ惜春の賦を作る」という風情に包まれ、そこにやはり引用された白居易の「買花」の「帝城 春 暮れんと欲し、/喧喧として 車馬 渡る」がコレスポンダンスし、眼前に唐の首都長安の物語絵巻が拡げられていくような思いを生じさせる。しかもそれは「長安の春」のみならず、全編の隅々にまで及んでいるのである。

 とりわけ「唐代風俗史抄」は「元宵観燈」「抜河(綱引き)」「縄伎(綱渡り)」「字舞」「長安の歌伎」上下の五つのテーマによって構成され、臨場感に満ちている。その例を「縄伎(綱渡り)」に見てみる。

 支那へは漠の時に西域や印度方面との交通が開けて以来、それらの地方から、またそれらの地方を通じて更に西の方エジプトの方面から、数々の奇術や軽業の類が数々渡つて来たことは東洋史上有名な話であります。(中略)この西方の遠い国から伝へられた幻術奇伎の類が特に歓迎されて異常な注意を惹いたことは紛れもないことでありました。(中略)これらは漢代既に東西の両京などで相当に流行し、魏晉六朝を通じて漸次盛となり、随唐に至つて頂点に達したかの概がありました。(中略)呑刀・吐火・跳丸・舞剣・植瓜・種棗(共に今蒔いた種からすぐに芽が出て幹が伸び、忽ち花が咲き実が成るといふ奇術)の類や昔都盧尋撞(とろじんどう)と呼ばれ、後に縁竿・険竿・長竿などと呼ばれた梯子乗りのやうな軽業、(中略)その軽業の部類に属するもの一つに縄伎とよばれた綱渡りの芸がありました。(後略)

 さらに綱渡りの芸は細部や起源にまで及ぶので、これ以上の引用は断念するしかない。また長いので所々省略してしまったが、実際に石田が長安でこれらの奇術や軽業を見てきたように語っていることだけは伝えられたと思う。多くの絵画や書籍が挙げられていることからわかるように、石田はそれらの資料を自家薬籠中のものとしていることが明らかだ。その事実は石田が長きにわたる東洋文庫の館長とも呼ぶべき人物であったことを自ずと浮かび上がらせているし、思わず「バベルの図書館」の館長ボルヘスを想起してしまう。

 それと同時に、これらの中国の幻術師や奇術師や軽業師は、大江匡房の「傀儡子記」(『古代政治社会思想』 所収、『日本思想大系』8、岩波書店)に描かれた日本の古代中世の傀儡(くぐつ)たちの存在を思い出させる。その重要なところを抽出し、現在の言葉で紹介してみる。
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 傀儡はテントなどに住み、その風俗は北方の原住民に似ている。男は弓を使い、馬を巧みに使い、狩猟を本業としている。だが二つの剣を躍らせ、七つの玉を自在に操り、桃の木で作った人形に角力をとらせたりする。あたかも生きた人間のように人形を扱うので、それは魚が竜や蛇に変幻するかのようだ。また小石を金銭に変えたり、草木を鳥や獣に変えたりする手品で、人を幻惑させる。

 長安の幻術師、奇術師、軽業師たちが西域、インド、エジプトなどから訪れてきたように、日本の傀儡たちもアジア大陸のどこからかやってきた、もしくは漂着したのであろう。それらに加えて、傀儡の女たちが紅をさし、白粉をつけ、歌をうたい、淫らなふりをし、媚態を示したりする。また傀儡の歌などの芸は天下の見もので、誰もが哀憐するという言及にもふれると、芸能の起源すらも暗示させているかのようだ。

 この「縄伎(綱渡り)」だけでなく、「唐代風俗史抄」はすべてが興味深く、未知の長安の様々なことを教えてくれるし、まさに『増訂 長安の春』そのものが中国唐代に関するカレードスコープのようでもある。それを続けて挙げれば、「唐代図書雑記」は「文化史上相当重要なこと」として、唐代にすでに「本を並べて之を商ふ家」=「本屋」があったという事実を教えてくれる。なぜならば、ヨーロッパにおいて、八、九世紀にはまだ「本屋」などなかったはずだからだ。そして白楽天の弟の白行簡の小説『李姓(りあ)伝』、呂温の詩「上官昭容書縷の歌」、外張籍の七言率「楊少尹の鳳翔に赴くを送る」、元稹の『白氏長慶集』の「序文」などを挙げ、具体的に「本屋」が存在した事実を挙げている。

 そしてさらに「中唐から晩唐にかけ暦書などを始めとして陰陽雑説・占夢・相宅・五緯・九官などの民間の信仰風習に結び付いた俗書の類や、字書・韻書の類ひの印刷が行はれるやうになりますと、この大量に算出された書物の流伝には常識として本屋の存在を考へざるを得ない」とも述べている。また唐代の愛書家、蒐書家の名前を挙げられ、それはいつの世にも愛書家がいたことを物語り、あらためて「本屋」のある「長安の春」を思い浮かべてしまうことになる。


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