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古本夜話940 桑原隲蔵『考史遊記』

 前回の石田幹之助『増訂 長安の春』に関して、もう一編ふれるつもりでいたが、紙幅が尽きてしまったので、今回のイントロダクションとしたい。
増訂 長安の春

 それは「隋唐時代に於けるイラン文化の支那流入」で、これも隋唐における支那とイラン文化の関係に言及して興味が尽きない。ここでは「宗教」「芸術」「衣食住」の三分野が取り上げられているけれど、そのうちの「宗教」に限定する。石田はイランから伝わった「宗教」として、ザラトゥーストラ教(祆教)」「マニ(摩尼)教」「ネストリウス派邪蘇教(景教)」については本連載653や665で既述してきたが、石田も「ネストリウス宗は正統派から異端視されて迫害を受け、為にその教勢を東方に転じ、イラン地方に入って相当に栄え、更に遠く東に伸びて支那にまで伝えられたもの」とし、八世紀に長安に建てられた有名な「大秦景教流行中国碑」を挙げている。

 この論稿は昭和十一年の岩波講座「東洋思潮」が初出で、その「参考文献略目」によれば、桑原隲蔵の論文などが参照されている。ただこれは『増訂 長安の春』の全体にもいえることだけれど、図版や写真が多く掲載されていたら、さらに啓発的な一文にして楽しい一冊となったのではないかという思いも抱いたりしたのである。それからしばらく後になって、『長安の春』 刊行の翌年の昭和十七年に、その桑原の『考史遊記』 が出版されたことを知った。だがそれは原本を入手したわけではなく、平成十三年に『考史遊記』 岩波文庫化されたことによってだった。

考史遊記

 桑原は東洋史学創始者の一人であり、明治四十年から二年間、清朝末期の支那に留学し、各地を旅行する機会を得た。その洛陽から長安を「長安の旅」、泰山・曲阜から開封・保定めを「山東河南遊記」、熱河・興安嶺から張家口・居庸関を「東蒙古紀行」として記録し、それらを集大成したのが『考史遊記』 なのである。しかしこれは桑原の生前に刊行されておらず、門下生の森鹿三の編集で、昭和十七年に、本連載798などの弘文堂から四六倍判の豪華本仕立てで出版されたようだが、未見のままである。

 だがその原本のイメージは岩波文庫版からも容易にうかがえる。『考史遊記』 の何よりの特色は、本文も含めて三百枚を超える図版、それも大半を桑原自らが撮った写真で占められ、ちょうど石田の『長安の春』 に寄り添い、そのピクチャレスク性を補うような一冊として位置づけることもできよう。例えば、「長安の旅」において、桑原も長安の金勝まで「大秦景教流行中国碑」を目撃している。

 有名なる「大秦景教流行中国碑」(図版四九・五一)実にその中に存す。碑は唐の徳宗の建中二年に、長安大秦寺の僧、景浄の建つる所。唐代における景教流行の状況を窺知すべき唯一の材料として、夙に東洋学者間に尊重せらるる石碑の一なり。
 景教は即ちネストル教なり。西暦五世紀の初半シリアの人ネストルNester の唱えしヤソ教の一派にして、その創唱者に因りてネストル教といい、また弥戸訶教もしくは弥施訶教ともいう。皆Messiah の音訳なり。これを景教と呼ぶ所以は碑文に、
   真常之道。妙而難名。功用照彰。強称景教。[真常の未知、妙にして名づけ難し。功用照彰し、強いて景教と称す]
とあるが如く、畢竟暗黒世界を垂らすべき、光明遍照く即ち景(ひかる)なる宗教という義なり。(後略)

 桑原のネストル教に関する言及はまだ四ページにわたって展開されているので、それが必要とあれば、岩波文庫を見てほしい。

 それからさらに(図版四九・五一)とあるように、巻末の「図版一覧」に「大秦景教流行中国碑」と「同拓本(碑陽及び両側)」の写真が収録されている。ちなみに五〇は「金勝寺全景(中央後方に景教碑見ゆ)」の写真である。実は私も五一の「同拓本」に類するものを古書目録で見つけ、それを入手している。

 本連載653で、マックス・ミューラーの直弟子のコルドン夫人がこの景教碑のレプリカを高野山に建立し、その記念写真が彼女の『弘法大師と景教』に掲載されていることを既述しておいた。また実際にそのレプリカは日本だけでなく、ヨーロッパは聞いていないが、アメリカなどにも送られていたようだ。それを高野山で見るべきだとずっと思っているのだが、まだ果たしていないので、近いうちにぜひ実現したいと考えている。

 その代わりのように、古書目録で見た「同拓本」を入手したのだが、これは一畳半にも及ぶ大きさで、表装し、壁にかけて見ることなどはできない。それは景教碑の大きさを伝えていると同時に、レプリカばかりでなく、拓本も多くつくられ、海外へとも伝播し、様々な伝説を生み出し、散種されていったにちがいない。

 なお『考史遊記』 のタイトルは支那学の先達狩野直喜により、その刊行は息子の桑原武夫の孝心に出ずるとされる。だが石田の『長安の春』 にしてこ、桑原の『考史遊記』 にしても、大東亜戦争下における、相次いでの出版となったことは偶然ではないであろう。


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