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古本夜話944 バーバラ・ドレーク、赤松克麿、赤松明子共訳『英国婦人労働運動史』春山行夫

 前回の赤松智城が、社会運動家の赤松克麿の兄であることにふれておいた。たまたま昭和二年に厚生閣から出された赤松克麿、赤松明子共訳のバーバラ・ドレーク 『英国婦人労働運動史』を入手しているので、ここで一編を挿入しておきたい。

 著者のバーバラ・ドレークのプロフィルは不明だが、同書はその『労働組合婦人論』第一章の翻訳とされ、タイトルに示されているとおりの内容で、英国における一八七四年から一九一八年にかけての婦人労働組合史となっている。日本での翻訳刊行の理由と目的は訳者の「序文」に謳われている。

 我国の産業に於て、繊維工業が重要なる地位を占める関係から、婦人労働問題が可成り注目さるべき立場にある。現在我国には農業婦人労働者を除いて約百五十万人の労働婦人が居り、その中、約百万人は工場労働者である。一方に於て、職業婦人と呼ばれる婦人頭脳労働者の数も、今日、百万人を越えて居る。切実なる無産階級の生活意識と婦人の個性的自覚とは、今後益々婦人大衆を労働市場へ借り出すであらう。そして労働婦人の解放問題は社会運動の途上に於て、大いなる波紋を描くに至るであらう。

 そのための「種々なる有益なヒントを与へるものと信ずる」ことによって、ここに翻訳されたのである。折しも大正十四年七月改造社から細井和喜蔵の『女工哀史』(岩波文庫)が出され、ベストセラーになっていたし、「約百万人は工場労働者である」という一節に投影されているのだろう。それゆえにここでは赤松克麿よりも共訳者としての赤松明子に注目すべきだし、 『英国婦人労働運動史』そのものが明子の訳によっているのではないかと推測されるからだ。
女工哀史 

 『近代日本社会運動史人物大事典』には赤松明子も含め、赤松一族が揃っているので、それらを参照しながら、彼女の軌跡をたどってみる。その前に赤松克麿をラフスケッチしておくと、彼は西本願寺の赤松連城を祖父とし、与謝野鉄幹の実兄の僧侶を父とし、東大で吉野作造の教えを受け、東大新人会を創設している。卒業後、日本労働総同盟に入り、調査部長、出版部長を歴任し、大正十一年には創立直後の日本共産党に入党する。そして十二年の一斉検挙後に党を去り、昭和元年に社会民主党創立に参加し、五年に書記長に就任し、昭和七年には日本国家社会党を創立に至る。また実弟の赤松五百麿も兄と同様に、左派労働運動から国家社会党への道を歩んでいく。

近代日本社会運動史人物大事典

 赤松明子は吉野作造の次女で、彼女もまた夫の克麿の軌跡と併走していたのである。克麿の実妹の赤松常子とともに、労働総同盟や日本民衆党系の女性運動家として、昭和二年には東京電機、日本縫合組合の女工たちと労働婦人同盟を結成し、信州岡谷の山一林組製糸争議に参加する。翌年には社会民衆婦人同盟が結成され、六年にはそれらが合同し、社会大衆婦人同盟が発足し、書記長に選ばれるが、脱退して、国家社会主義婦人同盟を結成している。このような彼女の動向も夫に寄り添っていたことになろう。その所産として 『英国婦人労働運動史』も翻訳刊行されたと了承できるし、昭和四年には本連載394のクララ社から『婦人解放論』も出しているようだが、こちらは未見である。

 ところで、 『英国婦人労働運動史』の厚生閣からの出版だが、これは赤松克麿との関係からであろう。奥付の裏の巻末広告に赤松の『転換期〈の〉日本社会運動』の一目広告が掲載され、そこには当時の赤松の置かれた状況がキャッチコピーのように記されている。それは次のようなものだ。

 日本労働総同盟の分裂に端を発してから、無産政党の樹立に至る迄の目まぐるしい二三年は、日本社会運動史上に於て最も多事多端なる時期であつた。この間にこの間に社会運動は決定的な方向転換をなし、重大なる転換期を閲した。右翼、左翼が判然と分裂すると二個の異つた指導精神が出現した。著者はこの渦中にあつて自ら運動を指導する総同盟を代表する唯一の理論家である。本書は日本社会運動の歴史的発展を理解するには好箇の資料である。識者の一読を薦む。

 これを書いたのは春山行夫だと見なしていいだろう。本連載108などで指摘しておいたように、春山は大正十三年頃に名古屋から上京し、厚生閣にただ一人の編集者として勤めるようになる。独学で英語とフラン語を身につけていたし、『詩と詩論』を創刊するのは翌年の昭和三年であることから考えれば、『英国婦人労働運動史』にしても、『転換期〈の〉日本社会運動』にしても、春山が編集に携わったはずだ。

 同じく巻末広告には御木本隆三の『ラスキン研究』『ラスキンの経済的美術観』及び文芸書や翻訳書も見えるけれど、これらも春山が手がけていたにちがいない。拙稿「春山行夫と『詩と詩論』」(『古雑誌探究』所収)において、「春山は群を抜いたエンサイクロペディストで、近代出版史においても比類なき編集者だった」と指摘しておいたが、六年間の厚生閣時代に、春山が『詩と詩論』や関連書以外に、編集した書籍の明細なリストを作成すれば面白いと思う。だが 『英国婦人労働運動史』がそうであるように、当時は編集者への謝辞などは書かれていないので、断定する根拠を添えての提出はやはり難しいであろう。

f:id:OdaMitsuo:20190913084639j:plain:h113 ( 『ラスキン研究』) f:id:OdaMitsuo:20190913084148j:plain:h115 ( 『ラスキンの経済的美術観』) 古雑誌探究


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