マルセル・モースのもう一人の弟子は宇野円空である。彼も『文化人類学事典』に立項されているので、まずそれを引いてみる。
うのえんくう 宇野円空 1885-1949 宗教民族学者。京都の西本願寺派の尊徳寺で生まれる。1910年に東京帝国大学文科大学哲学科を卒業し、仏教大学教授、龍谷大学教授、東京大学教授を歴任。宗教学から出発して宗教民族学(宗教人類学)という新しい分野を開拓した。1920年から23年にかけてヨーロッパ(フランス、ドイツ、オランダ)に留学し、宗教民族学の理論的研究に従事した(中略)。宗教民族学は現在、日本の文化人類学の主要な分野のひとつになっているが、欧米の宗教学や民族学の諸理論をひろく渉猟して、この学問の基礎をつくった宇野の功績は大きい。
宇野はまさに『宗教民族学』という一冊を昭和四年に上梓している。それは菊判五四六ページ、「引用参考書目」と邦文語、外国語「索引」は六七ページに及び、それらは「欧米の宗教学や民俗学の諸理論をひろく渉猟して」いることを物語っている。山田吉彦が『太平洋民族の原始経済』の「後記」で、「宇野博士が宗教社会学を書かれたことを告げるとモース先生は“ははあ、先を越されたな”と髭の唇に微笑を浮かべられた」と述べているけれど、それは山田が『宗教社会学』と『宗教民族学』を混同していたことによっている。しかもそれには理由もわかる気がする。
宇野の『宗教民族学』は岡書院の「人類学叢書」として出されたもので、その「人類学叢書発刊に就て」が『民族』(第二巻第六号、第三巻第一号)に見開き二ページで掲載され、次のような文言から始まっている。
遂に、人類学時代は到来した。
かつては神学や哲学が学問体統の首座を占め、爾余の科学にその隷属を強ひ、かくて永い世紀、彼等の時代を誇つた。然し彼等も永久へにその地位を擁することはできなかつた。偉大なる世紀の転換と共に已に台頭しつゝあつた学問体統に於ける下克上の気運は、遂にその目的を達し、実証主義の精神は完全に観念主義を克服し、哲学を遂つて新興の科学人類学を以つて、学問の首座に拠らしめた。(中略)
こゝに刊行せんとする「人類学叢書」は、この成果を集成して、一方人類学的精神の如何なるものなるかを闡明すると共に、他方新興科学の全原野に亙つて、その全容を展示し、以つて人類学的認識の普遍化を企図するものである。(後略)
三分の一ほどを引用しただけだが、岡書院の「人類学叢書」に向けた情熱が伝わってくるだろう。そこには「営利的なる予約出版の方法を排し、読者の自由なる選択購需に使せん」との言も見え、この出版が昭和円本時代の只中であったことを教えてくれる。
次にそのラインナップを示す。
1 長谷部言人 | 『自然人類学概論』 |
2 清野謙次、金関丈夫 | 『人類起源論』 |
3 松村瞭、久保栄三 | 『人種学』 |
4 柳田国男、岡正雄 | 『民俗学概論』 |
5 宇野円空 | 『宗教民族学』 |
6 浜田耕作、小牧実繁 | 『考古学概論』 |
7 新村出 | 『言語学概論』 |
8 内村吉之助 | 『法律民族学』 |
9 赤松智城 | 『宗教社会学』 |
つまりこの「人類学叢書」には宇野の『宗教民族学』と並んで前々回の赤松智城の『宗教社会学』も含まれていたことになり、山田はそれでタイトルを混同してしまったと思われる。ただこの昭和二年から刊行され始めた「叢書」は、岡茂雄『[新編]炉辺山話』(平凡社ライブラリー)所収の「岡書院・梓書院出版目録」で確認してみると、3と4は出されず、いずれも小山栄三『人類学総論』と『人種学各論(前編、後編)』に差し替えられている。それにこれらの九冊の揃いを見ることは難しいようだ。
さて最後になってしまったけれど、宇野の『宗教民族学』にもふれておくべきだろう。同書に収録された「宗教民族学の発生」を始めとする十三の論稿はやはり『宗教研究』と『民族』などに掲載されたものである。最初の「宗教民族学の発生」において、それは同義語とされる民族人類学の誕生と同様に二、三十年前で、未開社会に見られる宗教現象の研究をさしている。近年の宗教民族学の進展はウィルヘルム・シュミットによるもので、彼は一九〇六年に創刊された『アントロポス』を通じて、民族学的宗教の研究が進められ、認められるに至った。それゆえに宗教民族学の創立者はシュミットとその一派にあるといっていい。
このような宇野の立場からすると、前々回の赤松智城の、『輓近宗教学説の研究』が欧米の宗教学説の整理と紹介であったことに対し、宇野の『宗教民族学』はドイツ、オーストリアの文化史的民族学を中心とする諸宗教民族学説を俯瞰し、紹介していることになろう。
なおシュミットに関しては別に言及するつもりでいることを付記しておく。
[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら