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古本夜話964 稲村賢敷『沖縄の古代部落マキョの研究』

 もう一冊の沖縄書は稲村賢敷の『沖縄の古代部落マキョの研究』で、昭和四十三年に販売所を琉球文教図書株式会社として刊行されている。定価は五弗とあり、本土復帰以前の出版だったことを伝えている。
(『沖縄の古代部落マキョの研究』)

 奥付の「著者略歴」によれば、稲村は明治二十七年生まれで、東京高師卒業後、沖縄師範、台南二中一中三中農林、八重山中、宮古島中各中等学校を歴任し、現在沖縄県文化財専門委員、那覇市史編集嘱託とある。また著書として、『宮古島史跡めぐり』(宮古郷土研究社、昭和二十五年)、『宮古島旧記』上巻(同前、同二十八年)、『宮古島庶民史』(共同印刷社、同三十二年)、『琉球諸島における倭寇史跡の研究』(吉川弘文館、同前)、『宮古島旧記並史歌集解』(昭和三十七年、共同印刷所)が挙げられている。

 こちらのうちの『宮古島庶民史』は前回の岡谷公二『南の精神誌』、及び外間守善『沖縄の歴史と文化』(中公新書)の参考文献のリストに見えているが、浜松の典昭堂で入手した『沖縄の古代部落マキョの研究』は目にしてことがなく、沖縄史研究において、稲村とそれらの著作がどのような位置づけにあるのかは定かではない。だが『宮古島史跡めぐり』などが宮古郷土研究社から出されていることから考えると、東京高師時代に柳田国男の郷土研究社の近傍にいたと推測される。残念なことに『柳田国男伝』には名前が見当らないけれど、本連載961などの比嘉春潮が「序」を寄せていることにそれがうかがわれよう。比嘉は伊波普猷の「マキョの事は、南島の古代社会を闡明すべき手がかり」にして、その語源はおそらく「真子」で、古くは「氏族」や「血統」として用いられ、それから「祖神と同じうする血族団体の住居する地域の義」に転じ、現在に至っているという言を引いている。

(三一書房版) 南の精神誌(『南の精神誌』) 沖縄の歴史と文化(『沖縄の歴史と文化』)

 それを受け、稲村も『沖縄の古代部落マキョの研究』を「沖縄の古代部落をマキョ又はマキウと称することは、オモロ歌謡にも歌われているし、又祭祀の時に巫女達が唱えるオタカベオモロにも見えている」と始め、それらの例を『琉球国由来記』などから引いている。そしてそれらの遺跡を訪れ、写真を示し、これは前回の「御嶽」「拝所」と見なしていい嶽の位置をたどり、風葬墓地、井泉跡、祭祀の場所と行事などを探っていく。それらに伴い、伝説や神歌も調査され、これらをベースとして、古代人の生活、生業、信仰、部落組織にも測鉛が降ろされていく。こちらに引き寄せていえば、「御嶽」や「拝所」の起源とも関連していることになろう。
琉球国由来記

 同書で最も興味深いのは、やはり表紙写真にも使用されている今帰仁村の神アシアゲという建物である。それは本文でも写真で示され、「今帰仁村宇王城ノ拝所ニアル神アシアゲ、神アシアゲノ左ニ見エルノハ霊石デアル/神アシアゲトイフ建造物ハ原始時代マキョノ住居ノ原型ヲ伝エタモノデアロウ」とのキャプションが付され、次のように説明されている。

 四隅には高さ五尺位の石柱が立てられ、それに桁が渡してある。石柱間の隔たりは約十五尺四方位であろうか、その中間には木柱の仮柱を立て、桁をさせている。屋根は萱で葺き、壁も床も天井もない。石柱の高さは五尺位で、いくらか地中にも埋めてあるから、軒は低く腰を屈して漸く屋内にはいる事ができる程度である。

 そしてさらに沖縄本島北部で残っている神アシアゲを訪ね、それらの十一にも言及し、二つの写真も掲載して続けている。

 こうして私が神アシアゲに就いて、その構造又は使用法等に就いて、出来るだけ古風と思われる点を穿鑿しているわけは、このマキョの遺跡の片隅に建っている柱と屋根だけで出来た神アシアゲと称する建物こそ、沖縄の古代部落マキョの建物の遺構であると考えられるからである。
 猶率直に言うならば、古代部落マキョの住居はこの神アシアゲの建築から柱を取ったもので、中央に一本の丸太の柱を立て、垂木をこれに結いつけ、垂木の他の端は地土に垂れ、又は地下に埋めた。そして小さい入口を一箇所だけ残して、屋根はすっかり萱で葺き、或は萱が飛ばないように其の上を泥で塗り固めるようにしたことも考えられる。則ちこれは日本々土の竪穴遺跡と同じ構造のものであっただろうという事が、この神アシアゲと呼ばれる現在まで残っている、マキョの遺跡の一隅に建っている古代建築の遺構によって推察されるのである。

 そしてマキョの生活が数百年にわたって続けられると、祭祀、慣習、制度が生じ、集会の場所が必要となり、そのために造られたのが住居と異なる神アシアゲという建物で、様々な神も集まるので神アシアゲと呼ばれたのである。それは軒が地面から立ち上ったこと、すなわち「脚をあげた建物」ということから、「アシアゲ」の名称が生じたのではないかと稲村は書いている。

 それだけでなく、ここでは「御嶽」への言及は少ないけれども、マキョや神アシアゲと密接な関係にあるのだろう。


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