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古本夜話965 青磁社、米岡来福、桑田忠親『千利休』

 伊波普猷『古琉球』を刊行した青磁社に関しては本連載393などでふれておいたように、この版元は山平太郎を発行者としていたが、出版社の戦時下の企業整備により、合併した八雲書林の鎌田敬止が編集長となり、折口信夫の『死者の書』を刊行したことを既述しておいた。この山平は『古琉球』の「改版に際して」において、伊波に『おもろ概説』の出版を依頼した編集者として名前が出ている。しかしそれはかなわず、『古琉球』の「改版」を手がけることになったのだが、やはり依然として山平のプロフィルはつかめない。

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 それに『古琉球』の奥付発行者は山平や鎌田でもなく、米岡来福とあり、この人物に関しても同様である。だが少しばかりの手がかりは福島鋳郎編著『[新版]戦後雑誌発掘』(洋泉社)の中に残されている。そこには昭和十九年三月現在の出版社の「企業整備後の主要新事業体および吸収陶業事業体一覧」が収録され、青磁社は文芸図書版元で、その代表は米岡と記されている。

 そして青磁社が自社も含め、武蔵野書房、八雲書林、楽浪書院、昇龍堂、詩洋社、神田書房、書物展望社、東京泰文社、日本防空普及会の「吸収統合事業体」だったことがわかる。その事実から考えると、米岡は青磁社や八雲書林以外の出版社の経営者であり、それらの「吸収統合事業体」へと至るプロセスを経て、その代表として奥付発行者となっていったのだろう。

 その『古琉球』の奥付裏に一ページ広告が掲載され、まさに『古琉球』の隣に桑田忠親の『千利休』『大名と御伽衆』『戦国武将の生活』が並んでいる。『[現代日本]朝日人物事典』によれば、桑田は大正十五年国学院大学卒業後、昭和二年から二十年にかけて東京史料編纂所に勤務して、戦後は国学院大学教授となり、戦国・安土桃山時代史及び茶道史を研究とある。またNHK大河ドラマ『太閤記』などの監修や時代考証も手がけているという。

f:id:OdaMitsuo:20191105105235j:plain:h115 f:id:OdaMitsuo:20191105104850j:plain:h115 [現代日本]朝日人物事典

 実はその『千利休』だけは入手していて、桑田の経歴から考えると、この大東亜戦争下における青磁社からの三冊の出版が、戦後の国学院大学教授へと結びついていることは想像に難くない。また『千利休』こそが桑田の所謂出世作だったのではないだろうか。その「はしがき」は次のように書き出されている。
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 日本文化の隠れたる建設者である千利休の委しい事蹟をしらべてみたいといふ希望は、資料編纂所に入つた当初からもつてゐた。茶人の系図や茶書や逸話など許りいぢくつてゐたのでは本当のことは分るものではないといふことも、歴史を段々と本格的に勉強するに従つて判つてきた。どうしても利休自身の手紙といふのを丹念に蒐め、それを基本として調べなければ駄目だと考へ、あらゆる機会を利用して利休の手紙の蒐集に力めた。

 つまりここでの千利休は彼自身の書状を第一の史料として描かれていることが示唆されているように、「付録」としても六十一に及ぶ書状が「利休文献」として巻末に収録されえいる。それに第二史料として、利休在世時の茶人、公家、神主、僧侶、武人の書状、第三史料として、やはりこうした人々の日記が参照される。これらを根本史料とし、利休が「単なる茶湯の名人であつた」のではなく、「時代に即した茶湯の改革者」「生活の創造者」だった生涯がたどられていく。それに寄り沿って挿入されているのは口絵の「利休画像」「利休所有早船茶碗」であり、それらは十二に及んでいる。

 「付録」の「利休文献」の多くが個人所蔵であったように、これらの「挿画図版」も茶道関係医者や公文書などの掲載はあるにしても、やはり大半が個人所蔵に近い。それゆえに、桑田の『千利休』はこれらの根本史料の蒐集にその特色があり、「これらはすべて断片的なもので、その一つ一つを繋ぎ合はせて形を整へるに、思いがけない時日を要した」ことが了承される。

 この『千利休』は「或る美術雑誌」に連載されたもので、「自分を説いて未定稿に近い文章を雑誌に発表させ、何かにつけて御鞭撻下さつた三成重政・脇本楽之両氏」との謝辞からすれば、この二人が「或る美術雑誌」の編集者だと推測される。ただ「或る美術雑誌」とは何をさしているのだろうか。

 では単行本企画は誰に寄って進められたかということになるのだが、やはり「はしがき」に「このたび青磁社の御主人のお勧めにより一本に纏める」という一文が見える。この事実から判断すると、「青磁社の御主人」とは他ならぬ発行者の米岡来福だと見なしていいだろうし、彼もまた鎌田敬止や山平太郎と分野は異なるにしても、文芸書、それも歴史書を専門とする編集者だったように思われる。おそらく桑田の『大名と御伽衆』や『戦国武将の生活』も彼の手によって送り出されたのはないだろうか。


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