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古本夜話968 赤松啓介、栗山一夫、『民俗学』

 前回の赤松啓介(栗山一夫)に関しては後に三笠書房や唯物論研究会のところで言及するつもりでいたが、彼が昭和十三年に『民俗学』(三笠書房)を上梓し、柳田民俗学を批判していることを考えれば、続けてふれておくべきだろう。
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 それに昭和六十年代には明石書店から赤松の『非常民の民俗文化』『非常民の民俗境界』が刊行され、『民俗学』 も復刻された。また平成に入ってからも、「夜這概論」というサブタイトルを付した『村落共同体と性的規範』(言叢社)なども出されて、一時期は赤松リバイバルブームの感もあったことが思い出されるからだ。ちくま文庫に『夜這いの民俗学・夜這いの性愛学』などが収録されているのは、そのようなトレンドの名残りを反映させていよう。

非常民の民俗文化 非常民の民俗境界 f:id:OdaMitsuo:20191114170255j:plain:h115 f:id:OdaMitsuo:20191114171224j:plain:h115 夜這いの民俗学

 だがそれでも先に赤松のプロフイルを示しておく。幸いにして『近代日本社会運動史人物大事典』には赤松が栗山一夫として、一ページにわたって立項されているので、それを要約してみる。彼は明治四十二年神戸市に生まれ、大正十三年に高等小学校を卒業し、大阪中央郵便局通信事務員となる。考古学、民俗学を研究しながら、プロレタリア科学研究所に参加し、日本労働組合全国協議会大阪支部結成に尽力したが、昭和九年一斉検挙により投獄される。出獄後の十一年に兵庫県郷土研究会を結成し、唯物論研究会に入り、『唯物論研究』に栗山名義や赤松の筆名で論文や書評を発表する。また『東洋古代史講話』(白揚社)や『民俗学』(三笠全書)も刊行し、後者で唯物史観に依拠し、歴史科学としての民俗学を力説し、民俗の階級制、差別、性の問題にふれない柳田民俗学を批判したとされる。
近代日本社会運動史人物大事典 

 ちなみに『非常民の民俗境界』の中で、赤松は学術、民俗学関係雑誌の原稿料は絶無だったが、『唯物論研究』は一枚五十銭、『東洋古代史講話』は五十円、『民俗学』は百二十円の印税が支払われ、「正当な金儲け」の仕事で、「だいぶん助かった」と語っている。この証言は昭和十年代前半に、左翼雑誌と東洋史学と民俗学書がそれなりに売れていたことを裏付けている。後者は明石書店の復刻版が手元にあるので、奥付の定価を見てみると八十銭とされている。印税は十%の八銭とすれば、初版は千五百部で、ちょうど百二十円となり、確かに奥付には赤松の検印も押され、それが支払われたであろうことを推測できる。これらの事実は『民間伝承』の部数の伸びと流通販売の六人社への委託化ともリンクしているのだろう。

 赤松も『民間伝承』の会員であることは既述しておいたが、彼は昭和十三年五月刊行の『民俗学』の「はしがき」を「民俗学は新しい科学である」と始めているので、当時の柳田をめぐる民俗学状況を確認してみる。昭和九年『民間伝承論』(共立社)、十年『郷土生活の研究法』(刀江書院)、柳田編『日本民俗学研究』(岩波書店)、十一年郷土生活研究所編『郷土生活研究採集手帖』、柳田他編『昔話採集手帖』、柳田編『山村生活調査 第二回報告書』(いずれも民間伝承の会)などが刊行されている。それにやはり十年には『民間伝承』が創刊となり、赤松は十一年八月号に「新入会員紹介」欄に、「兵庫県栗山一夫」として見出され、前回ふれた寄稿を始めていく。これらの柳田民俗学の動向に寄り添い、それでいて批判的な視線を保ちながら、赤松の『民俗学』は書き進められていったことになる。
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 それは「はしがき」の先の冒頭の言葉に続く、次のような一文が表出している。

 私の観察に間違ひがないならば、日本の多くの研究者たちは民俗学をして、かの百科全書的綜合学の愚を追わせてゐるように思ふ。いふまでもなく他の諸科学と交錯的な関係を抽象的に規定するのは誤謬であるが、またこのように無批判な拡充を企画することも批判されるべきだらう。
 その上に注目すべきは日本の指導者的な研究者たちが、民俗学を平民の歴史を明かにするための、新しい認識の方法なるかのように説いてゐることで、そうした馬鹿気た科学のあり得ないのは論ずるまでもない。だから彼等はそのような仮面で一般の人達を誘引しながら、実は彼ら自らのための歴史を書いてゐるのである。

 これは先に列挙した柳田の著作や編著、及び『民間伝承』における民俗学の視座、方法論、採集調査などに向けられた批判であり、赤松にとって本質的問題は「実在の世界―自然および歴史を」あるがままに把握することで、それゆえに民俗学とは「歴史科学に属する、方法に関して技術的科学」、「現代に於ける伝承および慣行を持つ前社会的残存を対象として把握するための方法」となる。

 そのような視座から「民俗学発達の史的展望」がイギリス、フランス、ドイツの比較民俗学に基づいて語られる。イギリスを例にとれば、資本主義的生産方法の出現が世界的市場と植民地を獲得したことで、地理学、人類学が生まれ、そこに民俗学も胎生した。「即ち民俗学の発生に於ける意義は、何よりも経済的には市場、植民地へ売込まれる商品の指標をとしてであり、政治的には後進種・民族を支配する政策の理解のため」である。それとともに国内では近代工業化と都市化が進み、農業と近代工業、都市と農村において、資本主義的発展の矛盾を背景とし、「そこに崩壊せる『農村社会』への憧憬による懐古趣味を発生せしめ、農村生活に於ける伝統・道徳・習俗・生産様式の再発見と復活が企図され」、ここで民俗学は「政治的には小生産者の農本的懐古主義を地盤とする」ことが指摘される。

 これらに関して、赤松は本連載936のバーン『民俗学概論』などを参照しながら言及しているのだが、そのまま柳田民俗学批判へと通底していることはいうまでもないだろう。赤松はさらに続けてフランスの民俗学は社会学に含まれ、未開種族、民族を中心とし、インドシナや太平洋諸国の研究がなされ、ドイツは民俗学というよりも民族学であり、それがナチス民族学へと向かっているとも述べられている。

 そして「民俗学の対象と方法」が論じられ、「伝承の停滞と運動」に向かっていくのだが、これらは読んでもらうしかない。そこにこめられているのは、柳田の「日本民俗学のパイロットとしての歩みのなかに、あらゆる問題がかくされてゐる」という批判でもあるからだ。赤松と柳田の思想というよりも、資質の相違に起因しているけれど、柳田批判の嚆矢は赤松によってなされたことを認めるべきだろう。


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