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古本夜話974 後藤興善『又鬼と山窩』

 ジェネップ『民俗学入門』の訳者、柳田国男『民間伝承論』の講義筆記者兼構成者としての後藤興善に続けてふれてきた。だがその後藤のプロフィルは明確につかめず、『柳田国男伝』の記述からたどってみると、明治三十三年兵庫県生まれ、国文学専攻で、昭和八年に民間伝承論講義に参加し、それが柳田の『民間伝承論』へと結実する。この講義は木曜日に行なわれていたことから、それにちなんで木曜会として、講義参加者を中心とする民間伝承研究のための新たな会がスタートした。後藤もそのメンバーであり、その後の民間伝承の会設立と『民間伝承』創刊などにも寄り添っていた。柳田との関係の始まりは不明だが、ジェネップの翻訳のことを考えれば、『民族』の寄稿者として名前は見当らないけれど、やはり『民族』を通じて生じたのではないかと推測される。

f:id:OdaMitsuo:20191122175107j:plain:h120 (『民俗学入門』) f:id:OdaMitsuo:20190805140653j:plain:h110 

 その後藤の著書として、昭和十五年に斎藤昌三の書物展望社から『又鬼と山窩』が刊行されている。「はしがき」によれば、「山窩や又鬼のやうな特殊な生活者を調査研究の対象とすること」も「総体的民俗学を進展せしめるために当然研究しなければならない」という視座から編まれている。しかしタイトルに加え、サンカとマタギを口絵写真としているにもかかわらず、二十三編の収録論考の中で、「サンカ」に関するものは五編、「マタギ」は四編と合わせて九編でしかなく、いささか羊頭狗肉の感を否めない。

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 それは冒頭の「山窩記」が「猟奇的な大衆小説によつて、荒唐なサンカ概念(それは「山窩」なる字面にもふさわしいものであらう)を作り上げてゐる人は多からう」と始められていることからうかがわれるように、昭和十二年には三角寛の『山窩血笑記』(講談社)が発表され、所謂「サンカブーム」が起きていたのである。そうした中で、この『又鬼と山窩』は刊行され、それが「猟奇的な大衆小説」に抗する民俗学的「サンカ調査」として提出されていることになる。
f:id:OdaMitsuo:20191203140826j:plain:h120 (『山窩血笑記』)

 後藤は「サンカの概念」を次のように示す。

 サンカは西洋のジプシーを連想させる生活者で、わが中古の傀儡子と深い関係のある漂泊民だと屡々説かれる。彼等は定住して農を業とせず、山裾や川原に小屋を掛け、テントを張つて、箕・籠・簓・風車などの竹細工をなし、下駄表或ひは棕櫚箒などを作り、河川の魚を漁し、山の自然薯を掘り、猟をもし、その手細工品や獲物を近くの村や町に売り鬻いで生活してゐる。彼等と同系の生活者は、今日定住してゐる者の中にも多く見られる。全国的に散在してゐるともいへよう。

 その生活態度は本連載939でふれた大江匡房の『傀儡子記』がいうところの「不耕一畝田、不採一枝桑」にそのまま合致するし、次の「山窩談義」においては「中世の傀儡子の後裔」にして、「放浪のアナーキスト」と定義されるに至る。そして実際に後藤は故郷の播州のサンカに取材し、その生活と隠語などに言及している。

 これらは柳田国男の「『イタカ』及『サンカ』」(『柳田国男全集』4所収、ちくま文庫)、また資料として挙げられている本連載452の鷹野弥三郎『山窩の生活』などの影響下にあることは明白である。だがここでは後藤とジェネップと『民族』の関係を推察すれば、岡正雄『異人その他』(第三巻第六号)の投影を想像してみたい。柳田たちの論稿において、サンカは「放浪のアナーキスト」という色彩を帯びていないけれど、岡の「異人」はそれにふさわしいようにも思えるからだ。
 岡は書いている。
柳田国男全集4

 自分の属する社会以外のものを異人視して様々な呼称を与へ、畏敬と侮蔑との混合した心態を似つて、之を表象し、之に接触することは、吾国民間伝承に極めて豊富に見受けられる事実である。山人、山姥、山童、天狗、巨人、鬼、その他遊行祝言師に与へた称呼の民間伝承的表象は、今も尚我々の生活に実感的に結合し、社会生活や行事の構成に参加して居る。

 岡がこの「異人」に、柳田の「山人」や折口信夫の「まれびと」を幻視していることはいうまでもないけれど、ここに後藤の「サンカ」を想定することもできよう。

 それに比べて、東北のマタギのほうは熊を狩る勇敢なる猟師として、その出自、系譜、生活なども具体的に描かれ、「異人」というイメージは後退している。それなのにどうして、ここではタイトルでは「又鬼」として表象され、しかも『山窩と又鬼』であればともかく、「又鬼」のほうが先に示されているのだろうか。それは書物展望社の斎藤の何らかの思惑が絡んでいるのかもしれない。

 そのような事情もあってか、昭和六十四年に、後藤の『又鬼と山窩』が復刻され、三一書房の谷川健一編『日本民俗文化資料集成』1に所収の際に、『サンカとマタギ』というタイトルの変更へと投影されたようにも思える。
日本民俗文化資料集成 1
 なおこの一文はやはり同年復刻の批評社版によっていることを付記しておく。
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