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古本夜話989 西村眞次『神話学概論』

 中島悦次の『神話と神話学』の初版に当たる『神話』(共立社)の刊行と同じく昭和二年に、西村眞次の『神話学概論』が早稲田大学出版部から出されている。『早稲田大学出版部100年小史』によれば、同書亜はやはり同年刊行の「文化科学叢書」全8巻のうちの第4巻としてである。時代からすると、この「叢書」は昭和円本シリーズのひとつとして企画されたように思われる。なおこれは蛇足かもしれないが、表紙タイトルなどに本連載553の「雪岱文字」が使われている。
f:id:OdaMitsuo:20200109224406j:plain:h120 (『神話学概論』)

 そのうちの一冊に『神話学概論』が選ばれたのは、神話学への関心が澎湃として起きていたからのようだ。西村はその「序文」において、「現代の日本に取つて刻下の急務の一つは、(中略)神話学の一般的知識を与へるやうな書物の出版である」とまで書きつけている。しかも西村は人類学者であり、「最近の神話学界に於ける傾向は、文化人類学的方法を以て世界の神話伝説を研究し、それを古代史闡明の証徴に役立てようとしてゐる」ので、「それをほんの少しばかり覗いてゐるだけではあるが、(中略)嗚呼かましく本書を上梓する」ことになったと述べている。

 それもあって、西村は神話学の意味から始めて、古代から現代にかけての神話学の進歩にふれ、次に最近の神話学説を一巡していく。その顔ぶれは本連載でも取り上げてきたタイラー、ロバートソン・スミス、アンドルウ・ラング、フレイザーなどの十三人で、それから第一節を「神話の起原」と題する本編へと入るのである。

 そこで参照されているのは、ヘンリイ・ベット(Henry Bett)のNursery Rhymes and Talesにおける自然神話の起原が、原始人の自然現象に対する解説と試みとしての想像に他ならないとの説を引き、それに先に挙げた諸説を導入し、次のように記している。

 つまりベットは、神話を発生せしめるところの動因(Factor)が何であるかを考え、それを人間の探求心であると観じたのである。無論さうしたものが神話の発生に関係あることはいふまでもないが、神話の発生について詳しく知らうと思つたならば、かうした大まかな解決では満足が出来ない。神話は人間の精神的製作で、それの起原、並びに成長は、生物学的、胎生学的に考へなければならぬところの人間歴史の一部である。あらゆる歴史は7つの“何”を明かにする要がある。即ち何故(Why)、何人が(Who)、何時(When)、何処で(Where)、何を(What)、何うして(How)、造つて、それが何うなつたか(What became of)といふとことが闡明されなければならぬ。

 このベットのプロフィルは不明だし、その著作も初めて目にするのだが、ここで西村はベットの言説を糸口として、自らの神話学へのアプローチの手法を語っているだろう。そのような西村の神話探索は第四章の「白鳥処女説話の研究」と第5章の「鰐魚説話の研究」に発揮され、とりわけ前者は百ページに及び、日本だけでなく、朝鮮、蒙古、シベリア・ロシア線、北海沿岸、地中海沿岸、南西亜細亜、太平洋中・南北西大陸に及ぶ言及で、「そこには「白鳥処女説話分布図」という折り込み地図も付されている。

 「白鳥処女説話」は謡曲の「羽衣」(『謡曲集1』所収、『日本古典文学全集』33、小学館)を始めとして、かなり多く日本の各地に残り、それらの研究も盛んであると西村は書き出している。続いてその収穫が本連載984の高木敏雄『日本神話伝説の研究』所収の「羽衣伝説の研究」で、西村はハートランド=E.S.Hartland, The Science of Fairy Tales を引き、次のように述べている。

謡曲集1 f:id:OdaMitsuo:20191217170856j:plain:h112 The Science of Fairy Tales

 羽衣説話は神話学者が白鳥処女説話(Swan-Maiden Myth)或は鳥女説話(Bird-Maiden Tale)と呼ぶところの一型式で、ハートランドもいつたやうに、それは最も広く分布し、同時に人間の心の産んだ最も美しい物語であるといへる。

 その典型と言っていい謡曲「羽衣」のストーリーを紹介してみる。漁夫の白龍が三保の松原で舟から上がり、浦の景色を眺めていると、空から花が降り、音楽が聞こえ、何ともよい香りが漂ってくる。これはただごとではないと思っていると、そばの松に美しい衣がかかっていた。近くに寄ってみると、色もすばらしく、よい香りがして普通の衣ではない。何はともあれ、持ち帰って古老に見せ、家宝にしたいと考えた。すると天女が現われ、その衣は私のものです、どうなさるおつもりですかと聞いた。白龍は拾った衣なので、持って帰ると答えると、それは天女の羽衣で、たやすく人間に与えられるものではない。もとのとおりにして置いて下さいと天女はいった。白龍はこの羽衣の持主が天女であるなら、このような末世にはまことにめずらしい奇跡として、地上にとどめ、国の宝としたいので、衣は返さない。天女はこの羽衣がなければ、空を飛べず、天上に帰れない、どうか返して下さい。ところが白龍は返さず、羽衣を後ろに隠し、立ち去ろうとする。天女は天上に帰ることができず、涙を流す。そのいじらしい姿を見て、白龍は羽衣を返すと、天女はお礼の意味で天女の舞を舞い、羽衣を浦風になびかせ、空の彼方へと飛び去っていった。

 そしてさらに西村は様々な『風土記』『海道記』『富士山記』などを渉猟し、『竹取物語』などとの関係にも言及し、それは前述したように、世界の「白鳥処女説話」へと至るのである。ここに世界各地にみられる神話のひとつの典型がうかがわれることになろう。


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