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古本夜話990 西村眞次『人類学汎論』と『世界古代文化史』

 前回の西村眞次に関して続けてみる。彼は『新潮社四十年』において、新声社同人の西村酔夢として紹介され、明治三十四年に『日本情史』を刊行し、「花井卓蔵博士をして学位論文の価値あり」と激賞されたという。またこれも未見だが、正続『美辞宝典』(文武堂)は数十版を重ね、冨山房では大町桂月の下で雑誌『学生』の編集主任を務めている。さらに拙稿「『村上太三郎傳』と『明治文学書目』」(『古本屋散策』所収)で、西村が『村上太三郎傳』の編者であることも既述している。

f:id:OdaMitsuo:20200111165508j:plain:h115(『日本情史』)古本屋散策

 その西村が『神話学概論』に続いて、昭和四年に東京堂から『人類学汎論』を刊行している。これは菊判函入、十の図版も含んで、上製四七六ページの一冊である。「序文」に見えているように、すでに『文化人類学』と『体質人類学』(いずれも早稲田大学出版部)を上梓しているので、同書は「人類学概論」シリーズの第三篇となる。その目的は「人類に関する諸科学の研究成果を統合して、人類の進化と其帰趨とを誰れにもわかり易いやうに、全幅的、系列的、総合的、図解的に書いて」みることにある。

f:id:OdaMitsuo:20200109224406j:plain:h120 (『神話学概論』)  f:id:OdaMitsuo:20200111171709j:plain:h120(『体質人類学』)

 それを物語るように、西村は『神話学概論』と同じく歴史と方法をたどり、人類学の出現から現在までをラフスケッチした上で、人類間の差異、人種の規準、分類、成因、人類と動物との差異、人類の祖先と文化、起原と移動、進化の要因、自然との関係などに言及していく。その筆致と展開は啓蒙的にして、人類の生存競争よりも相互扶助に焦点が当てられ、人類学史が人類の進化の歴史であることを訴求する筆致に貫かれている。

 そうした色彩は、本連載でしばしばふれてきた岡書院の人類学文献の専門性と一線を画すニュアンスがこめられ、それゆえに寺田和夫の『日本の人類学』(角川文庫)において、西村とその著作に対する言及がない理由を示唆していよう。それでも『文化人類学事典』(弘文堂)に西村の立項を見出せるので、それを引いてみる。
f:id:OdaMitsuo:20200111204047j:plain:h115 文化人類学事典 

 にしむらしんじ 西村真次 1878~1943 前半生は小説家、新聞記者、雑誌編集者などとして過ごしたが、独学で人類学、考古学、(日本)古代史の研究を進め、1918年以降出身校である早稲田大学で教鞭を執った。その数多くの著作に見られるように関心は広範にわたったが、人類学的・考古学的視角を取り入れた日本古代史研究や古代船舶研究がとくに知られている。スミス(G.E.Smith)などの影響でかなり極端な伝播論(文化単源節)に基づいた人類進化史を説き、人類共有感情に起因する独立発生を説く文化発生の多源論(文化複源論)を批判した。現在このような見解は到底首肯できないが、彼の業績で今日も評価されるべきは経済人類学におけるその先駆的研究である。ついに未完に終わった「日本古代経済」では、交換を本格的には呪的なものとして捉え、沈黙貿易、市場の発生、貨幣の起源などを呪的宗教的動因から説明した。また、彼の古代船舶研究も物質文化に関する研究の未だ乏しかった大正期に着手された先駆性が評価される。(後略)

 これが現在の文化人類学的視座から見られた西村の位相と評価ということになろう。それでも『東京堂の八十五年』の記述によれば、『人類学汎論』は「日本で出版された人類学関係の書物中最も包括的なもの、人類学の全分野を集大成して鳥瞰を与えた」と書評され、増刷を重ねたようだ。それに続いて東京堂から昭和五年に『日本文化史概論』、同六年に『世界古代文化史』が出され、後者は手元にある。

東京堂の八十五年  f:id:OdaMitsuo:20200111120359j:plain:h115(『世界古代文化史』)

 これは『東京堂の八十五年』がいうように、「人種、遺物、言語、工芸、土俗の諸方面の資料をふまえて、各地域の古代史を闡明した大著で、四六倍判六百頁、背革装、本文上質百斤、大判地図、三色版、コロタイプ、石版、単色版等、別刷八十葉、本文挿入三百八十図という、当時としてはめずらしい豪華版で、分冊普及版も刊行」とある。私が所持するのはその「合本普及版」で、昭和八年十二月再版、定価六円が特価四円八十銭とされ、「分冊普及版」の合本ゆえに二割引の特価処置がとられたのであろう。

 『世界古代文化史』はまさにそのような一冊だが、その奥付裏には西村の新著として、『日本古代経済(交換篇)』全五冊が掲載され、その第一回配本が『市場』、第二回配本が『貨幣』として既刊となっている。これが『文化人類学事典』の立項で示された西村の「経済人類学におけるその先駆的研究」に該当する。

 経済人類学の古典とされるカール・ポラニー(ポランニー)の『大転換』(吉沢英成他訳、東洋経済新報社、昭和五十年)の刊行は一九四四年だから、「先駆的研究」に位置づけられよう。また同じく巻末には「西村眞次著述目録」も付され、彼が大正六年から昭和六年にかけて、造船協会を版元とし、A Study of Ancient Ships of Japan という十冊に及ぶシリーズの刊行を伝えている。これらが同じく先の立項における「古代船舶研究」であろう。

大転換

 だが残念ながら、双方とも未見で、西村が文学者として出発し、古代史や人類学へと進んだことは承知していたけれど、経済人類学や古代船舶研究にまで及んでいたことは知らずにいた。いずれ双方の著作に出会えたら、その内実を確認してみたい。


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