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古本夜話991 近代社『神話伝説大系』

 前々回に中島悦次の証言を引き、昭和二年に恩師の松村武雄の『神話伝説大系』全十八巻が刊行され始め、神話研究にとって恵まれた年だったことにふれておいた。
f:id:OdaMitsuo:20200112112209j:plain:h100(近代社版)

 この近代社の『神話伝説大系』は裸本で函の有無は不明だが、十年以上前に全巻を入手しているので、その各巻明細、編著者を含め、挙げてみる。これは昭和五十年から名著普及会によって全四十二巻で復刊されているけれど、近代社版の明細などはよく知られていないと思われるからだ。
f:id:OdaMitsuo:20200112113320j:plain:h100(復刻版)

1 中島孤島編 『エヂプト神話伝説集』『バビロニヤ・アッシリヤ神話伝説集』『ギリシヤ・ローマ神話伝説集(補遺』)
2 場睦夫編 『印度神話伝説集』、松村武雄編『波斯神話伝説集』
3 内田保編 『ヘブライ神話伝説集』、松村武編『パレスチン民間神話伝説集』
4 中島孤島編 『希臘羅馬篇』
5 村武雄編 『北欧神話伝説集』
6 村武雄編 『独逸神話伝説集』
7 八住利雄編 『愛蘭神話伝説集』
8 中島孤島編 『英蘭神話伝説集』、内田保編『蘇格蘭神話伝説集』
9 井上勇編 『仏蘭西伝説集』、昇曙編『露西亜神話伝説集』
10 山崎光子編 『白耳義伝説集』『墺太利伝説集』『匈牙利伝説集』
11 山崎光子編 『西班牙神話伝説集』、松村武雄編『安南神話伝説集』『自然民族神話伝説集(亜細亜の部)』
12 松村武雄編 『芬蘭神話伝説集』『セルヴィ神話伝説集』
13 藤澤衛彦編 『日本神話伝説集』
14 松村武雄編 『支那神話伝説集』、中村亮平編『朝鮮神話伝説集』『台湾神話伝説集』
15 松村武雄編 『メキシコ神話伝説集(ナフア族、マヤ族)』『ペルー神話伝説集』『キャドー族神話伝説集』
    『ブラジル神話伝説集』
16 松村武雄編 『太平洋北岸神話伝説集』『英領北亜米利加神話伝説集』『アルゴキン族神話伝説集』『スー族神話伝説集』
    『エスキモー族神話伝説集』『イロクオイ族神話伝説集』『ヒアワサ物語』
17 松村武雄編 『阿弗利加神話伝説集』
18 松村武雄編 『オーストラリア神話伝説集』『メラネシア神話伝説集』『インドネシア神話伝説集』『ポリネシア神話伝説集』


 ちなみに16、17、18は「自然民族神話伝説集」と銘打たれている。
これらの内容もさることながら、菊判上製、大半が七百ページ余という大冊で、巻によってはカラー挿絵も収録され、当時とすれば、紛れもなく豪華本に分類されたにちがいない。巻末に図案者は澤令花の名前が記され、印刷や製本もそれぞれ近代社印刷所や製本部が担っていたと見なせるし、『世界童話大系』に続く、近代社の一大出版プロジェクトだったのであろう。
f:id:OdaMitsuo:20200112153443j:plain:h90(『世界童話大系』)

 かつて拙稿「近代社と『世界童話大系』」(『古本探究』所収)において、近代社とその発行者名の吉澤孔三郎は創業年やプロフィルも不明だが、大正十三年から昭和四年にかけて、『世界短篇小説大系』全十六巻を始めとし、六つの大系や全集を刊行したことに言及しておいた。また「吉澤孔三郎と『世界短篇小説大系』」(『近代出版史探索』所収)でも、依然として、近代社と吉澤は出版史の闇の中に埋もれたままになっているとも記しておいた。

古本探究  近代出版史探索

 ところが思いがけずに、これらの拙稿を吉澤の遺族が読み、私を訪ねてきたことがあった。彼らにとっても吉澤の前半生は不明で、死後にこれらの出版物が残され、その奥付に名前が見出されたことから、初めて出版に携わっていた事実を知らされたという。彼らの訪問の目的は、私に吉澤のことをさらに調べてほしいということだったが、私としても書いた以上の手がかりはつかめていないし、近代社と吉澤探索だけに時間を費やすことはできないので、断らざるをえなかった。

 それでも吉澤は前回の西村真次と同様に、後の新潮社の佐藤義亮の近傍にいて、『新声』の投書家だったのではないかと推測された。実際に大正十三年の『近代劇大系』は新潮社と近代社の共同出版だったのである。そこで『新潮社四十年』収録の明治三十六年の「新声誌友会」の集合写真を写し、この中に吉澤が含まれているかもしれないことを伝えておいたのである。現在の技術からすれば、それぞれの人物を精巧に拡大し、確認していくことで、吉澤の面影が浮かんでいくのではないかとも思ったからだ。だがその返事は戻ってこなかったことを考えると、そこには写っていなかったのかもしれない。それだけでなく、私の近代社と吉澤探索も途絶えたままである。

(『近代劇大系』)

 だが今回『神話伝説大系』を繰ってみて、確認できたことがいくつかあるので、それらを挙げてみたい。幸いにして、第三巻には「神話伝説大系の読者諸彦」へという「近代社同人」による投げ込みチラシと、郵便振替による「一ヶ月分四円八十銭」の「神話伝説大系会費」払込み票がはさまれていた。前者には「現下出版界は円本の流行によつて内容に装幀に益ゝ低下しつつあります。その俗悪な全集本の蠢く中に独り本大系のみが燦然として光影を放ち、昂然として独歩しつつあることは欣快措く能はざるものああります」との言が見える。それは後者とともに、『同大系』が流通販売に関して、読者直販方式を採用していたことを物語っているし、『世界童話大系』 を踏襲していたはずだ。

 しかしここで留意しておかなければならないのは、『世界童話大系』 が大正時代だったことに比し、『神話伝説大系』が昭和円本時代の只中に、しかも近代社を破産に追いやったもうひとつの円本企画『世界戯曲全集』と同時に刊行されていたのである。第一書房の『近代劇全集』との競合に敗れた『世界戯曲全集』の苦境は当然のことながら、『神話伝説大系』にも影響を与えずには置かなかった。最後の「自然民族神話伝説集」になると、発行者は吉澤ではなく、松元竹二へと変更されている。松元は近代社の社員で、吉澤の身代わりとして、発行者にすえられ、破産の後始末を担うことになったのだろう。だがそれらの詳細は判明していない。

(『世界戯曲全集』)f:id:OdaMitsuo:20200112165545j:plain:h100(『近代劇全集』)


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