前回の中村亮平『朝鮮童話集』が冨山房の「模範家庭文庫」の一冊であることは既述しておいた。この「模範家庭文庫」に関しては拙稿「吉行淳之介と冨山房『世界童謡集』(『古本屋散策』所収)や本連載237でも平田禿木訳『ロビンソン漂流記』で言及してきている。
しかしこの「模範家庭文庫」は大正四年から昭和八年にかけて、全二十四冊が刊行されたはずだが、この時代の単行本児童書ゆえに、収集が難しく、児童文学研究者にしても全巻を見ていないように思われる。例えば、瀬田貞二の『落穂ひろい』にしても、第十一章の「大正」のところに、「『新少女』・『模範家庭文庫』・三重吉・泣菫」という一節があるにもかかわらず、書影は『アラビヤンナイト』などの五冊が挙げられているだけである。また『日本児童文学大事典』の「模範家庭文庫」明細リストにしても、大正四年から昭和十三年にかけて全二十五冊刊行とあり、また書名の間違いも見え、全冊を確認していないことは明らかだ。
幸いなことに『朝鮮童話集』の奥付裏はほぼ五ページに及ぶ「模範家庭文庫」広告で、モノクロではあるけれど、十七冊の書影を目にすることができる。十七冊の既刊が謳われ、その特色として、「説話のおもしろいこと」「文章のやさしいこと」「挿画の多いこと」「装幀の美しいこと」が挙げられ、「家庭に咲出した幸福の花園」「地上に出現したこどもの天国」「大人たちも一緒にたのしめる世界の古典」「家内中が宝物にする善美第一のお伽画本」などの惹句も付せられている。そして「発行の趣旨」として、「模範家庭文庫は我が国で始めて着手せられた世界家庭文学の古典全書であります。清心健全な家庭読本として少年少女諸君のまどゐの優しい師友であると共に、永く家庭に蔵めて書斎の宝典となり、客間の装飾品ともなるために、時間と労力を厭わず、内容にも体裁にも善美第一とつとめました」と始まる長文の掲載もある。これは本連載238などの楠山正雄の手になるものであろうし、近代社の『世界童話大系』と並んで、大正時代になって新たな「家庭」と「少年少女」のイメージが提起されたことを示していよう。
(『世界童話大系』)
そこであらためて、「模範家庭文庫」の全巻リストを提出してみる。ナンバーは便宜的に振っている。
第一輯
1 『アラビヤンナイト』上 | 杉谷代水訳、小杉未醒、橋口五葉、小林英二郎、岡本帰一 画 |
2 『アラビヤンナイト』下 | 〃 |
3 『グリム御伽噺』 | 中島孤島訳、岡本帰一 画 |
4 『イソップ物語』 | 楠山正雄訳、名取春仙、岡本帰一 画 |
5 『アンデルセン御伽噺』 | 長田幹彦訳、水島爾保市、岡本帰一 画 |
6 『ロビンソン漂流記』 | 平田禿木訳、岡本帰一 画 |
7 『世界童話宝玉集』 | 楠山正雄編、岡本帰一 画 |
8 『西遊記』 | 中島孤島訳、水島爾保市、岡本帰一 画 |
9 『ガリバア旅行記』 | 平田禿木訳、岡本帰一 画 |
10 『日本童話宝玉集』上 | 楠山正雄編、早川桂太郎、岡本帰一 画 |
11 『日本童話宝玉集』下 | 〃 |
12 『世界童謡集』 | 西條八十、水谷まさる編、岡本帰一、武井武雄 画 |
第二輯
13 『続グリム御伽噺』 | 中島孤島訳、岡本帰一 画 |
14 『支那童話集』 | 池田大伍編、水島爾保市、初山滋、小村雪岱 画 |
15 『弓張月物語』 | 中島孤島訳、小村雪岱 画 |
16 『朝鮮童話集』 | 中村亮平編、木村荘八、清宮彬 画 |
17 『印度童話集』 | 岩井伸実篇 武井武雄、初山滋 画 |
18 『トルストイ童話集』 | 水谷まさる訳、川上四郎 画 |
19 『科学物語』 | 前田晁訳、飯塚玲児 画 |
20 『キリスト物語』 | 浜田広介作、初山滋 画 |
21 『少年ルミと母親』 | 楠山正雄訳、二瓶等画 |
22 『こども聖書旧約物語』 | 中村星湖編、初山滋 画 |
23 『家庭と学校の児童劇』 | 伊達豊編、宍戸左行 画 |
24 『家庭日本芝居物語』 | 岡本綺堂、額田六福編、鳥居言人 画 |
私にしても、6と16しか入手していないけれど、これが「模範家庭文庫」の全容である。それに1と2の『アラビヤンナイト』は本連載986などのアンドリュー・ラングの再話本からの翻訳とされるので、長きにわたって探しているが、古本屋でも古書目録でも、一度も目にしていない。『落穂ひろい』の書影はおそらく、1及び2、4、7、10だが、それらは私の『朝鮮童話集』と同じくとても疲れた感じで、美本が古書市場にも払底していることを伝えているのだろう。
この「模範家庭文庫」とのリアルタイムでの出版の出会いは、やはり『落穂ひろい』の瀬田の証言を引くしかない。彼は『アラビヤンナイト』にふれ、次のように記している。
(『落穂ひろい』)
冨山房ではかねて逍遥と相談して案を練り、御大典(大正四年十一月十日)を期して理想的な児童書シリーズの幕をあけようとしたのでしょう。(中略)その第一期十二冊の、この二冊がまず、美しい叢書のはじめでした。冨山房のこの文庫は、当時三円、すこし後には三円八十銭という高価で、私たち下町のしがない家の子には手が出ませんでしたが、これほど入念な美しい造本を、私は今に至るまであまり記憶していません。菊版(ママ)、四百-五百ページで、厚紙クロース表紙に色刷口絵を貼りこみ、天金にして、三色版や石版、木版の色刷口絵を十三枚ほど、本文中には墨版や二色の凸版の挿絵を二、三ページごと、数ページごとにいれてあるですから、豪華なものでした(後略)。
これは『落穂ひろい』に収録された「模範家庭文庫」の二ページカラー紹介を実際に見てもらうしかないが、その出版当時の印象のリアルな証言に他ならないだろう。
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