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古本夜話1005 金星堂児童部、武井武雄、島田元麿、東草水訳『青い鳥』

 本連載995で、冨山房の「画とお話の本」の一冊、楠山正雄編、岡本帰一画『青い鳥』にふれ、瀬田貞二の『落穂ひろい』での証言を引き、大正九年の民衆座による『青い鳥』初演は「近代演劇史上の一事件」だったことを既述しておいた。

f:id:OdaMitsuo:20200207111032j:plain:h120 (『青い鳥』)落穂ひろい(『落穂ひろい』)

 実は前回の『支那童話集』を浜松の時代舎で見つけた際に、その隣に置かれていた『青い鳥』 を一緒に購入したのである。それは背のタイトルに「児童劇」が付されたメーテルリンクの『青い鳥』で、島田元麿、東草水訳、武井武雄装画の一冊だった。函なしの裸本だけれど、武井による表紙装画は青い鳥を挟んだ少年少女のそれぞれの半身を描き、その原色は鮮やかさを保っている。

f:id:OdaMitsuo:20200303171209j:plain:h120(『支那童話集』) f:id:OdaMitsuo:20200304115330j:plain:h120(『青い鳥』)

 奥付を見ると、大正十三年の刊行で、発行所は金星堂児童部とあり、巻末広告にはいずれも「童話集」として、徳永寿美子『赤自働車』、吉田一穂『海の人形』、武井武雄『ペスト博士の夢』がそれぞれ一ページで掲載されている。やはりどれもが武井の装幀で、彼と金星堂児童部との関係の深さがうかがわれる。

 ところで、訳者の島田と東のことになるが、前者は紹介がみつからないけれど、後者は『日本近代文学大事典』『児童文学事典』に立項されている。だが『日本近代文学大事典』では「あずま」、『児童文学事典』では「ひがし」と表記されていて、『青い鳥』の訳者表記からすると、「ひがし」のほうが正しいと思われるので、こちらを引いてみる。

 東 草水 ひがしそうすい 一八八二~一九一六(明15~大5)詩人。本名俊三。愛媛県温泉郡南吉井村(現重信町)に生まれ、松山中学より早稲田大学英文科に学ぶ。卒業後、実業之日本社を主舞台に多彩な文筆活動をする。アンソロジー『青海波』(一九〇五)に『秘め恋』などを発表。主に抒情詩を書く。なお、少年小説『夏やすみ』(一一)で、一少年の休暇生活を指摘でユーモラスなタッチで描き、ごく平凡な子ども像を創造する先駆を成した。翻訳にも関心をもち、『翻訳の仕方と名家翻訳振』(一六)は誤訳と歪曲の多い当時の翻訳状況を批判した貴重な論集。彼自身、島田元麿との共訳で『青い鳥』(二四)などを出す。

 これを『落穂ひろい』などによって補足すれば、東は実業之日本社の『日本少年』の編集者で、やはり同社の島崎藤村の『眼鏡』に始まる「愛子叢書」全五編の企画者だったという。また『児童文学事典』の少女小説家の横山美智子の立項によれば、彼女は実業之日本社の『少女の友』の編集者の東の家に起居し、同誌に長期連載を持つようになり、その地位を確立したとされる。そこで『「少女の友」創刊100周年記念号』(実業之日本社、平成二十一年)を見てみたけれど、こちらは昭和戦前の時代と第五代主筆内山基に焦点が当てられ、東や横山に関しては言及が見当らない。

  f:id:OdaMitsuo:20200304174658j:plain:h120  『少女の友』創刊100周年記念号 明治・大正・昭和ベストセレクション

 東の立項も補足も、それ以外のプロフィルや詳細、あるいは共訳者の島田の消息をうかがえない。だが『青い鳥』の翻訳出版が一九二四年=大正十三年とされているので、これは金星堂版を挙げていると思われる。言及が遅れてしまったが、この『青い鳥』は原作の六幕十二景を「樵夫小屋」以下十幕とし、主人公のチルチル、ミチル兄妹は近雄と美知へと日本名に翻案され、それが武井の一ページ挿絵とともに進行していくのである。

 しかしここで問題とすべきは、東の没年が大正五年とあるので、その八年後に金星堂版は刊行されたことになる。それをめぐって気になるのは、奥付の検印紙に金星堂の社印が押されていることで、その事実に注視しなければならない。この検印が告げているのは、『青い鳥』の著作権が金星堂に属するもので、著作者や訳者の印税が生じないことを教えてくれる。それに拙稿「知られざる金星堂」(『古本探究Ⅱ』所収)、及びその後に刊行された『金星堂の百年』にも明らかだが、金星堂はその出自を関西の赤本屋とするもので、大正七年に書店と取次も兼ねる上方屋として始まっている。

 古本探究 2  f:id:OdaMitsuo:20200304175256j:plain:h120 (『金星堂の百年』)

 その拙稿に目を通していたら、自分で書いて失念していたのだが、上方屋は「古い紙型を買って『歳時記』からダイジェスト翻訳の『名作叢書』を出した」とあった。そこで『明治・大正・昭和翻訳文学目録』のメーテルリンクを引いてみると、大正十二年に上方屋から東草水訳『青い鳥』が出されているのを見出したのである。もちろんそこには金星堂版が挙げられていた。

 したがって以下のように推測できる。上方屋『青い鳥』は出版社不明の東のダイジェスト訳の「名作叢書」の古い紙型を買って刊行したもので、さらにそれを共訳者の島田がリライトし、武井の装幀と挿絵により、金星堂版『青い鳥』として、大正十三年に出されたのであろう。それは金星堂が児童書部門も立ち上げ、新感覚派の文芸誌ともいえる『文芸時代』の創刊と逆走するようなかたちだったと思われる。そうした文脈においてみると、この『青い鳥』は新感覚派の児童書のようにも思えてくる。

 だがそれにしても、『青い鳥』の元版はどこから出版されていたのだろうか。

 なおその後の調べで、その元版は明治四十四年に実業之日本社から刊行されていたことが判明した。それは同じく島田と東の共訳であり、私の推理は間違っていたことになる。また島田はロシア文学者だったようだ。


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