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古本夜話1011 研究社『藤村読本』と小酒井五一郎

 もう一冊、島崎藤村の渡仏と関連し、しかも飯倉時代の大正十四年に研究社から出された『藤村読本』第一巻がある。これは『研究社八十五年の歩み』を確認すると、十五年までに全六巻が刊行されている。
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 私が所持する一冊は裸本で、函やカバーは不明だけれど、そのタイトルの書体や装丁のイメージは本連載553の小村雪岱のように思われる。また口絵六枚は竹久夢二によるもので、それから藤村の「少年のためにも著作をしたいと私が思い立つやうになつたのは、遠い外国の旅にある頃からでした」と始まる「はしがき」がおかれ、この『読本』に至る心境が語られている。

 私が四人の子供を国に残して置いて、外国の旅に出たのは、大正二年の春のことでした。この子供等の母親はまだみんなのちひさな時分に亡くなつたものですから、遠い旅にある間も余分に私は子供等のことが心にかかりました。そんな心持から、外国の田舎の子供に話しかけたり、知らない土地の少年を見るにつけても、国の方に留守居する太郎や次郎たちのことを思ひだしたりする話なぞが、この本の中に出て来ます。私も遠いさみしい旅をして見て、子供の友達になつたのです。そこから少年のためにも物を書こうと思ふ心が生まれて来たのです。

 このような「はしがき」によって、『藤村読本』の成立理由がわかるし、第一巻には「桃の子供」から「言葉の愛」に至る八九の「先ずやさしいものがたり」が収録されていることになる。藤村と雪岱と夢二、それに英語の研究社と児童書の組み合わせは奇妙な印象をもたらす。だがその前年の、大正十三年のやはり夢二の挿絵入の藤村の『をさなものがたり』、小野政方『白い小兎』、小川未明『赤い魚』などの刊行とリンクしているのだろう。それは本連載でたどってきた大正時代における児童書出版の試みが、多くの版元によってなされていたことを物語っていると思われる。
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 それを裏付けるように、「あとがき」にあたる「第一巻の後に」で、藤村が研究に主人小酒井五一郎さんが多年の希望により」と書いているのは、小酒井が研究社としてのひとつの分野に児童書出版も目論んでいたことを伝えるものだし、藤村との関係も密接だったからだ。まず小酒井のプロフィルを『出版人物事典』から引いてみる。

 [小酒井五一郎 こさかい・ごいちろう]一八八一~一九六二(明治一四~昭和三七)研究社創業者。新潟県生れ。小学校卒業後上京、取次業上田屋書店につとめたのち独立、一九〇七年(明治四〇)麹町富士見町に英語研究社を創業、英語関係の書籍・雑誌を発行。一六年(大正五)、『武信和英辞典』、二七年(昭和二)『岡倉大英和辞典』を刊行、英語辞典の双璧といわれた。また、英文学者や『受験と学生』をはじめとする多くの英語雑誌を出版、“英語の研究社”の信頼を築いた。(後略)

 この立項を先の『研究社八十五年の歩み』、及び所収の斎藤勇「研究社創立者」や福原麟太郎「小酒井五一郎氏を弔う」などによって補足しなければならない。前々回や拙稿「『破戒」のなかの信州の書店」(『書店の近代』所収)でもふれているように、明治三十九年に藤村は取次の上田屋から「緑蔭叢書」第一篇として、『破戒』を自費出版する。その際に藤村は数寄屋橋の秀英社で刷り上がった『破戒』を荷車に積み、神田の上田屋へ運んでいった。その上田屋に勤めていたのが他ならぬ小酒井で、十二歳だった小僧は二十歳半ばとなり、明治三十七年に上田屋の次女と結婚していた。
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 この荷車を引いていったのも小酒井で、これが縁となり、藤村と親しく交流するようになった。研究社の藤村の児童書出版はそうした小酒井との関係に端を発していると見なせよう。

 また「研究社刊行出版物年譜」を追っていくと、創業時から柱は英語関連書である。しかし大正に入ると、永島水洲『少機関師』『生死の境』などの「少年愛読叢書」、安倍季雄編、少女傑作文学『わか艸』を刊行し、大正八年には小学生低学年を対象とする月刊読物雑誌『小学少年』『小学少女』を創刊している。それから九年には野尻抱影を主筆とする月刊誌『女学生』、十年には『五六年の小学生』がやはり創刊されていく。
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 これらの延長線上に、藤村や夢二の児童書の企画も成立したのではないだろうか。しかし夢二の童謡集『凧』と童話集『春』は、『研究社八十五年の歩み』の「夢二・藤村の子供のための本」というカラーグラビアでしか見ていないけれども、夢二の著作の大正時代における多彩な出版社からの刊行に、研究社も加わっていたのかと驚いてしまう。これらの事実は、研究社の出版物が英語書をメインとしていても、創業時代には児童読物雑誌や児童書出版も試みられていたことを伝えていよう。

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