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古本夜話1012 研究社「英米文学評伝叢書」

 前回、研究社に関してふれる機会を得たので、ここで続けて研究社の「英米文学評伝叢書」を取り上げておきたい。

 すでに十年以上前になるのだが、浜松の時代舎に研究社の「英米文学評伝叢書」が二十冊近く積まれていた。これだけまとまって売られているのを見たのは初めてで、古書価も一冊二五〇円だったことから、まとめて購入してしまったのである。それは山口昌男がこの「評伝叢書」を高校時代に愛読したとどこかで書いていたことが記憶に残っていたことによっている。

 このシリーズはほぼ新書版と同じ判型、ページ数は一五〇ページから二五〇ページ前後の文字通り「英米文学評伝叢書」であり、全百巻別冊三巻からなっている。全巻の明細を挙げることは紙幅が許さないので、入手した十七冊だけをリストアップしてみる。左に付した番号は巻数である。背表紙はカタカナだが、表紙タイトルと「叢書」一覧は原語表記なので、後者に合わせる。

7  Ben Jonson 本多顕彰
12 Bunyan  中野好夫
17 Swift  平岡喜一
33 Wordsworth 佐藤清
34 Coleridge   桂田利吉
37 Jane Austen  大内脩二郎
38 Landor    李歇河
42 De Quincey    菊池武一
45 Keats     齋藤勇
48 Tennyson    小田千秋
49 The Brownings  曽根保
65 Meredith     松浦嘉一
66 Hardy      片山俊
74 W.H.Hudson   柏倉俊三
81 Yeats 尾島庄太郎
88 S.L.Sasson    田上元徳
90 W.Irving     岡田三津

f:id:OdaMitsuo:20200318235605j:plain:h110 (Ben Jonson)

『研究社八十五年の歩み』によれば、「英米文学評伝叢書」は岡倉由三郎、土居光知、斎藤勇の三人を主幹とし、昭和八年十月に斎藤のJohn Milton、織田正信のGeorge Gissing、高垣松雄のTheodore Dreisenの三冊から始まっている。しかもこれは申込金一円の予約出版、月三巻配本予定で昭和十四年九月に完結したようだ。まだ昭和初期円本時代の予約出版システムが継承され、研究社まで及んでいたことは意外でもあった。

 そこに74の著者である柏倉俊三が「『文学論パンフレット』と『評伝叢書』のころ」を寄せている。ちなみに「文学論パンフレット」は未見だけれど、斎藤勇編輯により、昭和六年十月にT・S・エリオット、北村常夫訳『完全なる批評家他一篇』、F・L・ルーカス、中野好夫訳『批評論』、W・L・クロス、織田正信訳『近代英米小説』の三冊から始まり、昭和十年までに三十巻を刊行している。この「文学論パンフレット」が少数の専門家や読者をコアとしていたことに対し、柏倉は「英米文学評伝叢書」が「これにいろいろの要素が加わり、日本英米文学関係の世界ではその総力をみごとに結集して、いわばこの円心を利用、善用した巨大な同心円とも言うべき」、「まことに見事な勢揃いであった」と評している。
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 また平井正穂も「往事茫々」で、7の校正経験、大橋健三郎も「アメリカ文学研究書について」において戦前の学生時代に「評伝叢書」を揃えていたこと、高垣松雄『ドライサー』や阿部知二『メルヴィル』の読書体験を語っている。この「評伝叢書」がベースとなり、中野好夫が編集実務を担った『英米文学辞典』が昭和十二年に完成する。私などが使っているのは昭和三十六年の第二版だったとわかる。
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 それだけでなく、私たち戦後世代にとっても身近な「20世紀英米文学案内」もまた、「評伝叢書」をコアとして成立したといってもいい。これは昭和四十一年に監修を福原麟太郎、西川正身とし、中野好夫編『コンラッド』、佐伯彰一編『ヘミングウェイ』、朱牟田夏雄編『サマセット・モーム』、大澤実編『トマス・ウルフ』、伊吹知勢編『マンスフィールド』、西川正身編『フォークナー』の六冊が出され、四十六年に全二十四巻で完結している。原弘の装幀による白地の函のシリーズはとても懐かしい。
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 とりわけ「20世紀英米文学案内」16に当たる西川正身編『フォークナー』は若かりし頃、常に手元に置き、拳々服膺させてもらっていた。それは私にフォークナー耽溺の時代があったからである。やはり様々な世界文学全集にしてもそうであるけれど、同時代に刊行されていた外国文学シリーズは何らかのかたちで、私たちに影響を与えていたことを実感する。どちらかといえば、「20世紀英米文学案内」は入門書や啓蒙書に近いかもしれないが、チェチェローネの一冊としては広くその役目を果たしたといえるのではないだろうか。

 それに比べて、「英米文学評伝叢書」はリアルタイムで読んでいないが、42のDe Quinceyや81のYeatsを覗いただけでも、戦前に「20世紀英米文学案内」のような役割をつとめたと思われる。

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