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古本夜話1018 岩野泡鳴『悪魔主義の思想と文芸』

 春山行夫が『ジョイス中心の文学運動』の「はしがき」において、同書のタイトルはシモンズの『表象派の文学運動 』の岩野泡鳴訳に基づくと述べ、さらに次のように書いている。
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 また僕は詩人であり小説家であり批評家であつた岩野泡鳴の《悪魔主義の思想と文芸》(大正四年二月天弦堂刊)にも精神的負債を擔つてゐる。若し僕の仕事がその隣りに並べられて批評されることを望むとしたら、その書であるにほかならない。

 そこまで春山が書いているのだから、泡鳴の『悪魔主義の思想と文芸』をあらためて読んでみることにしよう。『表象派の文学運動 』の出版が大正二年十月、『悪魔主義の思想と文芸』は同四年二月であることから、おそらく春山はこの二冊を相次いで読み、大きな影響を受けたことを語っているのであろうし、それは河上徹太郎や小林秀雄たちも同様だったのではないだろうか。しかし『悪魔主義の思想と文芸』についてはほとんど語られていないと思われる。テキストは国民と初版『泡鳴全集』第十六巻所収による。
f:id:OdaMitsuo:20200409103445j:plain:h120 (『岩野泡鳴全集』、臨川書店版)

 『悪魔主義の思想と文芸』は泡鳴が「はしがき」に述べているように、十九世紀後半に出現したボードレールに象徴的な「悪魔主義」の紹介で、それは「膚浅な常識、通俗な感情、並に平凡な俗美の技巧に対する勝利の凱歌」としてであり、その後の文芸の表象主義、印象主義、超人主義、唯美主義などの源泉になったとされる。泡鳴はこの「悪魔主義」をシモンズ、オスカー・ワイルド、ボードレール、テーヌなどの三十冊以上に及ぶ英語文献=「参考にした書名」を挙げ、ポー、ラファイエロ前派、ゴーチェ、フローベール、ボードレール、ユイスマンス、ワイルドを論じ、その「悪魔主義」をそれぞれに示し、近代日本の文芸や思想の状況を逆照射させようとしている。

 しかし「悪魔主義」といっても、現在ではもはや使われておらず、死語となっているので、戦前の『日本文学大辞典』(新潮社)を引いてみると、英語でdiabolism をさし、これが泡鳴のいう「ヂアボリズム」だとわかる。そして「美や善の反対の悪の中に詩美を求める表現が認められるところからこの名称が生じた」と定義されている。

 もちろん『悪魔主義の思想と文芸』における泡鳴の記述がオリジナルなものではなく、「参考にしたる図書」からの翻訳、抽出、引用から構成されていることを承知していても、当時の外国文学に関する紹介や知識の伝播状況の中に置いてみれば、この一冊もまたシモンズの『表象派の文学運動 』と並んで、驚きに値する新鮮な海外文学情報だったのではないだろうか。それはここで紹介されている個々の詩人や作家たちの核心を穿った記述に突出しているように思われる。

 これは私の好みになってしまうが、その例としてフローベールの章を示してみよう。泡鳴はフローベールの『ボヴァリー夫人』を「小説革新上の最初の傑作」と呼び、次のように書いている。

 フロベルの特別な独創は作者の自己をその作中から全く抜き取り、芸術を純然たる形美の完成にした。そしてそれが為めには、かの作り話的な冒険や空想的な性格やで固めた想像劇若しくは理想夢と同様であつた羅曼主義を写実主義の勢力下に服従させて、広大な社会的並に心理的探究の一道具に変形した。渠はそれ自身の観察と自然に基づく研究とによつて生きた現実を捉へる為め、羅曼的芸術を現実の直接観察の役目に供した。
 渠は小説に於て自分一個の印象を示めさないやうに、又自分の博愛家的感情を―実際に有してゐても―押し隠すやうに、努めた。これは多くの恥知らずの作家等が喜ぶ俗受けなるものを嫌忌した為め、並にすべて無思慮な感傷主義を離れた芸術を尊んだ為めだ。小説はもはや怠け者等を楽ましめる空想の作物ではなく、人生の真摯忠実な研究並に描写であつた。渠は情緒若しくは同情の見えるあらゆる徴候を厳禁し、ありの儘の観察に徹底し、これを塑造的に表現しようとした。これが為めに渠を残酷、無情、無道徳の作家だと評するものがあつても、渠は少しも頓着しなかつた。

 何とも見事なフローベールと『ボヴァリー夫人』論であるために、省略を施さず、長い引用になってしまった。しかもまだこの当時、フローベールは本格的に紹介されていなかったし、『ボヴァリー夫人』も翻訳されておらず、それは『近代出版史探索』186の大正十年の中村星湖による『ボワ゛リイ夫人』を待たなければならなかったのである。大正二年に生田長江訳『サラムボオ 』が博文館の「近代西洋文芸叢書」の一冊として刊行されていたが、これは歴史小説にして英訳からの重訳であり、泡鳴が示したフローベールと『ボヴァリー夫人』論のようなものが書かれる気配は何も散種されていなかった。それゆえにここに紹介された「作者の自己をその作中から全く抜き取り、芸術を純然たる形美の完成にした」というフローベールの文学はまったく新しい小説のようにして、この泡鳴の著作の中に出現したことになる。
近代出版史探索

 そしてまた『悪魔主義の思想と文芸』は十九世紀後半の西洋の文学、思想史であり、それがシモンズの『表象派の文学運動 』に至る前史を形成している。それゆえに大正初年において、いずれも泡鳴によるこの二冊を読んだ文学少年、青年たちは本当に震撼させられる思いを味わったのではないだろうか。そのような見取図は泡鳴以外の誰も提出していなかったからだ。

 もちろんいうまでもないが、『表象派の文学運動 』にも多くも誤訳があるし、『悪魔主義の思想と文芸』にも、間違いと誤解がいくらでも見つけられる。しかしそのような二冊が、近代日本文学における西洋文学のひとつのメルクマールになったことは特筆すべきだと思われるし、それは河上徹太郎や小林秀雄、春山行夫にも強く投影されている。とりわけ春山の『ジョイス中心の文学運動』は泡鳴の二冊を範とし、それらを継承したものとして書かれたと判断できるし、それは春山の前述の言が証明している。

 『近代出版史探索』67で、筑摩書房の未刊の『大正文学全集』のことを紹介したが、そこで泡鳴は近松秋江、小川未明の三人で一巻を形成し、泡鳴は『毒薬を飲む女』など三編の小説が収録予定になっている。だが私見では泡鳴を一巻とし、『表象派の文学運動 』と『悪魔主義の思想と文芸』を収録し、大正以後の西洋文学のパースペクティブが泡鳴によって描かれたことをはっきり提示しておくべきではないだろうか。


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