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古本夜話1019 大月隆仗、『泡鳴全集』、国民図書株式会社

 前回言及した『悪魔主義の思想と文芸』は断っておいたように、『泡鳴全集』第十六巻所収のものである。この『泡鳴全集』全十八巻は昭和十年から翌年にかけて、国民図書株式会社から刊行されている。これもどうして『泡鳴全集』が国民図書から出版されたのか、その事情と経緯を調べているのだが、いまだもってその詳細がつかめていない。ただそのきっかけになった泡鳴の著書が同じく第十六巻に収録されているので、全集と出版社の結びつきは判明していなくても、それらの事実を記しておきたい。

f:id:OdaMitsuo:20200410112527j:plain:h120 (国民図書版)

 それに国民図書版の『泡鳴全集』は昭和四十六年に広文庫 から復刻もされ、平成時代になって臨川書店から『岩野泡鳴全集』が出されるまでの七十年以上にわたって、泡鳴の唯一のまとまったアーカイブとして在り続けてきたからだ。もちろん編集にも遺漏があり、誤植だらけであっても、泡鳴のような作家の全集を全十八巻の大部に編み、それを完結させたことは、近代文学史と出版史に記憶されるべきだと思うからでもある。
f:id:OdaMitsuo:20200409110118j:plain:h120(臨川書店版)

 その編集者が誰なのかは判明している。それは『岩野泡鳴集』(『明治文学全集』71)の「年譜」に「『泡鳴全集』全十八巻が、国民図書株式会社から刊行された。編集には、内弟の大月隆仗、中澤静雄が当った」との記載によっている。しかも大月はこの集の「月報」に「泡鳴と私との出会いについて」を寄せている。
『明治文学全集』71

 それによれば、大月は処女作の日露戦争従軍記『兵車行』を神田駿河台下の敬文館から出した関係で、その編集者となり、当時よく売れていた赤城正蔵の「アカギ叢書」の向こうをはって、「名著梗概」という叢書を計画した。その企画として、筧克彦の古神道に関する著作を対象に、作家で評論家として活躍していた泡鳴に書かせようと考えた。
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 ちょうどその頃、筧は沼津の御用邸で、御前進講『神ながらの道』を八回にわたって行なっていた。そこで泡鳴を訪ね、その計画を話し、執筆を依頼すると、彼は快諾し、大正三年に古神道に関する著作ができ上がり、翌年に敬文館から『古神道大義』として上梓の運びになった。同書の大正四年初頭の刊行はそれに『近代生活の解剖』(広文堂)、『悪魔主義の思想と文芸』(天弦堂)が続き、そのこともあって『泡鳴全集』第十六巻に収録されたのであろう。

 大月はこのような経緯から、泡鳴と知り合い、その後大月が読売新聞を経て、主婦之友社に入ってからも交際は続き、大正五年に泡鳴自らが主幹となって創刊した『新日本主義』(後に『日本主義』と改題)を手伝ったり、泡鳴の主宰する創作月評会などの出席していた。そうした関係から大月は、やはり月評会に参加していた中澤静雄と同じく泡鳴の高弟と見なされ、大正九年の泡鳴の死後、『泡鳴全集』の編集に携わることになったのであろう。

 ここでその大月と泡鳴を結びつけた『古神道大義』に少しだけふれておくと、これは泡鳴のキリスト教、仏教を経ての古神道への回帰を唱えたもので、『近代生活の解剖』において宣言された「日本主義」と対をなす一冊である。その一方で、泡鳴はシモンズの『表象派の文学運動 』を翻訳し、『悪魔主義の思想と文芸』を著わしているのだから、そのスキゾフレニックな位相に驚きを禁じ得ない。しかしリトルマガジンと新しい文学運動の中心にいたエズラ・パウンドの後の転回を考えてみれば、まさに共通するものがあり、泡鳴こそは日本のパウンドだったと見なしたい誘惑に駆られてしまう。

 さて大月、『泡鳴全集』、国民図書の結びつきの経緯は判明していたのだが、ここで国民図書にふれておきたい。なぜならば、国民図書も拙稿「中塚栄次郎と国民図書株式会社」(『古本探究Ⅱ』所収)で述べておいたように予約出版や通信、外交販売の先駆者の一人だったと考えられるからである。
古本探究2

 中塚は『欧米の仏心両面に触れて』(ジャパン・マガジーン社、昭和十四年)という、出版のことは一言も語られていない欧米紀行の著作を残しているだけである。だが彼は『近代出版史探索』105などの鶴田久作の国民文庫刊行会から独立して、国民図書を立ち上げ、予約出版や通販、外交販売の雄であったと考えられる。中塚の採用した予約出版システムは次のようなものであった。またしても小川菊松の『出版興亡五十年』から引いてみる。
近代出版史探索 出版興亡五十年

 一般に予約物には、内容見本を用意しなければならぬが、多くはそれを一万部か二万部印刷して、大部分は取次業者の手を経て小売店に廻し、一部は新聞広告によつて来る、直接請求者に送るのであつたが、国民図書刊行会(ママ)では、広告に依る請求者ばかりでなく、有力な名簿を手に入れて見本をこれに直送する。即ち同社の「校註日本文学大系」には三十万部、更に、「福沢全集」には、四十万部の見本を刷つて発送したのであつた。

 このような流通販売システムによって、国民図書株式会社は大正時代に『校註日本文学大系』『福沢全集』『現代戯曲全集』「最新科学講座」、それからいうまでもなく『泡鳴全集』、昭和に入ってから『校註国歌大系』など、いずれも大部のシリーズを刊行している。しかし昭和円本時代に入って、おそらく企画の競合がピークに達したこと、中塚が東京市の都会議員であったので、政治運動のために資金難になったことが原因となって、国民図書株式会社は投げ出されてしまったのではないだろうか。その証拠として、『校註国歌大系』『校註日本文学大系』は、小川菊松の誠文堂から昭和七年に普及版、即ち紙型買収による再版が出ている。この時期に国民図書株式会社も消滅したと思われる。
f:id:OdaMitsuo:20200303211530j:plain:h110(『現代戯曲全集』)

 ここで『泡鳴全集』に戻ると、それらの国民図書株式会社の大部なシリーズの中心にあっても、『泡鳴全集』は名声も高くない文学者の個人全集であり、売れ行きも芳しくなかったと推測され、そのために紙型も売買されることなく、放置されてしまったのであろう。

 そのことを考えてみても、中塚と国民図書株式会社がとても売れそうにもない『泡鳴全集』をどうして引き受けたのかという疑問がつきまとう。それに加えて、『日本近代文学大事典』の大月隆仗の項で、『泡鳴全集』第一巻の大月の「解説」は必読文献とあるが、これは「付録」のような別刷を意味しているのだろうか。私の手元にある巻にはそれがないために、いまだ読み得ていない。

 
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