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古本夜話1023 内藤鋠策と抒情詩社

 前回詩話会にふれたが、大正後期の呉越同舟であるとはいえ、この当時最大の詩人団体としての詩話会を敵に回した歌人がいる。それは内藤鋠策である。内藤はまた出版社の抒情詩社を立ち上げ、詩雑誌『抒情詩』を大正元年に創刊している。その『抒情詩』の同十四年一月号に、「詩話会は不公平でがむしゃらであることだ」という一文を寄せ、次のように書き出している。

 私は詩話会をかたきにした。敵、味方にわかれたままである。川路、白鳥、福士、百田、福田、みな私にはふるい知りあひであり、もともと味方である。それだから敵にまはしたのである。

 この冒頭文は「そこで私は、いまいちど詩話会をかたきにするのである」と続き、三ページほどの文章を形成しているのだが、内藤が詩話会を敵にするに至った全容はつかめない。ただ内藤の口ぶりからすれば、詩話会が「日本の詩人の大学」を目論んで成立したことに対し、異論を提出しているように思える。彼の主張を要約してみる。

 文人はいつも世の中の下積みだが、その文人のさらに下積みが詩人で、大同団結して水平社のようになろうとしたのが詩話会だと見なせる。しかし詩人は選ばれた人々でわからず屋が多いこともあり、詩人省、詩人大学、詩人協会、詩論会ともせずに詩話会としたところに、成立に至る芝居の山、思惑、計画した役者たちの頭の冴えがあった。それらを仕切ったのが北原白秋、三木露風、西條八十、日夏耿之介に加えて、川路柳虹、白鳥省吾、福士幸次郎、百田宗治たちだったと内藤は指摘している。

 つまり内藤からみれば、詩話会の「民衆詩派」も「芸術派」も「中立派」も、ひとつ穴の狢にすぎなかったことになる。そして『日本詩人』は一種の利権雑誌のように映っているのだろう。おそらく内藤の真にいわんとするところは、詩話会は公平をよそおっているが、『日本詩人』の掲載権をめぐる詩人の政治的世界であり、詩人たるものは徒党を組むべきではないということに尽きるだろう。

 それならば、このように詩話会を批判したとは何者なのか。内藤に関しては野口存弥編『内藤鋠策 人と作品』(あい書林)が刊行され、彼の写真、作品、年譜、中西悟堂の「内藤鋠策と私」、今東光の「天才歌人」、岡野他家夫の「歌人内藤鋠策」の回想記などが収録され、かろうじてその生涯をたどることができる。しかし同書は奥付もないので、刊行年や出版者が不明の一冊でもある。
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 中西の回想によれば、大正二年は歌壇史的に見て、内藤の『旅愁』、北原白秋の『桐の花』、斎藤茂吉の『赤光』が出揃った興味深い年で、内藤はこの一冊で彗星的に出現したという。昭和円本時代になって、その『旅愁』からの七首が改造社の『現代日本文学全集』第三十八巻の「現代短歌集」部分に、戦後になって筑摩書房の『現代短歌全集』第二巻にそのすべてが収録されている。
f:id:OdaMitsuo:20200416144545j:plain:h115(『旅愁』)f:id:OdaMitsuo:20200416143215j:plain:h120(『桐の花』)f:id:OdaMitsuo:20200416143917j:plain:h120

 しかも内藤は歌人であるばかりでなく、自ら抒情詩社を興し、『旅愁』を出版している。ここでは歌人の内藤は『内藤鋠策 人と作品』にゆずることにして、その出版者としての内藤の軌跡をたどってみたい。

 内藤は明治二十一年新潟県長岡市に生まれ、三十八年文学活動に専念するために状況し、前田夕暮と知り合い、巖谷小波の木曜会に加わり、その関係からと思われるが、博文館の記者を務め、一方で『新潮』などに短歌やエッセイを発表する。そして大正元年に抒情詩社を設立し、『抒情詩』を創刊し、内藤の出版者としての歩みが始まる。その活動について、岡野他家夫は「歌人内藤鋠策」の中で、「歌壇の功労者、出版文化の功労者」と呼び、また中西悟堂も「内藤鋠策と私」で、次のように述べている。

 内藤には自身の光芒を消して、詩歌書の出版者となった。抒情詩社という看板の下で、その多くは自費出版の申込をひきうけたものであろうけれど、以後、昭和四年へかけて実に夥しい歌集を釣瓶打ちに出し、新進の人材を世におくったことは、内藤氏の別の功績であろう。

 内藤は大正二年の自らの第一歌集『旅愁』に続き、同三年に高村光太郎の『道程』を刊行する。ほるぷ出版の復刻版『道程』の奥付を見ると、確かに発行所は小石川区白山御殿町の抒情詩社、発行者は内藤鋠策とある。『旅愁』は未見だが、この装丁は高村光太郎が手がけているようだ。その他の文学史に残る歌集や詩集を列挙してみる。窪田空穂『濁れる川』、土岐善麿『はつ恋』、尾山篤二郎『旅人他六歌仙』、片口安之助『寂しき路』、白鳥省吾『大地の愛』、さらに若山牧水、石川啄木、尾上紫舟、前田夕暮、斎藤茂吉たちの「傑作歌選」シリーズなどである。
道程 (ほるぷ復刻版)

 そして雑誌は『抒情詩』に加え、西條八十や野口雨情と組んだ投稿雑誌『かなりや』、童話雑誌『たんぽぽ』も刊行し、印刷所も設けていた。その印刷所で働いていたことを、菊田一夫が自伝小説『がしんたれ』(角川文庫)に記している。菊田の他にも抒情詩社に集った人々は多くいると思われる。
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 このような出版活動のかたわらで、内藤は古本屋の詩歌堂書店を開業し、また関東大震災で書物を失った人々のための詩歌堂文庫も開設している。これらの多岐にわたる内藤の出版、販売、文庫活動は、ほぼ一貫して大正時代になされている。これらの事実からわかるように、内藤は出版メディやツールを自ら確立した行動的詩人であり、新潮社などの出版資本にパラサイトし、政治的な動きを示す詩話会に対して、異を唱えることになったのは当然の成り行きだったように思われる、

 最後に内藤の歌の一首を引いておく。

  おともなく鴉は樹より樹へうつる
   一羽の鴉さびしかりけり

 

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