伊藤整の『新心理主義文学』を含んだ「現代の芸術と批評叢書」は『詩と詩論』の創刊に寄り添うようにして、昭和四年から刊行され始めた。もちろん編輯責任者は春山行夫であり、「新興芸術の精華を網羅せんとする」として、次のように謳われている。
出版界の隆盛は必然的に大量生産の傾向を生み、大量生産の条件として一般的なるもののみが市場を独占して、少数の専門的、独自純粋な研究や著作は反つて尠からぬ厭迫を蒙つてゐます。かふいふ一方的な現象だけでは文化の基礎は築かれ難いと思ひますので、私はここに少数の、特に今日の芸術として味はふべき作品とその批評を中心に新しい叢書を送りたいと思ひます。いふまでもなくわれわれはわれわれの創造的能力を、単に現象的な出版界の趣向に寄せることができないからであり、言を換へれば、これによつて、われわれはわれわれの芸術の、更に一層力ある存在権を主張したいと思ひます。
このように昭和円本時代を背景にしてスタートした「現代の芸術と批評叢書」は昭和七年までに二十二冊が出された。それらの一端を「春山行夫と『詩と詩論』」(『古雑誌探究』所収)で示しておいたが、あらためてリストアップしてみる。
1 ジアン・コクトオ、堀辰雄訳 | 『コクトオ抄』 |
2 安西冬衛 | 『軍艦茉莉(詩集)』 |
3 マックス・ジャコブ、北川冬彦訳 | 『骰子筒』 |
4 春山行夫 | 『楡のパイプを口にして』 |
5 上田敏雄 | 『仮説の運動』 |
6 北園克衛 | 『白のアルバム』(詩集)』 |
7 ブレエズ・サンドラルス、飯島正訳 | 『サンドラルス抄』 |
8 フエリツクス・ベルトー、大野俊一訳 | 『現代の独逸文学』 |
9 飯島正 | 『映画の研究』 |
10 春山行夫 | 『植物の断面(詩集)』 |
11 飯島正 | 『シネマのABC』 |
12 北川冬彦 | 『戦争(詩集)』 |
13 吉田一穂 | 『故国の書(詩集)』 |
14 西脇順三郎 | 『超現実主義詩論』 |
15 シャルル・ボオドレエル、三好達治訳 | 『パリの憂鬱』 |
16 ベルナアル・フアイ、飯島正訳 | 『現代のフランス文学』 |
17 アンドレ・ブルトン、瀧口修造訳 | 『超現実主義と絵画』 |
18 ジアン・コクトオ、佐藤朔訳 | 『コクトオ芸術論』 |
19 阿部知二 | 『主知的文学論』 |
20 春山行夫 | 『詩の研究』 |
21 伊藤整 | 『新心理主義文学』 |
22 ハアバアト・ゴルマン、永松定訳 | 『ジヨイスの文学』 |
(『軍艦茉莉』) (『主知的文学論』)
春山が名古屋から上京したのは大正十三年、二十二歳の頃で、詩話会に加わり、福士幸次郎と百田宗治のグループに属し、昭和三年に後者の世話で厚生閣に入り、二十六歳で『詩と詩論』を創刊し、「現代の芸術と批評叢書」を企画編集するに至る。『詩と詩論』にしても、この「叢書」にしても、二十代後半の春山による編集だったわけだから、彼のエディターシップとオルガナイザーとしての力量は突出していたと考えられる。しかも春山は正規の学歴を有していない地方出身者だったことも加えれば、その学識、語学力も含め、出版界においても、突然現われた謎めいたモダニストにして、詩人、編集者として、一部の注目を浴びたにちがいない。
これらの「現代の芸術と批評叢書」のラインナップ、著者と作品、原書と著者と訳者の選択も、春山によってなされたはずだし、そうした経緯や事情は明らかになっていない。私はこの「叢書」を一冊だけ所持している。といっても、それは日本近代文学館の「名著複刻詩歌文学館」の安西冬衛『軍艦茉莉(詩集)』で、四六変型判、フランス装、アンカット、一六〇余ページのものである。カバーに記された「安西冬衛氏はタンポポ色の總飾りのついた騎兵隊が茫漠たる戦役に消え、そこへヨオロツパが近代文明のメカニズムを運んで来た大連に住んでいる」と始まるチェチェローネは春山によるものだ。そして表紙の題字は西脇順三郎、表紙絵はその夫人の西脇マジョリーが担っている。「叢書」の他の作品も西脇夫妻が受け持っているのだろうか。
(『軍艦茉莉』、近代文学館複刻)
『軍艦茉莉』の中扉を開くと、北川冬彦による「安西冬衛について」が置かれ、安西の「文学はコンソラシヨン」であり、「彼の文学への動機が、その一脚の喪失によつて急転直下したのは真実である。一本の脚はまさにポエジイを築き上げた」とされる。これを補足すれば、安西は大正八年に渡満したが、十年に右膝関節疾患で右脚を切断し、その療養中に詩作を始め、北川冬彦と知り合い、『詩と詩論』の創刊とともにその同人、新詩精神運動、新散文詩運動の推進者の一人となり、昭和四年に処女詩集|『軍艦茉莉』を刊行し、詩人としての地歩を固めたのである。
巻頭の「軍艦茉莉」は「『茉莉(マリ)』と読まれた軍艦が、北支那の日の出の碇泊場に今夜も錨を投(い)れてゐる。岩塩のやうにひつそりと白く」と始まっている。そして北川が安西を「一脚の喪失」がもたらした「現代の隠士」とよび、「現代の隠士の夢ほどまた奇怪なものはない。彼がどこまで堕ちてゆくのか、僕には予測がつかない」といっているように、被虐的で残酷なロマネスクが展開されていくのである。また同時に短詩がもたらすイメージの反響は日本の近代的詩に新風をもたらしたとされる。それゆえに、私たちは『軍艦茉莉』を手にする前から、そこに「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた」(「春」)という短詩があることを知っていたことになる。
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