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古本夜話1029 西脇順三郎『ヨーロッパ文学』とジョイス

 本連載1016の春山行夫『ジョイス中心の文学運動』刊行の半年前、やはり第一書房から昭和八年五月に、西脇順三郎の『ヨーロッパ文学』が出されている。西脇の「序」によれば、この編集も主として春山によっているので、これらの多くが『詩と詩論』に発表されたはずだし、両書は昭和八年に二十世紀文学をめぐる姉妹編のようにして、戦略的に刊行されたと見なしていいかもしれない。
f:id:OdaMitsuo:20200409144015j:plain:h117(『ジョイス中心の文学運動』)f:id:OdaMitsuo:20200425122123j:plain:h120(『ヨーロッパ文学』)

 それでも日本における二十世紀文学をめぐる位相や当時の二人のポジションを両書の定価や部数から見てみると、『ジョイス中心の文学運動』は初版千五百部、定価二円五十銭だが、『ヨーロッパ文学』は限定五百部、五円である。もっとも後者は前者の倍近い八百ページに及んでいることも付け加えておくべきだろう。ただ、前者は『二十世紀英文学の新運動』昭和十年「略装廉価版一千部」、定価一円五十銭、後者は初版刊行五ヵ月後の昭和八年十月に「普及版」二千部、定価一円八十銭が出されている。こうした事実を考えると、『詩と詩論』によっていたモダニストの春山や西脇も、これらの著作を通じて、この時期にリトルマガジンの領域から広く認知され始めたことを示していよう。

 西脇は大正十一年に慶應義塾留学生として渡英し、T・S・エリオット『荒地』やジョイスの『ユリシーズ』に接し、英国モダニズムの全盛期を体験した。十三年には画家のマジョリ=ビットルと結婚し、十四年には英語詩集を出版し、オックスフォード大学を中退して妻とともに帰国し、慶應大学文学部教授に就任している。そして昭和三年創刊の『詩と詩論』に毎号作品と詩論をよせ、「現代の芸術と批評叢書」からは『超現実主義詩論』を刊行し、新詩運動(レスプリ・ヌーボー)の中心的人物とされていたのである。
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 『ヨーロッパ文学』はそのような西脇のヨーロッパ文学の集大成といえるであろう。その典型的にして啓蒙的なものが、同書で最も長い六十ページを超える「二十世紀英国文学評論」で、これもまた『詩と詩論』別冊に寄せられたものである。その「序」において、西脇はまず「二十世紀に殊に特色となつたものは、所謂modernist の文学である」と述べ、今世紀に入って胎動してきた「真に新しい英国の文学としてのmodernismを精神とするもの」の紹介を試みようとする。そして次のように書いている。

 1914年までにモダニズムの運動があつた。雑誌や機関雑誌が主として近代芸術を紹介した。その中で1914年に出た、Wyndham Lewisの主幹で、《Blast》が戦争直前で最も過激なものであつた。第二号で廃刊となつた。Lewis氏がVorticist のマニフエストを出した。その形式はエキスプレシヨニズムに近いものであつた。Ezra Pound のImagist 運動も包含されてゐた。勿論Richard Aldingtonも加わつてゐた。
 その他新しい文芸を紹介してゐた雑誌にて、先にあげた《The English Review》の中にはNorman Douglas, D.H.Lawrence, T.S.Eliot 等もゐた。《The Rhythum》にはピカソやゴオホ、ゴオガンなどが紹介された。
 《Egoist》誌はWeaver の主幹で、AdingtonもEliotもゐた。そこにJames Joyce の《A Portrait of the Artist as a Young Man》が出た。

 この前史に関して、同書の「文学批評史序説」から補足すれば、十八世紀の終わりから十九世紀前半がロマン主義、十九世紀後半が自然主義、十九世紀末が象徴主義時代で、それから二十世紀を迎え、モダニズムの開花を迎えたことになる。

 ちなみに「二十世紀英国文学評論」から先の部分を引いたのは、新しい文学運動が起きると、そこには必ず新たなリトルマガジンと新たな出版社が寄り添っている事実を確認しておきたかったからだ。

 私もかつて拙稿「オデオン通りの『本の友書店』」「シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店」(『ヨーロッパ本と書店の物語』所収、平凡社新書)において、ジョイスと併走した書店と出版社、そこに集った多彩でインターナショナルな文学者たち、それらの近傍にあった英米やフランスの様々なリトルマガジン群などにふれておいた。後者には西脇が挙げている『エゴイスト』も常備されていた。
ヨーロッパ本と書店の物語

 このリトルマガジンについても付け加えておけば、本連載1015でふれておいたように、その主宰者ハリエット・ウィーヴァーは『若い芸術家の肖像』を出版し、さらに『ユリシーズ』を連載したことで廃刊に追いこまれた。そのために『ユリシーズ』はアメリカのリトルマガジン『リトル・レヴュー』に連載されることになったのだが、猥褻のかどで何度も押収され、編集発行人のマーガレット・アンダーソンとジェーン・ヒープは財政的に破綻し、これも廃刊になってしまう。シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店はこれらの雑誌も常備されていたのである。
若い芸術家の肖像

 そして『ユリシーズ』はシルヴィア・ビーチのシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店から出版さら、そのヴァレリー・ラルボーによる仏訳は、アトリエンヌ・モニエの本の友書店から刊行に至る。西脇は語っていないけれど、これらの事実からわかるように、ジョイスのモダニズムこそはこのようなリトルマガジンや書店の五人の「妹の力」に支えられ、日の目を見ることになったといっても過言ではない。しかも彼女たちはレスビアンのように推測されるが、ジョイスのモダニズムの磁場は彼女たちをも引きつけて止まなかったということになるのだろうか。ブレンダ・マドックスがジョイス夫人の伝記『ノーラ』(丹治愛監訳、集英社文庫)の中で、「自分の芸術にとって必須の女性を群集のなかから選び出すのも、ジョイスの天才の一部だった」と述べていたことを想起してしまう。

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