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古本夜話1035 永松定『万有引力』

 ジョイスの『ユリシイズ』の共訳者の永松定は「現代の芸術と批判叢書」のハアバアト・ゴルマン『ジョイスの文学』も翻訳している。永松の名前は高見順の『昭和文学盛衰史』(文春文庫)などに散見できるけれど、彼に関する言及はほとんど目にしていない。ただ思いがけずに長い立項が『日本近代文学大事典』に見出せるので、それを要約してみる。
f:id:OdaMitsuo:20200403134516j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20200519111156j:plain:h120 昭和文学盛衰史

 永松は明治三十七年熊本県生まれの小説家、英文学者で、五高を経て、昭和三年東京帝大英文科卒業後、私立海城中学の教師となる。五年に伊藤整、辻野久憲と『ユリシイズ』を『詩・現実』に翻訳連載し、六年に第一書房からその上巻を刊行する。続けてハックスレー『恋愛対位法』(春陽堂)、ウインダム=ルイス『悪魔主義』、ジョイス『ダブリンの人々』(いずれも金星堂)を翻訳し、日本大学芸術科講師に就任。その一方で、外村繁たちの同人雑誌『文学生活』に加わり、小説を発表し、処女短編集『万有引力』(協和書院)を出版するが、強烈な神経衰弱に陥り、妻とともに郷里に引き揚げ、母校の中学の英語教師となる。戦後は新設の熊本女子大英文科教授。長編小説『二十歳の日記』(河出書房新社)、『永松定作品集』(五月書房)などがある。
f:id:OdaMitsuo:20200520135419j:plain:h120(『悪魔主義』)f:id:OdaMitsuo:20200519113045j:plain:h120

 最後に挙げた『永松定作品集』は入手していて、昭和四十五年に刊行され、十七ページに及ぶ詳細な「年譜」も付されているので、永松の六十六歳までの翻訳を含めた軌跡をたどることができる。昭和初期の東京帝大英文科は「フォービズム、シュールリアリズム、ダダイズム、未来派、構成派、立体派、等々、さまざまの芸術上の新思潮が、第一次世界大戦後に澎湃として勃興した、いわゆる狂瀾怒濤の時代」だったが、「これらの戦後の新芸術の新思潮、新提唱などについては、一言半句の言及さえ耳にすること」がなかったという。ちなみに当時の教授は本連載1012の斎藤勇、市川三喜、それにエドモンド・グラウンデンの三人で、「アカデミシアン、古典派、伝統派的色彩の濃厚な人たち」だった。

 それもあって、同人雑誌『風車』を創刊し、ジョイスの『ダブリン人』の中の数編を翻訳発表する。当時伊藤整たちの『文芸レビュー』が鳴海フィリップ名で、ジョイスの紹介、論評していたが、それは伊藤に他ならず、その関係から伊藤と知り合い、『ユリシイズ』共訳へと至ったのであろう。また『ジョイスの文学』は春山行夫の斡旋、『悪魔主義』は伊藤の世話によるものだった。

 そのかたわらで、やはり伊藤たちと同人雑誌『現実』や『文学生活』に加わり、『文学界』にも川端康成の推薦で小説『万有引力』を発表するが、同じ号に掲載の武田麟太郎の小説のために発禁処分を受けたようだ。この『万有引力』は永松の代表作と見なされているようで、『日本近代文学大事典』の立項にも解説がなされ、また幸いにして、『永松定作品集』にも収録されているので、それを読んでみよう。

 この作品は村山三平という、雑誌や新聞に雑文を書き飛ばし、それで生活している大学出の三十男の話である。かれは「当世インチキ商売」という雑文で、五十円ばかりの金を稼ぎ、銀座に出てビフテキを食べようとする。そしてそれを待ちながら外を見ていると、洋装の近代娘が目に入り、鳳美奈子のことを思い出させた。美奈子は村山が妻の明子と結婚する前からの知り合いで、彼が紹介した友人鴻沼修二と結婚していた。美奈子と鴻沼は絵描きだったが、彼女の方は丸の内の会社の事務員として働いていた。

 美奈子はすでに二十五歳の目立たない女だったけれど、若い日のフリーダ・ロレンスに似ていて、ひそかに村山は「俺のフリーダ」と呼び、明子のような田舎娘ではなく、美奈子と結婚すればよかったと思っていた。そこで村山は美奈子に会いたい気持ちが募り、彼女に電話し、一緒に食事をし、映画を見にいく。それはジャック・フェーデの『ミモザ館』だった。それから二人は新宿に出て飲み回り、村山は車で美奈子を送り届け、家に帰るとバケツの水を浴びせられ、妻から美奈子と一緒だったんでしょうと詰問される。

 その翌朝、村山は明子からあなたの留守中に鴻沼に言い寄られていると告白する。美奈子とは別れるともいうのだ。そこに鴻沼夫妻がひょっこり現われたが、お互いに疑惑も生じ、話に身がいらず、村山と鴻沼は飲みに出かけた。それは「お互いに女房を盗まれかけた男同士が内心はお互いにおっかなびっくりで相手の腹をさぐり合いながら、表面はさも親しげにこうしてビールなどを飲み交わしている姿」に他ならず、「哀しく、滑稽に客観され」るのだった。

 それから夏に入り、焦熱地獄の炎暑の中で、血腥い事件が次々と起き、近所でも二度目の若い細君をもらった男がその先夫から切りこまれ、妻は即死、二人は瀕死の重傷を負い、一面は血の海と化していた。村山はそれを偶然に見て、その事件を小説化しようとしているうちに、自分たち二組の男女も結婚二、三年後で、双方が子供もなく、夫婦生活の倦怠期にあり、万有引力の微妙な法則によって均衡が保たれているが、それが破れれば、三人を死においやった事件のように、まっさかさまに墜落していくかもしれないと考えたのである。まだこの作品は続いていくのだが、タイトルの由来となる「万有引力」なるタームが出てきたので、ここで終えることにしよう。

 ここに描かれているのは昭和十年代初頭の出版社と文学者、及び知識人のパロディといえるだろうし、それがジョイスの『ユリシイズ』をくぐり抜けた一味異なる滑稽小説として評価されたように思われる。しかし「万有引力」の中で最も興味深かったのは、村山が語る丸善の洋書の新刊コーナーである。そこにはジョイス、ロレンス、ハックスレイ、ヘミングウェイ、フォークナー、コールドウェルの単行本が並び、明治大正と異なる昭和十年代の丸善の洋書売場を浮かび上がらせていることだ。ただそのシーンがかなり長いので引用できなくて残念である。


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